母が逝去しました。
享年 満92歳。
一昨日にお通夜、昨日に葬儀及びお骨上げと
十日際を無事に滞りなく終える事が出来ました。
生前母にご厚情を賜りました皆様には
心より厚く御礼申し上げます。
2023年8月10日から90歳で人工透析を開始、
経過は良好で9月23日に退院し、
以後自宅で生活をしながら月水金に通いで
透析を受けていて日に日に元気になり、
一人で近所のスーパーまで買物に行けるまでに
快復していた所、
2023年12月10日深夜に自宅で転倒し左大腿部を
骨折、救急搬送後すぐに病院で手術を受けて、
それ自体は成功したのですが、リハビリの経過が
芳しくなく、以後死去するまで何度か転院をした上で
入院生活を続けていたのでした。
2024年の1年間は、3月からほぼ毎月1回は
自宅に帰らせて昼食を食べてもらっていたのですが、
2025年5月4日の一時帰宅で昼食後、
誤嚥性肺炎を発症し、それ自体は快復しましたが、
以後急激に身体全体が弱って食べられなくなり、
7月下旬には医師から長くて今年限りでしょう、
と宣告されていた所、何とか年は越す事が
出来ていました。
しかし残念ながら標題の日時に死去しました。
母が骨折してから死去までの2年強、
私はずっと母の帰宅を待っていましたが、
それが叶わぬまま旅立ってしまいました。
また帰宅して元の生活とまで行かなくとも、
一時帰宅して自宅で一緒に食事をする事が
再び出来る事も願っていましたが、
それすらも叶う事なく逝ってしまい、
無念と言う他はありません。
2023年12月10日深夜に自宅で転倒さえ
しなければ、もっと長い月日を自宅から通いの
透析と言う生活で、機嫌よく過ごしてもらえたと
想うのですが、僅か3ヶ月弱でその生活を
奪われてしまった事は、
無念と言う他はありません。
せめてあと1年くらいは自宅から通いで透析の
生活をさせてやりたかったなあ、と思い続けて
この2年強を過ごして来た私ですが、
その想いも空しく叶えられる事は無かったの
でした。
ただバンド活動は何とか続けて来られた事は
私自身にとっては良かったと思います。
昨年8月10日のライブの時も正直言って、
いつ病院から電話がかかってくるかと
母の身を案じてかなり心配しながら
ライブ当日を迎えたのでした。
1月31日に予定しているライブも、
母がどうなるかをずっと案じて準備をして
来ていたのでした。
今回母の死は本当に哀しく残念なのですが、
1月31日のライブとかぶらなかった事だけは
良かったと思います。
ライブ以外にも1月24日はライブ前の最終の
スタジオリハーサルなので、あと1週間遅くの
逝去であってもそのリハーサルを欠席となる
恐れもあったので、母が気を遣って14日に
逝ってくれたのかも知れないなあとも
想っています。
2023年9月の退院前、母は病院から何度も
嬉しそうに私の自宅の固定電話に電話を
かけて来て、
”またあんたと暮らしたいわあ”
と言っていて、退院の日を心待ちにして
いたのでした。
私自身も母が退院して自宅で暮らしながら
通いでの透析を受ける日々を過ごせる事に
なった事を喜んでいたのでした。
そんな中、2023年11月23日には私がドラマー
として現在所属するバンド スリーイレブン に
カンちゃんが正式にベーシストとして加入して
くれる事になり、喜びは頂点に達したのでしたが、
その僅か20日後に母は自宅で転倒し骨折と言う
憂き目に遭ってしまって、
あの時は私は顔面蒼白になってしまったのでした。
もう母と私の喜びに満ちた自宅での生活は、
これで終わってしまうのかと言う不安と
無念さと様々な想いが入り混じった、
複雑な嫌な気持ちで病院を出て始発電車で
自宅へ戻ったあの12月10日の気持ちを
今も忘れる事が出来ません。
そしてその時に感じた不安が結局結論に
至ってしまったやるせなさ。
母が入院していた2年強の間には、
いつかまた再び退院して自宅で過ごせる日々が
来ることを僅かな期待として持っていた気持ちと、
透析を受けている事からもう二度と自宅で生活は
出来ないのかも知れないなあ、
と言う気持ちが常に私の中でせめぎ合って、
今思うと随分と辛く切ない気持ちのまま
過ごして来た事を感じています。
1月13日の午後にはいつものように病院へ母の
面会へ行って、1時間程度背中と足をマッサージして
やって、いつものように帰宅したのでした。
11月22日に母が吐血し、その後12月1日には下血も
あって、その時点でもう駄目かと思ったのですが、
病院側が色々と手を尽くしてくれて、
12月5日以降はかなり落ち着いていて、
装着されていたモニター装置も外されて、
更に年を越す事も出来たので、安堵の気持ちをもって
母に接していたのですが、残念な結果になりました。
なので13日の面会時は勿論モニター装置の
装着はありませんでした。
13日の夜、いつものように歯を磨いてTVの
ゴルフ番組を見て、それが終了してから
食器の洗い物を終えて、
水道を止めた瞬間に自宅の固定電話が鳴動し、
表示されている電話番号を見ると病院の番号
だったので、
”え?まさか母が!?”
と思って電話に出ると、看護師さんから
”お母さんの心拍数が急に下がりました。
すぐにこれから病院へ来てください。”
とのコメントでした。
私の携帯電話にも着信履歴があったのですが、
私が食器洗いをしていて気づかなかったので、
すぐに固定電話にかけなおしてくれたのでした。
それからすぐに兄宅へ電話で伝えて私の車で
兄を迎えに行き、兄を乗せて病院へ急ぎましたが、
我々が到着した時には心肺停止状態で、
死に目には会えませんでした。
ただ安らかに眠るような表情でしたので、
苦しむことなく旅立ってくれたのだろうと、
それだけは救いでした。
そんな訳で、母が自宅で転倒してからこの2年強、
私が一番なって欲しくないと願っていた事態に
なってしまって、無念と言う他はありません。
しかし母は本当に苦しい透析を受けながらも
精一杯生きてくれたと思うし、
私の事を好きでいてくれて私と自宅で一緒に
暮らせる事を心底喜んでくれていた事に
感謝の気持ちで一杯であることと、
私も母が大好きであった事を改めて今、
深く感じています。
本当に今まで有難う!
その気持ちしかありません。
昨年の夏頃からは面会へ行ってもほとんど
まともに会話する事も出来ない状態になって
いましたが、母の身体をマッサージしている時、
母の体温を感じていつも安心していました。
しかしもうそれも感じる事が出来なくなって
しまいました。
まだ会話が出来る状態の時に母は、
”あんたのライブも観に行きたいねえ”
と言ってくれていたので、
今度の1月31日のライブはもしかしたら、
母が千の風になって観に来てくれるかも
知れないなあ・・・、と思っています。
そして私は全身全霊を込めて母に捧げる演奏を
したいと思います。

