16世紀末・・・・
豊後国の岡城の主は、中川氏となっていた。 もともと文治元年・・・・地元の豪族緒方三郎惟栄(これよし)が、源 頼朝の仲たがいをしていた弟の義経を迎える為に、築城したと伝えられている城でした。
城への出入りは厳しく・・・朝6時に門が開くと、夕刻の6時には閉まる・・・・門番が厳しく出入りを見張り・・・・。 余程の緊急事態がない限り・・・・人の出入りができない城であった。
中川氏が播磨国・三木城から入部するまでは、志賀氏の城であったが・・・・・天正14年・秀吉九州征伐の頃には、あの薩摩の島津でさえ落とせなかった難攻不落の城でもあった。
この城の主・中川家に生まれた 糸 という姫がいた
後に彼女は池田輝政の元に嫁ぐ事になりました。
池田輝政・・・・
そうあの姫路城の最初の主です!
糸姫は、嫡男・利隆を生みます。
しかし、利隆を出産後・・・家族の度重なる戦死に心を病み
ここ豊後竹田にある岡城に、療養の為に里帰りをすることとなる。
しかし糸姫が豊後に帰っている間に、
輝政は徳川家から妻をもらう事となります。
半ば追い出された形となった糸姫・・・・。
成人した利隆も、幼くして別れた形となった母恋しさに、
もう一度会いたいと哀願します。
しかし、糸姫の弟は・・・・
池田家の仕打ちに、どうしても許す事ができず・・・・会わす事はできないと断り続けていました。
利隆の願いが「只一度きり・・・」という事で聞き入れられたのは、別れてからすでに25年もたった後でした。 利隆は姫路城2代藩主となるのですが、結局母と息子はこの世での再会は叶いませんでした。
糸姫は、再会することなく亡くなってしまったのです。 利隆は、中川家に無断で戒名をつけて母を祀りました。 そして半年後・・・・利隆も亡くなってしまうのです。
そして、時は流れて・・・・
姫路の池田氏は、鳥取から岡山へ・・・・
その頃姫路城には、あの家康の孫娘・千姫が嫁いでいました。 本多忠刻の妻として・・・・。
一男一女をもうけるも、嫡男は病死・・・・
勝姫と過ごす中で、夫も亡くなり後に千姫は娘と共に江戸城へと帰っていきました。
その後に勝姫が嫁いだのが、あの利隆の息子・光政の元でした。その頃は池田家も備前岡山に移っていましたが、
二人は大変幸せだったといいます。
池田家は、徳川家との縁組をする事で・・・・世の中を生き残っていったといいます。