Yさんは若い頃、いつかは華やかな舞台に立ちたいと、舞台俳優を目指して小さな劇団に所属し、美術や衣装などの裏方をしていた。

 

 しかし、劇団からの給料などは出ないため、昼はレストランのアルバイトで稼ぎ、それで食いつなぎながら劇団員を続けていた。

 

 ある時、劇団の主宰者から、劇団が借りている稽古場の住み込みがいなくなったので、お前がどうだとYさんに声がかかってきた。

 それは、舞台監督であるTさんの推薦があったようだ。

 

 聞けば、衣装や大道具、小道具などが置いてある衣装部屋に住み込んで、稽古場の夜警をするということらしく、そうすれば家賃はタダになるとのこと。

 アパート代の支払いもキツキツだったので、Yさんは渡りに船とばかり諸手を上げた。

 


 引越ししたての夜は、蒸し暑くてなかなか寝付かれなかった。

 

 10畳くらいの広さの部屋の床に毛布を敷いて、Yさんは寝転んでいた。

 

 周囲を見回すと、骨董家具や分解した書き割りなどの他に、カラフルな背広や女優さんが着る華やかな衣装、長襦袢などの衣装が何百着とクローゼットに無造作にかけられている。

 

 その部屋には全身を映す大きな鏡があり、その鏡が風通しをよくするために開け放っていた隣の稽古場を向いており、そこには真っ暗な闇が映し出されていた。

 

 Yさんは、その鏡をぼうっと眺めていたが、そこに一瞬、子どものような姿が映り込んだ。

 

 どこからか子どもが紛れ込んできたのだろうか、と怪訝に思って立ち上がり、Yさんは稽古場に行き照明のスイッチを入れた。

 

 稽古場のだだっ広い空間は、しんと静まり返っているだけであった。

 

(確かに、絞り染めのようなカラフルな色のスリップを着た女の子がいたと思ったんだが)

 

 しかしよく考えてみると、隣の稽古場は明かりが消えて真っ暗だったはずだ。なのに、なぜ着ている服の色や柄までわかったのだ。

 

(もしかしたら、あれは幽霊だったんだろうか……)

 

 そんなことを考え、この部屋にいるべきかどうかを迷っていた時、今度は先ほどと同じ衣装を着けた女の子がYさんの目の前を走り抜けていった。

 

 その先は、風呂場だった。

 

 しかし、風呂場は今は荷物置き場になっていて、使われてはいない。

 

 Yさんは、それでも風呂場が怪しいと思い、風呂場の扉をこじ開けると、誰もいない風呂場に向かって大声でこう叫んだ。

 

「おい、そこにいるやつ! 俺は幽霊なんて怖くないからな!」

 

 そう言ってから、急にYさんは恐怖心が沸き起こった。

 先ほどの女の子の姿を、幽霊と認めてしまったからだ。

 

 Tさんからの話を聞いて、潜在的にあった幽霊への恐怖がここにきて一気にYさんを支配してしまった。

 

 Yさんは慌てて衣装部屋から飛び出して、そのまま24時間営業のファミレスに逃げ込み、朝まで稽古場に戻ることはなかった。

 

 

 翌日、夕方になって稽古場に入ってきたTさんをつかまえて、さっそく昨夜見た女の子のことを話した。

 

 Tさんは、静かにYさんの話を聞いていたが、意味ありげな表情でこんなことを語り始めた。

 

「そうか、Yの時は絞り染めの模様だったんだ。俺の時は、薄ピンクのスリップを着ていたよ。前にいたやつが見た少女は、赤いものを着ていたそうだ。おしゃれな幽霊だよな。衣装部屋に現れるのも、そんな衣装に興味を持っているからかもしれない」

 

「Tさんもあれを見たんですか。そんなところに俺を住まさせようとするなんて、Tさんも人が悪いですよ」

 

 ひと通り文句を言った後でYさんは、幽霊とはあれほどはっきり姿形を持って現れるものかと、妙に感心したという。

 

 

 ※過去記事に、加筆修正したものです。