冬の花火は、どこかもの悲しい。
だが、それにも増してなぜこの季節に花火をしているのだろう、と不可解に思うことがある。
ずっと以前、日本海を旅した時、夜の海が見たいと思って、旅館から少し歩いた海岸に出た。その時のことだ。
砂浜で親娘だろうか、小さな女の子を連れた女性が、海に向かって花火をしていた。
なぜこんな夜に、こんな場所で花火をしているのだろう、と興味を抱いたが、きっと関わらない方がお互いのためだろう、という気持ちが起こり、その親娘の後ろ姿をただぼんやりと眺めていた記憶がある。
ある人の話だが、その人も冬の花火をしたそうである。
S子さんは、彼女のおばあさんが亡くなり、その遺品整理で小さい頃から親しんだおばあさんの家を訪れた。
おばあさんの家は、住宅街から離れたひっそりとした場所にあった。
両親はすでにこの世になく、おばあさんは一人っ子だったS子さんの唯一の頼れる身内だった。
S子さんは、訳があっておばあさんと疎遠になっていた。
おばあさんに心配かけたことを、S子さんは心から悔やんだ。
当時まだ子どもだったS子さんを、おばあさんはこの家に招いては、たいそう可愛がってくれた。
S子さんの実家が、おばあさんの家の近くにあれば、毎日でも来たいと願った。
おばあさんは当時、シロという犬を飼っており、おばあさんのところに来ると、シロと遊ぶのがS子さんの楽しみのひとつだった。
そして夏休みになると、S子さんはおばあさんと花火をした。
柿の木のある猫の額ほどの庭だったが、そこでS子さんはおばあさんとシロと一緒に花火を楽しんだ。
S子さんが好だった花火は線香花火であった。
火花がじょじょに形を変えて、最後にポツンと落下して消えてゆく姿がとても切なくて、愛おしく思えた。
その夜、おばあさんのタンスの引き出しを覗いてみると、大事にとってあった着物やバッグなどに共に、油紙に包まれたものが出て来た。
中を開くと、それは5本の線香花火であった。
そういえばS子さんが来ると、おばあさんはいつもこの引き出しから花火を取り出していたことを思い出した。
そんな線香花火を眺めているうちに、S子さんはとあることを思いついた。
外で、この花火をしよう。
冬の花火とは、ちょっと酔狂である。だが、それはS子さん好みだった。
そして同時に、残りの花火を全部使い切って、今までの切ない思いに区切りをつけようと思ったのである。
それはS子さんの、幼い日々への決別でもあった。
庭に出てしゃがみこんだS子さんは、マッチで線香花火に火を点けた。
シュッシュッ、という音と共に火がだんだん大きくなる。
この段階を蕾と呼ぶ。
その次は、牡丹。パチパチと火花が飛び散って、花火としては見頃となる。
そして松葉となり、火花は落ち着いてくる。
最後には、散り菊と呼ばれる消える寸前の火花となり、やがてその火は小さな火球となって消滅する。
S子さんは、そんな線香花火を眺めながら、忘れていた子ども時代の楽しかったことを思い出した。
次の1本に火を灯す。
儚げな花火の明かりは、狭い庭を薄ぼんやりと照らし出した。
その時だ。
庭にある柿の木の横で、白い犬がじっとこちらを見上げていた。
それはどう見ても、懐かしいシロであった。
(‥‥‥シロ? シロなの? どうしてシロがいるの‥‥‥)
シロは尻尾を振りながら、嬉しそうな目をしてS子さんの方を見つめている。
やがて火花は消えて、暗闇だけが残った。
S子さんは慌てて、3本目に火を点けた。
線香花火は、蕾から一番勢いのある松葉となった。
すると今度は柿の木の横に、シロと一緒におばあさんの姿が浮かび上がったではないか。
(おばあちゃん? おばあちゃんなの‥‥‥)
おばあさんは、優しそうな笑顔でS子さんを眺めていた。
突然の再会だった。
S子さんの目は、涙に溢れ返っていた。
しかしそれでも、彼女は4本目の花火に火を点けた。
蕾が生まれた。
火球の明かりは涙で滲んで、この上なく美しい宝石のように見えた。
おばあちゃんは静かにS子さんのそばにいた。その横にはシロがいる。
やがて、おばあちゃんはゆっくりと、S子さんの頭に手を伸ばした。
そして、いつものように優しく頭を撫でてくれた。
震える手で、最後の1本に点火したS子さん。
線香花火は蕾から牡丹になり、やがて緩やかな柳となっていった。
おばあちゃんとシロの姿が、目の前に薄ぼんやりと浮かんだ。
その瞬間、S子さんは大きな声で叫んだ。
「おばあちゃん、シロ! 行かないで!!」
そして火花は散り菊となり、地面に落下した。
あたりはまた夜の帳に包まれた。
その闇の中で、S子さんはぼんやりと立ちすくんでいた。
海に向かって花火をしていた親娘だが、あの時もしかしたら、会えなくなった誰かと対峙していたのだろうか。