正直な所、
私は現在プライベートでかなりややこしい状況
にありますが、
来年2月11日にライブを実施します。
私は スリーレブン にドラマーとして所属し、
出演の予定です。
正直な所、
私は現在プライベートでかなりややこしい状況
にありますが、
来年2月11日にライブを実施します。
私は スリーレブン にドラマーとして所属し、
出演の予定です。
今日は私が現在ドラマーとして所属するバンド
スリーレブンのスタジオリハーサルでした。
キーボードのやっちゃんがジモティで
バンド加入を希望するベーシストさんに
メッセージを送ってくれた事で
今日のスタジオリハーサルに参加してくれる事に
なったのでした。
演奏予定曲を事前に伝えてはいましたが、
予定曲全曲ほぼ完璧に仕込んでくれていて
的を得た安定したベースプレイを披露してくれて、
私は気持良くドラムを叩く事が出来ましたし、
メンバー一同もベーシストのプレイを気に入った
のでした。
それでリハーサル終了後にサイゼリアで
2月に実施予定のライブの打ち合わせをした
際にも参加してくれて、
その席で、正式にスリーレブンに加入戴けると
コメントをしてくれました。
来月のスタジオリハーサルも楽しみですし、
2月に実施予定のライブも俄然楽しみに
なって来ました。![]()
良いベーシストさんに加入戴けて
良かったと思います。
しかし今日のスタジオリハーサルは
思わぬアクシデントがあったのでした。
リーダーのあーちゃんがWEBでスタジオの
予約をしてくれていた筈が、
スタジオの前で先に来ていたやっちゃんに
おはよう、と声をかけた直後、
見知らぬ二人組の方々がスタジオへ
入ろうとしたので、
”あれ?このスタジオ、今から私達が使う予定
なのですが・・・”
と言った所、その方達が
”え?ここは今日、私たちが予約してますよ”
と言ったので受付で確認したところ、
何と我々のバンドの予約が入っていないとの事で、
2人組の方々に
”すみません、何かの手違いで我々のバンドは
予約出来ていなかったようなのでどうぞ”
と言ってスタジオへ入って戴きました。
あーちゃんも改めて受付に確認してくれたのですが、
やはり我々のバンドで予約はされていない、
との回答だった為、そのやりとりをしている間に
メンバー全員が集まったので、
他のスタジオが空いていないかノブさんと
やっちゃんがそれぞれ知っているスタジオに電話を
かけてくれましたが、生憎今日は18:00以降しか
空いてないとか、今日は空きが無いとの回答でした
それでギターのノブさんが、
私が過去に毎週使っていたスタジオの名前を
言ってくれたので、私がそこへ電話で聞いてみたところ
何と、"今からでも空いてますよ"、との回答だったので、
即刻予約を入れて、メンバー7人でゾロゾロと
そちらのスタジオへ移動してリハーサルを実施
したのでした。
予約出来ていなかったスタジオからそのスタジオまで
徒歩で10分弱で移動出来たので、
当初予定していた2時間程度のリハーサルを実施
する事が出来て、メンバー一同ホッとしたのでした。![]()
そんな訳で、我がスリーレブンにようやく新たな
ベーシストが加入する事になって、
今後ますますバンド活動が楽しみになって来ました。
私も今まで以上にドラムの腕を磨けるよう、
精進を続けたいと思います。![]()
前回のブログで東武鉄道の3050系の事を
書いたのですが、それがきっかけで車体更新車
の事を色々と思い出したので書いてみたいと
思います。
1960年代から1980年代にかけて、
各鉄道事業者で戦前から戦後にかけて
製造されたその当時でも旧型車と呼ばれていた
車両の台車、モーター、制御装置、ブレーキ装置、
コンプレッサーなどを流用して、車体のみその頃の
最新のものに乗せ換えた車両が多用されて
いました。
その時代は日本の高度経済成長期にあたり、
人口が飛躍的に増えて各鉄道事業者とも
1両でも多く車両を保有して大量輸送を
賄いたいと言う背景があったのでした。
鉄道車両の場合、機器も最新のものを装着して
新製した場合、1両あたり1億5千万円程度の
イニシャルコストがかかる為、いくらお客さんが
年々増えて収入も増加しているとはいえ、
純粋の新車を大量に購入するのは経営上
大変な負担となったのでした。
そこで純新車の増備と並行して、
車体が老朽化したり時代にそぐわなくなって
陳腐化していた旧型車両のまだ使用に耐えうる
足回りを流用して、その時代に即した最新の
車体に乗せ換えて、イニシャルコストを出来るだけ
押さえて車両の保有数を増やすと言う
方法を取っていたのでした。
なので当時の最新式の車体でありながら、
走り始めると古風な吊り掛け駆動のモーターが
大きな音で唸りながら加速をすると言う
車両が方々の鉄道事業者で見られました。
私が物心ついてから車体更新車を初めて強く
意識したのは、確か4歳頃に祖母に連れられて
鵯越にある墓苑に墓参りに行った時でした。
新開地駅から神戸電鉄に乗車したのですが、
おそらくその車両は811+812+864(もしくは865)
の3両編成と思われます。
その当時で両開き扉を装備した車両は新しい車両
との認識を既に持っていた私なので、
車両に乗り込んだ時には
”これは新しい車両やなあ”
と幼心にも感じていたのでした。
しかし発車の時刻になって、列車が発車すると
床下から古風な吊り掛け駆動のモーター音がしたので
”あれ?どうしてこんな古いモーターの音が
するのだろう??”
