この記事は、去年のものである。
読み返してみて、いろいろ書き足したい事もあるが、とりあえずはそのまま再掲載する。
20代の頃は、古書店があればふらりと立ち寄り、時間が許す限り、棚の隅々まで目を凝らしながら、古書を探索したものだった。
これは、そんな頃の話である。
学生街のとある古書店で、1冊の本を買った。
稲垣足穂の『人間人形時代』という本で、1975年に刊行されたものであった。
部屋に持ち帰り、パラパラと目を通していると、ふとページとページの間に、1葉の写真が挟まっていることに気づいた。
白黒で撮られたその写真には、恐らくフェイク・ファーであろうマキシコートを着た、頭の形のよい、スキンヘッドの10代後半くらいの女性が写っていた。
目が大きくて鼻筋が通り、美形といってもよいルックスだ。
そんな少女が、少し憂いのある瞳で虚空を見つめながら、写真のフレームに収まっていたのである。
プロが撮ったものではないと思ったのは、ピントがぶれており、少し遠くから撮影した感じで、構図の切り取り方も素人臭かった。
しかし、こんな本になぜ、このような人物の写真が挟まっていたのか、不思議に思えて仕方なかった。
だいいち、この写真はいつくらいに撮影されたものなのだろう?
ファッションを見ると、20年代のジャズ・エイジを彷彿させるイメージだったが、そんな大昔ではないはずだ。
パンクの影響を受けたメイクなどから、80年代前半くらいまでのものではないか、と推測した。
少女の憂いある瞳と、どこかしら寂しげな雰囲気に惹かれて、若かったこともあり、まず写真に込められた情報を分析し始めた。
写真の背景であるが、タイル張りの壁が写り込んでいた。
実は、この壁には見覚えがあったのだ。
おそらくは、Bというカフェ・バーの店内であろう。
この写真が、Bというカフェ・バーで撮影されたものなら、写っている人物を特定するのも難くはなかった。
だが、自分にはそこまでする意義を感じなかった。
たまたま手にした写真に写り込んだ、どこの誰かもわからない人物の特定を進めてどうなるというのだろう、といった煩悶があった。
いや、もしかしたら被写体の女性を正体不明のままにしておいた方が、ロマンチックな気分がしたのかも知れない。
たしかに、魅力的なルックスをした女性には、興味はある。
ただ、直観的にこれ以上詮索するのはやめよう、とだけ思った。
事態は、それから数年後に急転直下の展開を見せる。
たまたま遊びに来ていた、音楽をやっている友人のS子に、その本と写真を見せたところ、彼女はいきなり大笑いし始めながら、こう叫んだ。
「これ、わたしの友達のYちゃんよ!」
そのYちゃんとは、彼女の10代の頃からの友人で、今はあまり交流がないが、この頃は女優をやっていて、その時の役作りにスキンヘッドにしたのではなかったか、ということだった。
その彼女は、現在ではすでに結婚をしており、子どももいるという。
しばらくして、S子から電話があり、件のYちゃんがその本と写真を返してほしいと言っている、ということを伝えられた。
どうやら、その本自体が、友人に貸してあったもので、そのまま返却されなかったものだという。
そういうことで、S子を介して10年振りくらいに、本と写真はその主に返還されたのであった。
その後、Yちゃんからは何の連絡もなかったが、それでいいと思った。
こちらも、勝手な妄想がくだけ散って、新たなる現実というべき、情報が更新されたのだから。
しかし、面白いことがあるものだ。
後で話を聞いてみると、本を買った古書店の近くにYちゃんの友人が住んでいたそうで、もしかしたらその人物は、Yちゃんの本をその古書店に売ったのではないだろうか。
それだと、Yちゃんがかわいそうだ。
それにしても、自分が好奇心からBという店に聞き込みを開始し、私立探偵の真似事をしなくても、本は結局、Yちゃんの元に還る運命にあったのだ。
やはり、人を招く本というものも存在するのだと思う。