豊後岡城祉に眠る千姫の娘のおばあ様の話し・・・ | サンドリヨンのブログ☆正統派歴女いざ参る!

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土佐の脱藩歴女が、いろんな歴史の旅と日常を綴ります。
 過去ログの(1564nhのブログ)では、本当に沢山の歴史を公開しています! 自分で書いておいて改めてへぇ~・・・なブログも、お時間ありましたら見てみて・・・・!!

16世紀末・・・・


豊後国の岡城の主は、中川氏となっていた。  もともと文治元年・・・・地元の豪族緒方三郎惟栄(これよし)が、源 頼朝の仲たがいをしていた弟の義経を迎える為に、築城したと伝えられている城でした。


城への出入りは厳しく・・・朝6時に門が開くと、夕刻の6時には閉まる・・・・門番が厳しく出入りを見張り・・・・。 余程の緊急事態がない限り・・・・人の出入りができない城であった。


中川氏が播磨国・三木城から入部するまでは、志賀氏の城であったが・・・・・天正14年・秀吉九州征伐の頃には、あの薩摩の島津でさえ落とせなかった難攻不落の城でもあった。





この城の主・中川家に生まれた 糸 という姫がいた



後に彼女は池田輝政の元に嫁ぐ事になりました。


池田輝政・・・・


そうあの姫路城の最初の主です!


糸姫は、嫡男・利隆を生みます。


しかし、利隆を出産後・・・家族の度重なる戦死に心を病み


ここ豊後竹田にある岡城に、療養の為に里帰りをすることとなる。


しかし糸姫が豊後に帰っている間に、


輝政は徳川家から妻をもらう事となります。


半ば追い出された形となった糸姫・・・・。


気がかりは幼き息子・利隆の事でした。


成人した利隆も、幼くして別れた形となった母恋しさに、


もう一度会いたいと哀願します。


しかし、糸姫の弟は・・・・


池田家の仕打ちに、どうしても許す事ができず・・・・会わす事はできないと断り続けていました。



利隆の願いが「只一度きり・・・」という事で聞き入れられたのは、別れてからすでに25年もたった後でした。 利隆は姫路城2代藩主となるのですが、結局母と息子はこの世での再会は叶いませんでした。

糸姫は、再会することなく亡くなってしまったのです。 利隆は、中川家に無断で戒名をつけて母を祀りました。  そして半年後・・・・利隆も亡くなってしまうのです。

そして、時は流れて・・・・


姫路の池田氏は、鳥取から岡山へ・・・・


その頃姫路城には、あの家康の孫娘・千姫が嫁いでいました。 本多忠刻の妻として・・・・。


一男一女をもうけるも、嫡男は病死・・・・

勝姫と過ごす中で、夫も亡くなり後に千姫は娘と共に江戸城へと帰っていきました。


その後に勝姫が嫁いだのが、あの利隆の息子・光政の元でした。その頃は池田家も備前岡山に移っていましたが、

二人は大変幸せだったといいます。


池田家は、徳川家との縁組をする事で・・・・世の中を生き残っていったといいます。