と疑問に思いながら鵯越駅まで乗車したのでした。
私が降車してからも吊り掛け駆動のモーター音を
唸らせて勾配を登って行くその車両を見送った
のでしたが、やはり幼心にも凄い違和感を感じて
いたのでした。
墓参りを終えて、鵯越駅から帰りに乗車した
新開地行の列車は当時の最新形式であり、
足回りも全て新品が装着されていた1100系
でしたので、発車すると当時の最新式のモーターの
駆動方式であるWN平行カルダン駆動のモーター音が
して、ホッとしたのを今でも憶えています。
私の地元を走る山陽電鉄にもその当時、
車体更新車が多数使われていましたが、
山陽電鉄の場合、当時の新性能車と全く同じ形の
車体のものは存在せず、
車体更新車独特のスタイルをした車体を製造して
使っていたので、普段あまり乗ることが無い
神戸電鉄で当時の最新形式であった1000番台の
車両と全く同じ形をした車体でありながら、
古い吊り掛け駆動のモーター音をさせて走行
する姿に物凄い違和感を感じてしまったのでした。
私がだんだん成長するにつれて、
それはそれで魅力ある車両だなあと感じるように
なって、車体更新車にも好んで乗車するように
なって行ったのでした。
しかし前回のブログで書いた通り、
その車体更新車もいつのまにか全廃されてしまい、
もう懐かしい吊り掛け駆動のモーター音を唸らせて
走行する車両に乗車する事すら出来なくなって
しまいました。
それどころかVVVFインバーター制御車も最初期に
登場した車両では既に40年近くの月日が経ってしまって
カルダン駆動でありながらも直流モーターそのものが
過去のものになりつつある事を思うと、
鉄道も随分変わってしまったのだなあと感じてしまいます。
私のあくまでも個人的な趣味ではありますが、
鉄道車両は直流モーターの音や乗り心地が好きです。
いかにも”機械が動いている”と言う感覚を乗車していて
感じる事が出来て、その感触も私が鉄道を好きになって
行った要因なのだろうなあと思います。
鉄道事業者の方々にとっては、
メンテナンスも楽だし無駄に電気を食わない、
また加速性能が良く加減速も滑らかな
VVVF制御の交流モーターを装着した車両の方が
色んな面でメリット大なのでしょうけど、
単なる鉄道マニアである私にとっては、
年々鉄道の世界は面白くない状態に
なって行ってしまっているのでした。![]()
あれは1994年11月4日でした。
私は群馬県に存在するローカル私鉄である
上毛電鉄に乗りに出かけたのでした。
その日は平日でありながら3日が祝日、
5日が土曜日で私の職場では珍しく
4日を休業日として連休の体制を取った
のでした。
その時私は3日の昼前頃から自宅を出て、
JRの在来線や名鉄などを乗り継いで東京都まで
向かいましたが、あまりにも時間がかかって
しまったので静岡で挫折して、そこから新幹線で
小田原まで行きました。
小田原からは小田急電鉄に乗車して、
終点の新宿へ向かいました。
小田原から乗車したのが普通列車で、
これもまたあまりにも時間がかかったので、
相模大野で急行に乗り換えて
ようやく新宿に到着しました。
新宿に到着した頃は当然の事ながら
もう夜になっていて、そこから予約しておいた
中野坂上にあるビジネスホテルへ向かいました。
そのホテルは1992年5月と8月に当時私が
ドラマーとして所属していたロックバンドで
東京へ遠征ライブを実施した際に宿泊した
事があるホテルでした。
チェックインの前にホテルの近くの飲食店で
夕食を取ったと思いますがその辺りは
あまりはっきりと覚えていません。
4日はビジネスホテルを朝早くにチェックアウトして、
ホテルの近くのファストフード店で朝食を取って、
地下鉄に乗車して浅草まで行きました。
世間一般的には平日でしたので、
地下鉄はかなり混んでいました。
浅草から東武鉄道伊勢崎線に乗車して、
赤城へ向かいました。
浅草から乗車したのは8000系で運用されていた
B準急館林行でした。
それで終点の館林まで乗車しましたが、
印象的だったのが春日部駅を出ると、
急に景色がローカルな雰囲気になって、
武蔵野の面影を感じる事が出来て、
感慨深くなりました。
私が普段暮らしている関西の風景とは
違う空気を感じる事が出来ました。
館林で降りてもその先へ行く列車との接続は
なかったので、結局そこで浅草を後発した
伊勢崎行準急に乗車しました。
館林駅では3050系で運用されていた
西小泉行の普通列車が停車していたのを
憶えています。
伊勢崎行準急に太田まで乗車し、
そこで桐生線の赤城行普通列車を待ちました。
太田駅では3050系2両編成で運用されていた
東小泉行の普通列車が発車して行き、
館林駅で西小泉行の普通列車を見たので
あの東小泉行の列車は館林で見た列車と
東小泉で接続しているのだろうか?
