平 清盛 生誕900年の安芸の宮島 卒塔婆石物語 | サンドリヨンのブログ☆正統派歴女いざ参る!

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 過去ログの(1564nhのブログ)では、本当に沢山の歴史を公開しています! 自分で書いておいて改めてへぇ~・・・なブログも、お時間ありましたら見てみて・・・・!!

私ももう何度も訪れている安芸の宮島 厳島神社 ・・・・

海に浮かぶようにして建てられている大鳥居には、潮が引いていれば歩いて行くことができる。 写真で見れば、その鳥居に向かって無数の人間の黒い影が見えていると思う。(笑)

 

今年7月の豪雨では、数年前と同様に広島県内にては、多大な被害を出すこととなってしまいました。

 

宮島と言えば、夏の花火大会も有名です。 島の対岸から島へは、

宮島口というフェリー乗り場から10分ほどで渡ることができます。

JRが運行している船ともう1つあり、JRだと季節限定の格安チケット

青春18きっぷ でも、そのまま船に乗れるんですよ。 (*^^)v

 

残念ながら、今年の花火大会は・・・・

7月の豪雨被害の影響等で、来客を運ぶ輸送手段困難と、猛暑などの人体への影響を考えて、中止となったとのこと。 宮島の厳島神社での被害影響は、一部報道にも当時ありましたが、観光にはほぼ影響がないようで、現在でも宮島観光は良好だという事です。

 

海の水が満ちてくると、あっという間に社殿も海に浮いたような姿になります。 そんな姿が影響してか・・・・平成20年 (2008年) には、

フランスと日本の国交150周年を記念しての観光交流があり、フランスの有名観光地 モン・サン=ミッシェル と厳島神社が、フランス側のポスターに載せられた事もあって、翌年2009年5月16日には・・・・

 

現地の市長をフランスから招いて、厳島神社にて両観光地による。

観光友好都市提携調印式典 が行われました。

 

現在も、宮島桟橋旅客ターミナル内にて、両地紹介などのコーナーがあるそうです。 実は私・・・これには気がついていなかった。(´-∀-`)

 

共に海に浮かぶような建物としての風景・・・・・

共にその国を、代表する建物・・・・

 

共に1000年を超える歴史ある場所・・・・・等、共通点があった事も、

両国の観光地を繋げる交流になっているんだそうです。

 

厳島神社は、1400年の歴史がある場所・・・・て聞けば・・・・

「あれ?平家の清盛が建てたんじゃないの?」 と聞こえてきそうですが、清盛が生まれるずーっと以前から、実は存在していた場所だったんですね。 そこに、清盛達が平安時代になって、あえて美しい社殿を構える事となったわけです。

 

そんな今年は、平 清盛 が生誕して 900年 にあたるといった事で、縁ある地では数々のイベントなどが行われているようです。

 

厳島では厳島神社 宝物名品展 が、宝物収蔵庫 にて・・11月17日~12月16日 まで行われる予定で、その中には・・・・・国宝 平家納経 等の展示もあるとか。

 

また11月17日~25日までは、もみじ祭り も開催されるようです。 詳しくは、宮島観光のホームページなどをどうぞ・・・・

 

さて、厳島と清盛のお話しは、過去ブログにも何度か書いたので、

今回は違ったお話しを紹介したいと思います。

 

大人300円払って厳島神社の入口から進んで行くと、その先の先で

左手に見えてくるある場所があります。 普段気に留める人も、あまりいないのではと思うのですが・・・・・ (注・社殿内は一方通行です)

 

鹿ケ谷事件 (ししがたに) ・・・・ってご存知ですか?

