この前の話。
20代の頃から通っていた定食屋さんがあり、久々そこに顔を出してみた。
もう、何年振りだろうか。
固くて開けにくい扉を開けると、相変わらずの店内だ。
薄暗い印象も当時のままである。
お客はいない。
壁には癖のある字で書かれた、何十ものメニュー。
値段も当時と変わらず。
「ああ、久し振り。もうつぶれたと思ってたでしょ?」
とは、ちょっと斜に構えたおかみさん。
覚えていてくれてたんだ。
「何年振りくらいになる?」
「6、7年くらいかな‥‥‥」
「6、7年ちゅうと、キツいよね〜」
なにがキツいんだか。
「でも、おかみさんもお元気そうでなによりです。あれ、マスターは?」
「今、ちょっと仕入れに行ってるんだよ。もうすぐ帰って来ると思うけど」
注文は、いつもの唐揚げ定食。
熱いお茶を入れてもらって、しばし待つ。
唐揚げ定食、着丼。
これだこれ。
唐揚げ、焼きそば、キャベツの千切り、卵焼き、モロヘイヤ、すべての料理をこのワンプレートで収める感じが好きだったのだ。
「そういえば、このお店の隣に新しい店が出来てるけど、何屋さんなの?」
「ハンバーガー屋」
「昼間通ったら、お客が並んでたよ」
「そうなんだよ、テレビに出ちゃってるからね」
「有名なんだ」
「うちとは違うよ‥‥‥」
「隣に並んでいる人が、こっちのお店に興味を持つかも‥‥‥」
「そりゃないって」
「そうかなあ、後はほら、通りの向かいにあるスポーツクラブの客が帰りに寄るとか」
「それもないなあ」
なにか、すべてあきらめきったようなおかみさん。
「うちもさあ、もう40年以上やって来てるんだけど、そろそろキツいかなあ、って言ってんの、おやじと」
「え?」
「もうさ、本来ならうちらも年齢的に隠居だよ、それでも年金は安いしさ〜。やめられないっていうのが実情なんだよ」
そうなんだ。
「そういえば、マスターは今でも絵の方、描いてる?」
ここのマスターは若い頃、漫画家を目指したことがあったらしい。
なんでも、30代頭で商業誌入選も果たしたそうだ。
「ほら、そこに掛けてあんでしょ、こんなの描いてんの」
といって、おかみさんは壁に掛けられた小さな額を指差した。
水彩絵の具で描かれた町の風景。
おそらく、近所の光景であろうか、どこかで見たような町並だ。
青が基調だが、ちょっと枯れた淡い色使いに、なんとも言えない味わいを覚える。
マスターがいたら、いろいろ話も出来たのだが。
しばらくおかみさんと話し込んで、おいとました。
薄汚れた壁に掛けられていた、少々場違いな感じのするあの風景画が、帰り道で幾度か頭をよぎった。
あの町並、どこかで見た光景なのだが、どうしても思い出せないのである。
もしかしたら、夢の中で見た光景なのかも知れない。