会社員のAさんは、30歳の誕生日を迎えたばかりだった。
しかし、その誕生日の前後、彼にとって大変辛い出来事が立て続けに起きた。
まず会社で、Aさんは大きな失敗をしでかしてしまった。
誤発注をして、会社に多大な損害を与えてしまったのだ。
幸い会社側からは、弁償のことは言われなかったものの、Aさんにとってはそれが逆に心の負担となり、毎日いたたまれない気分で出社していた。
そんなタイミングで、今度は付き合っていたK子さんと些細なことから喧嘩になり、絶交状態となってしまったのである。
なんだか、もう全てが終わったような思いに陥ったAさんは、会社帰り毎晩のように居酒屋で深酒をし、寂しく帰宅していた。
その夜も酒を飲み、フラフラになってアパートの二階にある自室に戻ったAさん。
部屋に入るとAさんはスーツを脱ぎ捨て、ベッドの上に大の字になって寝転んだ。
しばらく天井を眺めていたら、急に自分が情けなくなって、数滴の涙がこぼれた。
そして、
「もう、消えたい」
と、呟いた。
するとその瞬間、上空から飛行機の急降下のような音が響き、アパートの屋根にコツンと小さなものが落下する音がした。
そして今度は、天井裏をドタドタと何者かが走るような音が聞こえてきた。
(ネズミか? いや、もっと大きなものだ。ネコ? いや違う、それよりも大きなものだ。二本足で歩く、人くらいのものじゃないのか?)
そう思って、Aさんはゾッとなった。
その足音は隣のキッチンまで響き、キッチンの床に何かがドサリと落ちる音がした。
恐怖心もあったが、Aさんは草野球で使っていたバットを取り出し、キッチンに繋がるドアをゆっくりと開けた。
隣のキッチンは真っ暗だった。
いつもなら電気を消していても、屋外の明かりが窓から入ってきているはずなのに、キッチンは全くの闇だったのである。
それはどんな光も存在しない、別空間のようだった。
その闇の中からは激しい臭気が漂い、どこからか重々しい呼吸音が響いて来る。
呼吸音のする方向を見ると、8つの赤い光がゆらゆらと蠢いていた。
それを目撃したAさんは、バットを放り投げて、慌ててドアを閉めた。
そして、ドアに椅子でつっかえをしたAさんは、そのままベッドに飛び込み、サイドテーブルにあるスマホを震える手で掴んだ。
それから、絶交状態になっていたK子さんに電話をかけた。
「K子、俺だよ。随分と辛い思いをさせたんじゃないかと思って、電話してみたんだ。あの時は本当にゴメン。俺、仕事のことで追い詰められてて、まともな気分じゃなかったんだよ。許してくれな、K子」
息急き切ったAさんから、いきなりそんな電話がかかってきたK子さんは、ただただ驚くばかりで、
「……わかった。じゃあ、今度ゆっくり会おうよ、話はその時に聞くよ」
K子さんから、そんな約束まで取り付けたAさんは、初めて生きた心地がした。
その後、Aさんはベッドに顔を埋めたまま、気を失うようにして朝まで眠っていたという。
今では、Aさんはその夜の奇怪な出来事は、悪い夢であったことにしているが、闇の中で見たあの8つの赤い光を、今でも思い出して、寒気を覚えることがあるという。
※過去記事に、加筆修正したものです。