友人である写真家、Fさんの話である。

 

 Fさんとは、たまに会っていろいろな話をするが、現実主義者だと思っていた彼の口からこんな事を聞いたのは初めてであった。

 

 とある日、Fさんは気分転換のつもりで床に毛布を敷いて、その上に寝転がっていたら、いつの間にか眠ってしまっていた。

 

 どのくらい寝ていたかは忘れたが、その間に途切れ途切れにとても奇妙な夢を見たそうだ。

 

 自分にも経験があるが、どうやら『夢の操縦法』の著者エルヴェ・ド・サン=ド二侯爵の言うように、“夢見の法則”というものはあるようで、柔らかいベッドや布団の上だと、心地よい眠りに就き過ぎるためか、面白い夢を見る事が出来ないようである。

 

 深い睡眠よりも、このように体が休んでいるにも関わらず、脳が覚醒しているレム睡眠時の方が夢見にとってはいいのだろう。

 

 ところで、Fさんの夢の内容はおくとして、その後の話である。

 

 Fさんの現実の中で、夢から抜け出したような、ちょっと奇妙な出来事があったのだ。

 

 その日の午後、Fさんは近所まで買い物に出かけたが、いつもはあまり通らない裏通りを通った。

 

 その一角には、もう人が住んでいない廃墟のようになったモルタル造りのアパートがある。

 

 その前を通って、何気にふとアパートと隣家の隙間を見ると、一瞬しゃがみ込んだおばあさんのような姿が見えたという。

 

 目の錯覚かと思い、もう一度その隙間を見返したが、その姿はなかった。

 

 しかし、はっきりと水色の花柄のようなシャツを着たおばあさんが、その狭い隙間にしゃがみ込んで草むしりのような仕草をしていたのだ。

 

 Fさんはしばらくそのアパートの前に立って、何度も食い入るように眺めたが、そこに人影は見当たらなかった。

 

 大変気になったが、その場を立ち去った。

 

 そして、その帰り道にある総合病院の裏口の前を歩いていると、目の前にあるついたて状になった塀の下側に、人の足元が見えたのだ。

 

 しかし、その登場の仕方がおかしかった。

 どう考えても、壁の中からいきなり現れた感じだった。

 

 Fさんはその足元の主を確認しようと塀の向こうを覗くと、足から上がなかったというのだ。

 その体のない足元は、足早に走り抜けて向かいの壁に消えて行った。

 

 なにか、キツネにつままれたような気分になって帰宅した。

 

 白昼夢でも見たのだろうか。

 

 それにしても、とても不気味な気持ちがして、Fさんはしばらくテレビを観たりしながら気を紛らわしていたが、自分が見たものを思い返して、急に恐怖を覚えた。

 

 レム睡眠時にはよく現実味のある夢を見る事があるが、その延長であるにしても、起きていながら寝ぼけたように幻覚を見る事があるのだろうか。

 

 Fさんに尋ねてみた。

 

「そのアパートは、本当に人は住んでいないんですか」

「はい。もう10年以上は無人になっていると思います。人の出入りは見た事がありません」

 と、Fさんが話した。

 

「そのアパートで、なにか思い出す事ってないですか」

「ああ、そういえば、最後の住人が腰の曲がったおばあさんだったような気がします。今、だんだん思い出して来たけれど、そうだ、僕が見た感じのおばあさんがたしかにそのアパートに住んでいました」

「それは、10年以上前の話ですよね」

「はい。たしかに夏の暑い日、その隙間に入って草むしりをしていた姿を見た記憶があります」

「今でもそこには、草が生えているんでしょうか」

「近づいて確認したらドクダミが生い茂っていました。その時、草むしりした後に漂う、生々しいドクダミの臭いも感じました。人はいないはずなのに、ヘンですよね」

 

「その後に見た、足元だけの姿なんですが‥‥‥。その場所でなにか心あたりはないですか。場所は総合病院の裏口でしたね」

「時々、その前には霊柩車が停まっている事があるんです。クルマが停められるくらいのスペースがあって」

「もしかしたら、その場所には霊安室の出入り口があるんじゃないですか?」

「はい。そうだと思います‥‥‥」

 

 話がなにか妙な風になって来たので、自分はその話を打ち切った。

 

 Fさんは、もしかしたら夢と現実の間にあるもうひとつの界隈を見てしまったのだろうか。