皆さん今晩は、今年もいよいよあと3日と迫ってきました。( ̄▽ ̄;)
今日は朝から晩まで、何往復もして買い出しや年末年始の為の日用品などの運搬にていました。(笑) ずべて自転車でなんで、ほんととんでもなく大変な作業です。
免許持ってんだけど、車はもっぱらレンタルで・・・・・
あればいつでも出動できるし、便利なんだけどね。 (´-∀-`)
年賀状も、明日明後日で・・・・なんとか追い込みかけないといけない。
ところで・・・・・、年賀状と言えば( ´・∀・`)b
先日現天皇陛下の退位の日も決まり、国民としても一安心したような事柄なんですが、こうなれば次なる年号が、どんな年号となるのか気になるところですよね。
年号の起源は、中国の前漢王朝の時代にさかのぼる。
歴史の中で、見え隠れたものを入れても、沢山の年号があったけれど、645年・・・日本が 「大化」 の年号を使って以来、確認できるものだけでも、平成になるまでに230ほどの年号があるんだそうです。
年が明けると 2018年 は、長い封建体制から抜け出して、日本という国が、文明開化の扉を叩いた 明治維新 から150年目の記念すべき年を迎えます。 それ故来年の大河ドラマは、明治維新にも広くかかわった人物。 西郷隆盛の生涯である 「西郷どん」 が決まっている。
ちなみに、この西郷とは、 「せごどん」 と呼ぶのが、鹿児島流らしい。お間違えないように・・・・・(´へωへ`*)
故郷 「高知」 では、その幕末期の終わりに、突如現れて消えた幻の年号があるという。 それが 「天晴」 というもの・・・・・
なんとも晴れ晴れしたような素敵な年号ではないか! (#^.^#)
幕末の慶応3年 1867年 ・・・・・。 この年号は、高知だけでなくお隣の徳島県でも、使われていた形跡がある。 発見した方は、主に神社などの石灯籠や絵馬から知ったようだけれど、どうも大政奉還後の日本において、幕末動乱の中で日本国内外の国難を追い払おうと、
改元 がなされるという噂が、京より地方に伝えられたことが発端らしい。
あくまでも 噂 であって、 「明治」 の年号が現れるのは、この
翌年1868年9月8日なのだが、先に出てしまったこの噂によって、
「天晴」の年号だけが、どこから出たのかわからないが、すでに一人歩きで使われていたというもの・・・・・。
平成になってから来年で、 祝・30年目 を迎える。
もう、そんなに経つんだなと、驚いてしまうんだが・・・・・。 平成が始まってからは、 「私、平成生まれです。」 なんて聞くと、昭和な皆が驚いていたもんだが、 「え~~、平成生まれ!」 なんて若いねと思っていた平成元年生まれの子も、もう30歳ってわけだ。 ( *^艸^)
もう、若くはないぞ・・・・・、立派なアダルトだよ。(笑)
今さっきも、次の年号は何になるか・・・・なんて、テレビの中で話題にしてたけど、これにはお偉い学者さんとか時の人とか数名が集まり、そこで出たのを、また次から次へと吟味して、最終的には3グループぐらいの吟味後に、総理大臣などの政府の人達によって、答えがでるんだそうですよ。 (^ー^)
平成の場合は、3つの年号候補があったと言います。
それを並べてみると、そりゃやっぱり 「平成」 が一番でしょ! と、思ってしまうような候補でしたが、政府としては・・・・・よく見るようなアルファベットの頭文字。 明治のM 大正のT 昭和のS ときた時に、平成以外の候補では頭文字が 「S」 だったんですよ。 それで、政府は「S」が重ならないようにと、バランスを見て・・・・・
「平成」 を選んだんだろうという事でした。
ちなみに、その時平成と共に候補になったのは、・・・・・・・・・
「正化」 「修分」 でした。
思い出せば昭和が終わる時、この平成の言葉をテレビで見ても、耳にしても、なんだかしっくりこなくて、周りの皆も 「なんか変なの」 って、言っていた事を思い出します。 ( ˆmˆ ) それだけ昭和が、長く続いていたってこともあるし・・・いろいろあったからね。
でも、毎日目に耳にしていれば、馴染んでくるもんです。
きっと、次に来る年号だってそうだと思うよ。 そうか・・・・・、私も気がつけば3つの時代を生きるんだ。ヽ(*´∀`)ノ それも凄いや♬ (笑)
土佐の高知で幕末に、突如現れた「天晴」という年号・・・・・
こうした年号は、 「私年号」 といって、正史にはその名を残さないモノを言うらしいが、坂本龍馬や中岡慎太郎 土佐でいうならば、
土佐勤王党など・・・・・。 何かともの騒ぎな事柄も続いていました。
それまでの何かが、何かわからないがとんでもなく大きく変わろうとしているようだと、人々もそれぞれに何かを悟っていたんではと思います。 そんな不穏な空気を吹き飛ばしそうな「天晴」という私年号は、もしかしたら字のごとく!
その何かを、吹き飛ばしてどこまでも晴れた空のように、パッと明るくなってくれというような・・・・・、そんな意味合いもあったのかもしれませんね。 だからこそ・・・・、噂を噂と思ってなかったのか・・・・いや、噂だと知っていながらも、すでにこの私年号が使われたんだと思います。
主に神社などで、見つかっているのを見ると、やはり時代の変わり目に、これまでにない変化を、求めていたのかもしれません。 そして祈っていたのかも・・・・・・。
私年号で言えば、昔教科書にも出ていた 「白鳳」 という年号。
歴史の中で語られることもあるが、実際はこれも私年号と言われていて、存在しないものなのです。 もちろん歴史好きならご存知かと・・・
また四国以外の地方でも、時よりそうした私年号が、地域にあったりもする。 探してみれば、もしかして他にもあるのかもしれませんね。
「ほら見て、こんなに年号が次々と変わってる。」
「それだけ沢山の出来事があったという事だね。」
と・・・・・、ある2人のアダルト・・・・まっ、私よりも年上の上な方々でしたが、その女子達の前で私がこんな言葉を、そこにあった年表を指差しながら言ったんです。
そうすると・・・・・、なんとその2人の女子からは、こんな言葉が返ってきました。 (°д°)
「え~~~ぇ、年号が変わるのは、」
「天皇が亡くなったからよぉ~~・・・・・(苦笑)」
私は内心・・・・呆れていたけど、勇気を振り絞り彼女達の言葉に続きました。 女子A 「そんな事も知らないのぉ~~!?」
私 「知ってるわよそんなこと・・・・」 (~ω~;)))
嘘です。 何が嘘かは、皆さんもわかりますよね。(笑)
こんな小学生なレベルの歴史うんちくを、私が知らんわけないだろうが!! 今でも思い出す・・・・・、この時の2人の女性は、平成が終わるこの時を、どう捉えているんだろうかと・・・・・。
年号が変わるのは、天皇が亡くなるだけではないって事。
病気・飢饉・験担ぎ・戦 諸々な事情 があるって事。 こうゆう方々の為にも、私の歴史ブログは、素人でもわかりやすく面白く・・・・・・
興味を持って欲しい持てるものであらねばと、日夜努力しております。
(笑) 来年も、そうした思いで歴史ブログを綴らせて頂きます。(*^^)v
あっ、時々脱線もしますけどね。(笑) 来年も頑張るよぉーーー!!
ちなみにぃ~~、この私年号「天晴」は、間違っても 「あっぱれ」 ではありませんよ。 「てんせい (天政) 」 であります!