学生時代の話だが、京都の大通り裏にある古いアパートに住んでいたことがあった。

 

 なぜそこに居たかというと、友人が安くで借りていた部屋を引き継いだのである。

 

 

 その部屋には、どうしてだか普通の窓がなく、壁の上に60センチ四方の小さな窓が付いているだけで、そのため昼でも薄暗かった。

 

 そして他の住人はというと、50代や60代くらいの人が多かったので、アパートはいつも眠っているように静かだった。

 

 

 ただ、飲み屋街に近い場所にあったために、夜になると飲み屋街で知り合った連中が、遊びに来ることがよくあった。

 

 また、当時は留守でも鍵はかけないでいたため、バイトから戻ると友人が部屋に上がり込んで、勝手に炊飯器でご飯を炊き、インスタントラーメンを作って食べていたりした。

 

「あ、いただいてます〜」

 

 と、言いながらその友人は、呆れた表情のこちらを振り返って、ぺこりと頭を下げた。

 

 そんな呑気な時代だったのである。

 

 

 飲み屋街の閉まる午前零時過ぎくらいになると、また大変だった。

 

 週末などは特に、次々と友人やその友人という連中がうちのアパートを訪れるようになった。

 

 こちらも来客は拒まなかったので、いつしかそんな人たちの憩いの場のようになってしまっていた。

 

 気の利いた人は途中でお酒やおつまみを買って遊びにきてくれるが、ほとんどは手ぶらでうちにあるお酒をあてにして訪ねてくる。

 

 こちらも仕方ないので、一升瓶やウイスキー瓶を常備していた。

 

 そして自分たちは、朝方までレコードを聴きながら、映画やマンガ、文学、アートについて語り合った。

 

 幸いに部屋の横は階段にあたり、片隣は空き部屋だった。

 

 そんな環境のため、近隣からのクレームが入らなかったことは幸いであった。

 

 

 ある深夜、人の気配で目を覚ますと、ベッドの上から誰かが自分を見下ろしていた。

 

 ライダー用のレザージャケットを着た長身の女性だった。

 

「ここに来たら、Mくんに会えるって聞いてきたんだけど」

 

 と、その女性は言った。

 

 Mくんとは、自分の友人であり、少し前までうちに居候をしていた人物だったのだ。

 

 こちらは寝ぼけ眼で、

 

「ああ、Mくんだったらもういないですよ。しばらく前に出て行ったから」

 

 そう答えた。

 

 するとその女性は、

 

「そう……。あたし、T子といってMくんと付き合っていたんだけど、じゃあ、彼はどこに行ったのかわかる?」

 

 と言って、Mくんの行方を聞いてきた。

 

「いや、ちょっと今わからないよ。今度友達に聞いておくけど、それでいいかな」

 

 自分がそう言うと、彼女は暗い表情になり、

 

「そう、わからないんだ……。実はあたし、Mくんと別れたんだけど、よりを戻したくて彼を探して回っているの。もし、彼とよりが戻らなければあたし、郷里に帰ろうと思ってるの」

 

 などと言うではないか。

 

 何か深刻な事情でもありそうだったので、自分はベッドから出て(寝間着がなく、いつも普段着のまま寝ていた)、T子さんに寒いからと、とりあえずコタツに入ってもらった。

 

 そして彼女の話を聞いてみると、T子さんはMくんとは飲み屋で知り合い付き合うようになったそうで、バンドのギタリストだったMくんに彼女が惚れたのか、くどき上手なMくんに言い寄られたのかはわからないが、一時期ふたりはT子さんのアパートで同棲していたという。

 

 その後、喧嘩をしてMくんがアパートを飛び出したのだそうだ。

 

 そうすると、うちのアパートに転がり込んで来たのは、その時期だったのだろうか。

 

 お酒を飲みながら話を聞いているうちに、何となく自分は彼女に同情していた。

 

 そんな身の上話が進むにつれ、彼女は涙を流しながら身の不幸を嘆いた。

 

 ちょっと困ったなあ……、と思いながらそれでも誠実に彼女の話を聞いていると、そこにドヤドヤと友人のHとTが入ってきた。

 

「おや、失礼。まずい現場に居合わせちゃったかな。おい、 T。こちら取り込み中みたいだから、帰ろうか」

 

 と、お調子者のHがTに言う。

 

「あの、そんなんじゃないから。君たちもなんだったら、こちらに入りなよ」

 

 と言って、コタツに迎えた。

 

 それからは4人で、Mくんの駄目男ぶりについてなど、笑い話を交えながらT子さんを励ました。

 

 話を続けているうちに、T子さんは次第に明るさを取り戻し、

 

「色々ありがとう。おかげでちょっと先が見えてきたような気がする。あたし、もう少しこっちで頑張ってみる」

 

 そう言って、笑顔になった。

 

 話のうまいHがT子さんにお酒を勧めながら、

 

「もうMのことなんて忘れちゃいなよ。君が君らしく生きられたら、それが一番じゃないか」

 

 などと、調子のいいことを言う。

 

「そうよね、そう。あたし頑張るわ!」

 

 そう言いながら、T子さんはコップ酒をグイとあおった。

 

 それからは少し落ち着き、お互いに自己紹介をしたり、輸入レコード店で買ってきた最新の音楽を聴きながら、みんなで盛り上がった。

 

 

  そのままT子さんはコタツの中で酔いつぶれ、自分も気がつけばベッドで横たわっていた。

 

 HとTは煙のごとく消え去っていた。多分、学校かバイトがあったのだろう。

 

 T子さんはバイクだったため、アルコールが抜けるまでうちにいて、夕方になるとふたりで銭湯へ行った。

 

 そして、銭湯の隣にある定食屋で名物アジフライ定食を食べ、彼女はアパート前に停めてあったニーハンに飛び乗るやいなや、爆音を立てて颯爽といずこかへ消えていった。

 

 

 その後、T子さんと会うことはなかったが、後に聞くと、あの時に彼女のことを慰めていたHと付き合うようになっていたとかや。

 

 何とも人の出会いは、面白いものである。

 

 それにしても、当時は、人と人との距離が今よりもずっと近かったように思う。

 

 

 ※過去記事に、加筆修正したものです。