不染鉄(ふせん・てつ)という日本画家がいる。

 

 聞き慣れない名前かも知れないが、昨年東京ステーションギャラリーと奈良県立美術館で回顧展が行われ、大きな反響があった画家である。

 

 1891年、東京小石川にある光円寺住職の子として生まれ、不良となった時期もあったが、20歳前後で両親を亡くしてからは画業に邁進するも、その後出会った妻と伊豆大島に渡る。

 現地では漁師として、3年を過ごす。

 

 本土に戻ってからは、京都市立絵画専門学校(現在の京都市立芸術大学)に入学、特待生となり学校を主席で卒業。

 

 1919(大正8)年の第1回帝展で「夏と秋」が初入選するなど、順風満帆な画家生活を送る。

 第二次世界大戦後は、奈良県の中学校の理事長に招かれ、ついで高校の校長となり、他界するまで奈良に住んだ。

 

 戦後は画壇を離れ、青年時代を過ごした伊豆の海や奈良を題材とした作品を描き、特徴のある自由な画境を築き上げた。

 

 1976(昭和51)年、死去。84歳であった。

 

 それまでは全く知らない画家であったのだが、昨年の東京ステーションギャラリーでの回顧展を見て、その不思議な世界に驚愕、たちまち虜となってしまった。

 

 代表作のひとつと言われる『山海図絵(伊豆の追憶)』(1925年)は、背後に真っ白い立体感のない山が描かれ、その手前には閑散とした漁村や林や畑、そして手前に入江が描かれている。

 この絵は、大島野田浜から見た伊豆の風景なのだという。

 

 白い山は富士山なのだ。

 しかし、実際こうは見えないであろう。

 

 まるで夢の中で見たような光景である。


 不染鉄の絵は、そういった記憶の中にしか存在しない、郷愁の光景が描かれている。

 

 それは、もしかしたら彼にとってのユートピアであるのかも知れない。

 

 あるいは、漁村の入江に放置された鉄サビの浮いた巨大な廃船。

 これは作者の戦争体験が反映されているというが、大変幻想的な絵でもある。

 よく見ると、手前の小さな民家から火が出ている。

 

 謎めく不思議な風景を描いた幻の画家。

 

 その不染鉄の画業をまとめた『不染鉄之画集』(求龍堂・刊)が刊行された。

 

 細部の拡大もあり、絵の世界がわかりやすくなっている。

 

 興味を持たれた方は、去年の「没後40年 幻の画家 不染鉄」展覧会図録もまだ購入出来ると思うので、そちらの方もご一読いただければと思う。