こわごわ窓を開けてみると、思ったほどの積雪ではなかった。
向かいの家の屋根などに、雪がわずか残っている程度。
昨夜から雪が降り始め、一時は吹雪いていたので、今朝はてっきり先日のような積雪になっているのではないか、と心配していたのである。
しかし、まだ粉雪がちらほら舞っていた。
そんな雪がやむのを待って、午後遅い目に外出する。
雪はやんでいたが、やはり寒さはきつく、この前の雪の日よりも寒い気がした。
夕方から自転車で、駅前の喫茶店に行き、人と会う。
和風の喫茶店だったので、抹茶と白玉パフェを頼む。
相手も同じものを注文。
白玉パフェは、美濃焼の器に盛った白玉と小豆の上から黒蜜がかかり、クリームが乗っている。
甘いものはあまり食べないが、こういうものなら歓迎である。
相手の人は、抹茶はあまり嗜んだ事がなかったのか、一口飲んで一瞬苦そうな顔をしていた。
最近は、全くお茶会には出ていないが、抹茶を飲んでいると、お茶会で出会った人たちの顔が浮かんで、また伺いたくなって来た。
自分の事を最初にお茶会に誘ってくれたのは、20代前半で海外移住してしまったS子であった。
彼女は、10代からお茶を習っていて、その師匠の方のお茶会に呼んでもらったのである。
その師匠は裏千家の教授で、当時70代くらいであったと思う。
初めてのお茶会で緊張しまくりの自分に、彼女の師匠は、
「ああ、そんな固くならなくてもよろし。足は崩して下さい」
と声をかけて下さった。
宗匠頭巾をかぶり、和装で大柄なその師匠は、地元では有名な人物で、フラメンコダンサーのように派手な女装をしたり、ターバンを巻いて、クジャクの羽が付いたフランク・ザッパのようなサングラスをかけ、着物姿で街を闊歩したりするような、風狂ともとれる人物であったのだ。
あるいは、婆娑羅とでも言うのだろうか。
そんな人物に興味を持ち、20代頭だった自分は、そのお茶会に潜り込んだのである。
師匠は、にこやかに今日のお茶会のコンセプトを説明した。
それは、自分には全く理解出来ない内容であったが、その話の一部は覚えている。
なんでも須弥山(世界の中心にそびえる聖なる山)から流れて来るお水を使ってお茶を立てるとか、花咲かじじいが枯れ木に花を咲かせるその気合いが必要だとか、いろいろ珍妙な事をおっしゃっていた。
その説明の間、ちらりとS子の方に目をやったが、着物姿のS子は真剣そのものの表情で師匠の話を聞いている。
他の参加者も、師匠の話を静かに拝聴している風で、戸惑っているのは自分ひとりのようであった。
そういうことを長々と語られている状況は、かなりシュールである。
やがて、お茶を出されて、S子に教えられたお作法通り、いくつかの手順を経て、お茶をいただく。
そんな作法通りにお茶をいただいていると、突如として師匠は音楽をかけ始めた。
それは、当時流行っていた喜多郎のニューエイジ音楽であった。
えっ!? と思ったが、他の客人たちはなんの反応もなく、静かにお茶をいただいている。
そして、客人たちがお茶を飲み終えたところで、師匠は客席にくるっと背中を向けた。
その背中には、「おわり」と書かれた紙が貼られていた。
そのパフォーマンスに対して、客人たちはまったくなんのリアクションもなし。
(おいおい、ここは笑うところじゃないのかい!)
と、自分は今までの緊張がとけて、大笑いした。
師匠はこちらを向いて、にこっとした笑みを浮かべ、
「よろし」
とおっしゃった。
何と風狂なお茶会であったのだろう。
お茶会の帰り、S子に、
「キミの先生はすごいな。ぶっ飛んでるよ」
と、興奮気味に語ったが、S子は、
「へえ、そう? でもすてきな人でしょう?」
とだけ、口にした。
自分はその師匠の事が好きになって、その後も何度かお茶会に出席させていただいた。
聞くところによると、師匠はもともと裏千家から一目置かれる存在であったが、独自の流派を貫いたとの事。
今の世に、古くからの体制の中で、反骨の姿勢を貫く人も少なくなって来たが、そんな事などを思い返しつつ、お茶会の事を懐かしく思う。