 

平安時代に、後白河法皇が清盛の一族縁者に発したある密命。

安元3年 1177年 ・・・・京の東山鹿ケ谷の 俊寛僧都 

(しゅんかんそうず) の山荘にて、清盛中心とした平氏政権の強勢を恐れて、これを倒そうとした数名の人物達が、密告者の裏切りにより捕らえられて、ある者は死罪になり・・・・・ある者は、都より追放・・・・

 

その内の藤原成親の子 成経 平康頼 そして俊寛の3人が、

当時未開の地でもあった現在の九州の沖に位置する薩摩国・・・・

鬼界島 (きかいじま) ・・・・。 鬼界島とは鹿児島郡に属する硫黄島のことで、薩摩半島の南約30キロに位置する島。

 

当時は船でさえめったに通らない絶海の孤島・・・・・。 ちなみに映画にもなって登場したもう一つの硫黄島とは別で、映画の島は東京都

小笠原村に位置するらしい。

 

そんな京の都から遥か遠くにある島へと、流罪になったというわけだ。 元々は後白河院の密命でもあった平氏打倒計画。

 

それに応呼したのはいいが、大変な罪を負わされた3人・・・・・

活火山の島では、食べ物の確保も難しく流罪になった成経の舅

清盛の異母弟にあたる 平 教盛 (のりもり) から送られてくる

衣食のお陰にて、なんとか3人は生きながらえていたという話しだった。

 

元々熊野権現の信者であった成経と康頼は、この酷い環境の中で島内を歩き、熊野三山に似つかわしい場所を発見すると、そこを本物に見立てて・・・・都に帰れる事を毎日祈っていたそうだ。

 

だが、僧侶であったはずの俊寛は、信心薄くして彼らと同調することなく暮らしていた。

 

康頼は毎日参詣する度に祝詞をあげ・・・・、そのお陰かその内願いが叶う夢を見始める。 なんとなく手応えを感じた康頼は、流木で千本の卒塔婆を作ると、それぞれに月日と名前・望郷の歌を2首書き込み

海へと流したという。 その願いが通じたのか・・・・はたまた不思議な力が働いたのか・・・・・。

 

ある日その1つが、ここ安芸の宮島の厳島神社に流れ着いた。

 

これを見つけた厳島の僧により、都の康頼の家族に届けられて・・・・

彼の家族の嘆きが後白河法皇の耳にも届き。 その後法皇から清盛へと伝えられたという。 康頼の2首の歌は、いつしか都で流人の歌として流行ることとなり、誰もが口ずさむようになっていった。

 

彼らが島に流されて1年後、突如彼らの前に赦免状を持った使者がやってくることとなる。 高倉天皇に嫁いでいた清盛の娘 徳子 が、

天皇の子供を懐妊・・・・体調がやや重くあまりよくないと、巷では

「平家に恨みを持つ死霊、生霊の仕業」 と京童達が噂し始めたのだ。

 

重盛が清盛に対して、島へ流した流人の罪を許すべきと進言。

 

清盛は、渋々元気な孫の誕生を願いそれを受け入れるも、許すのは

成経と康頼だけだといい・・・・。 俊寛はさんざん面倒をみてやったのに、山荘に人を集めて陰謀を企てようとしたとして、その罪を許さないとしたのです。

 

清盛の思い忘れかと、島へやって来た使者に対して問も、使者はそうではないと答える。 罪を許された2人も、自分達の喜びでいっぱいで、哀れにも思うも・・・もはや俊寛の事など頭にない様子。 絶望の淵に落とされたような俊寛は、せめて九州まで連れて行って欲しいと

哀願するも、船にしがみつくがそれを引き離されてしまった。

 

子供のようにダダをこねて、足をばたつかせながら・・・・

「乗せていけ、連れて行け!」 と叫ぶも、願いは叶えられる事はなかった。 こんな奇怪な島での暮らしをなんとかやってこれたのは、やはり3人一緒だったから・・・・・。 これからの生活到底1人でやっていけるなどと、思うことなどできない俊寛であった。

 

さて・・・・、話しは随分と戻るが・・・・。 この写真の場所が、康頼が

鬼界島から流したという卒塔婆が流れ着いたと言われている場所。

 

ここは瀬戸内海だからね、例え黒潮に乗っかる事が出来たとしても、

ちょっと考えにくい話しであるのだが、そうゆう逸話が残っているらしい。 もしや流人を思いやる誰かが、密かに考えた策だったのかもしれない。 だって、奇跡でも起きない限り、いくら平氏縁の神社とはいえ

九州の沖から千本流したって、その内の1本がここへ辿り着くなんて、

凄い偶然だろが!?(笑) 

