Tさんは、子どもの頃からおばけが怖かった。

 

 そうなったのは、こんなことが影響している。

 

 

 3つ上の姉がまだ幼かった彼を、近所の映画館でやっていた夏休み恒例の納涼怪談大会によく連れて行ってくれた。

 

 しかし、昔の怪談映画は本当に怖いものばかりで、 Tさんにはおばけがトラウマのようになってしまったのだ。

 

 Tさんは、スクリーンに映る化け猫やお岩様の姿を、両手で顔を覆いながら、指の隙間から眺めていたものである。

 

 さらにそんなTさんに、当時小学校高学年だった姉は、執拗におばけの話を聞かせ、さんざん怖がらせた。

 

 恐怖のあまり耳をふさぐTさんに、話終わった姉は、「今あんたの後ろに、おばけがいとるかんねー」と畳み掛けては、Tさんの恐怖心を煽った。

 

 

 ある夏休みの晩のことである。

 

 家族はTさんに留守番をさせ、すぐ近くにある親類の家に遊びに出かけた。

 

 当時はまだ家にTVもなく、子どもの娯楽は少なかった。

 

 それほど読みたくはなかったが、姉が貸本屋で借りてきた漫画本を広げてみた。

 

 その漫画は怪談もので、しばらく読み進めるうちに急に怖くなってきたTさんは、漫画本を投げ捨てると、親類のところに行こうと外に飛び出した。

 

 その時代は、ちょっとした狭い路地などは街灯の明かりがなく、真っ暗な場所が多かった。

 

 親類の家は、Tさんのところからほんの数軒先にあるのに、その間は真っ暗。

 

  Tさんには、その闇が怖くてそのまま先に進めなかった。

 

 

 石畳で舗装された路面を、Tさんは下駄の音を響かせながらこわごわ歩いた。

 

 その下駄の音が路地にカラコロと響き渡り、さらにTさんは恐怖感を覚えた。

 

 途中には共同の井戸があり、夏になるとスイカや瓶ビールを冷やす程度の使われ方をしていた。

 

 Tさんは、その井戸が怖かった。

 いかにも、おばけが出そうな場所であったからだ。

 

 できるだけ井戸の方を見ないように、顔を背けてその前を通り過ぎるTさん。

 

 真っ暗な先には明かりがあり、賑やかな人の声が響いている。

 

 そこは親類の家だった。

 

 我慢しきれず、Tさんはその明かりを目指して、一目散に走り出した。

 

 そのときである。

 

 いきなり、背中に何か重いものがドサッと乗るのを感じた。

 

「ひっ!」

 

 そう叫ぶと、 Tさんは親類の家に駆け込んだ。

 

 そのTさんの慌てた様子を一斉に振り返る、家族と親類の面々。

 

「どうしたんかねー」

 

 親類のおばさんが、驚いたように声をかけた。

 

「おばけ! おばけが出た!!」

 

 そう叫んだTさん。

 

しかし、一同はその第一声を聞いて大笑いした。

 

「おばけが出たんだと! お前様はどこでおばけに会ったんかい」

 

 お酒で上機嫌だった親類のおじさんが、からかうようにTさんに話しかけた。

 

「そこ、そこの井戸のところ!」

 

 Tさんは地団駄を踏むと、玄関先で大騒ぎをした。

 

「子どもやし、許してやってえや」

 

  Tさんの母親が、苦笑しながらTさんの下駄を脱がせて、家にあげてくれた。

 

 Tさんは、今までの緊張が解けたのか、玄関先で大泣きをした。

 

 

 Tさんの家族はしばらく親類の家にいたが、お暇して10メートルほどの距離を歩いて帰宅した。

 

 井戸の前を再び通った時、姉はTさんの手をギュッと握り、

 

「怖かったやろ。家に飛び込んできたとき、あんたの背中に、頭が拳ほどの大きさで蜘蛛みたいに腕がたくさんあるおばあさんが乗っているのが、うちにははっきりと見えたんや。あれは怖かったやろなぁ……」

 

 そう言ってから、Tさんの方を振り向いて、うすら笑みを浮かべた。

 

 

 その時のことを、Tさんは70歳を過ぎた今でも、事あるごとに「あんたは、本当に気の小さい人やからなぁ」と、姉に弄られるという。

 

 

 ※過去記事に、加筆修正したものです。