知り合いが亡くなったみたい。



愛犬を庇って、不慮の事故だったと。



それについて詳しく知りたくて、

なんでどうなったか知りたくて、



いろんな人のブログ読んだり、

ネットニュース調べたり。。。




その方には、

数回しか会ったことのない私なのに、

なんか自分がやじ馬みたいですごく嫌だった





数回しか会ったことない私だからこそ、

悲しいとか言ったらいけない気がした。






もっと近しい人は、沢山いるのだから…

もっと悲しい人は、沢山いるのだから…





と。





でもいろいろ知り終わった後、

最終的に私が思ったことは『悲しい』だった。




涙がポロポロあふれて、




すごく優しい人だったな、

優しくしてもらったな。



とってもユーモアな人だったな。

緊張ほどいてもらったな。



笑わしてもらったな。



すごい仕事熱心な人だったな。

気さくな人だったな。




って、




見せてもらった世界や

かけてもらった愛を

いっぱい思い出すことができて、





この生地を書いている今も

涙があふれる。






知人が亡くなったら、

その距離感にかかわらず悲しんでいいんだって、すごく思えた。



すごく許せた。




沢山優しくしてもらった感謝の気持ちが

悲しみになるのだと。














私が病院で働いてた時、





患者さんが亡くなっていく光景が当たり前すぎて、でも次から次へと患者さんはやってくる。




今にも次どうなるかわからない患者さんもいる。




そんな中で、

仕事は止まらない。




いちいち悲しんでられなくて、

人の生死の狭間で起こる悲しいと言う自分の気持ちに蓋をしていた時もあった。





でも、今回、

悲しんでいいんだって

思えた。 





私には私なりに受け取ったものがあって、

私には私なりに感謝してるものがあって、

私なんかがって言うのは




まさしく自分責めだったんだなっていうのに

気づいて、許さしてもらった。





沢山、優しくしてもらいました。

沢山、笑わしてもらいました。

沢山、情熱も感じさせてもらいました。




すごくパワフルでした。






ありがとうございました!











憧れだった世界の中にいた方。

その世界に、私が1歩踏み出さなければ、

きっと出会うこと無かった。





1歩踏み出した先に

沢山の出会いがあった。




これからも

色んな人と出会うために

踏み出して行こう。




そして、

またお会いしましょう🥂





ご冥福をお祈りします。




紗織