 

でも、・・・・うちも平家の落人の一族故に、まっ・・・・康頼の1本が流れ着いたという事にしときましょう。( ˆmˆ ) 御先祖様に申し訳ない・・・

 

海の水が満ちてくると、この場所も潮で満ち溢れてくる。

 

写真の中の石に囲まれた中の一角にあるちょっとした大きな石。

その石の辺りに、康頼の卒塔婆は流れ着いたんだそうです。

だからこの石を、 卒塔婆石 と呼んでいる。

 

現在放送中の大河ドラマ「西郷どん」では、徳川慶喜を演じている

彼が、「平 清盛」では・・・・後白河法皇を演じていた。

だから、妙に癖のある人物を演じるんだねと、思いながら私は現在見ているんだけどね。(笑)  後白河法皇の隣の弁慶さんは・・・・・

 

おっ! そう言えば出てましたねぇ~~。(笑)

 

現在は島津久光公! 青木崇高さん・・・・・・、彼は龍馬伝で演じた

土佐藩の後藤象二郎がダブって見えてしまうのだよ。(笑)

 

さて・・・・・、鬼界島に残された俊寛は・・・どうなったと思います?

 

実は昔彼に仕えていた 有王 という少年が、俊寛を探しに島を訪れる事となります。 有王は俊寛の娘の手紙を携えていた。

なかなか俊寛に会えない有王は、ある日乞食のようなみすぼらしい姿の人物に出会います。 それが俊寛でした・・・・・

 

俊寛は娘の手紙を見るや、妻と息子が死んだ事を知る。

 

もはや生きる意味もないといって、その後食を断ち・・・・・南無阿弥陀仏を唱えながら、有王が島に来て23日目に絶命してしまいました。

有王は、俊寛の亡骸を荼毘に付し骨を都に持ち帰りました。

 

現在は鳥羽上皇縁の京都市左京区花脊 (はなせ) の山にある寺。

峰定寺 (ぶじょうじ) に、彼の供養塔があるそうです。 この寺は、彼が流人となった後、有王により妻子が身を隠したという寺と伝わります。

 

そうそう・・・・、ありえない事と言えば、土佐の高知の山間部の川から流した祈祷した船が、どうゆう経路で流れ着いたのか・・・・・

出雲国の出雲大社の海に流れ着いたといった代物が、出雲大社のお隣にある 古代出雲歴史博物館 にて紹介されていました。 

 

これも、数年前に行った時に偶然見つけて、いくら願い事をしたとはいえ・・・・山間部を流れる川から海へ出て、どうしたら出雲に流れ着くんだと、首をかしげてしまったんだけど・・・・・。

 

あるんかなぁ~~?? そんな事・・・・・・ 〈〃^∀^〃)ェヘヘ

 

丁度日が沈みかかっている方角が、私が旅してきた九州方面。

厳島神社のあるこの風景は、そこに行くだけで凄いパワーを感じられるような場所です。

 

これからの秋の観光シーズン。 

厳島神社のある安芸の宮島を、訪れてみてはいかがでしょうか。

いろんな発見と、いろんな楽しみがあると思いますよ。 (*^^)v

秋にも、確か10月に季節限定のJRの18きっぷとは違う格安チケットが、発売されてたはず・・・・・・。 詳しくはJRのホームページを・・・・

 

最後に・・・まずは行った気分になれる動画をつけときます。

2016年の春に旅した時の船上からの風景です。 強風音と人のざわめきがもれなく入ってますけど・・・・・。( *^艸^)

 

 

 

おまけの大鳥居動画もどうぞ・・・・・。

大鳥居には、その足元に行った人だけだ見れる凄い風景があります。

それはね・・・・、鳥居の足元や人間の足元に、大量の硬貨が貼り付けられたり落ちていたりするんです。 (^_^ゞ

 

   でも、拾って使おうなんてダメですよ!

 

多分いろんな方の思いが入っているんで、罰が当たるかもしれませんからね。 (^_^;) ただ・・・・本当に、もの凄い数で驚きます。 踏まないようにしていても、踏んでしまうくらい・・・・・。汗