などと考えていると、
3050系4両編成で運用されている赤城行の
普通列車が懐かしいブレーキ音をさせて
ホームに到着しました。
3050系は旧型車の台車、モーター、制御器、
ブレーキ装置などの足回りを流用して、
昭和46年から昭和48年にかけて車体を
新造して製造された車体更新車で、
これに乗車する事もその日の目的でしたので、
4両編成で運用されていて、とても嬉しかった
のを憶えています。
しかし私がその列車に乗車して発車を待っていると、
沢山の小学生が乗り込んできて、
車内は大変賑やかになってしまったのでした。
私はゆっくりと3050系の乗車を楽しみたい、
と思っていたのにこの子達はどこまでこの列車に
乗っているのだろうか?
と考えていると発車の時刻になり、
懐かしい吊り掛け駆動のモーター音を唸らせて
列車が発車しました。
一駅目の三枚橋駅で子供たちは全員降りて、
車内は一気に静かになり、正直な所ホッと
しました。
そして当時の三枚橋駅はまだホームの待合室や
駅舎が古い木造のままで、
いかにもローカル線の駅と言う雰囲気を醸しており
とても印象に残りました。
そこから列車は終点の赤城まで私が好きな
吊り掛け駆動のモーター音を唸らせて力走し、
乗り心地を楽しんだのですが、
東武鉄道桐生線は急行りょうもう号が1時間毎に
走行することもあり、レールは溶接されていて
私が好きな ガタンガタンゴトン と言う
車輪が線路の継ぎ目を踏んだ時に発する
列車独特のリズム音を聴くことが出来ず、
また枕木もコンクリート枕木になっていて、
レールも重軌条になっていたと思われ、
古いイコライザー台車を装着しているにも関わらず、
あまり揺れも感じなかったので少し物足りなさを
感じました。
終点の赤城に到着すると、上毛電鉄の赤城駅は
すぐ隣にあり、乗り換えは便利なのでした。
その当時の上毛電鉄赤城駅も、
東武鉄道三枚橋駅と同様昔のままの建物や設備で、
遠くに見える赤城山を望む関西では感じる事が
出来ない、関東地方の独特の田舎の景色の中に
非常に溶け込んでおり、またも感慨深くなって
しまったのでした。
当時の上毛電鉄は東武鉄道の3000系を譲り受けて
独自の塗装を施して形式を300系に変更した
吊り掛け駆動の旧性能車が使われていたのでした。
上毛電鉄300系は東武鉄道からの譲受時に、
鮮やかな緑色を車体の上下にあしらい、
車体中央部はベージュ、
窓の下は白い帯、
窓回りは赤色の平行四辺形の枠と言う塗装が
施されていましたが、私は個人的な好みとして
窓回りの平行四辺形の赤色の枠が嫌いでした。
しかし1991年の全般検査を受けた車両から、
窓回りの赤色を省略した塗装となり、
それを見て一気に上毛電鉄が好きになり、
いつか乗りに行きたいなあ、と思うようになったの
でした。
私が上毛電鉄に乗車した時は、
窓下の白帯が赤帯に変更されていましたが、
やはり窓回りを平行四辺形の赤い枠で塗るよりは
そちらの方がずっと良いと感じました。
それと当時の群馬県にはまだ養蚕の為の
桑畑の風景が残っているとの期待から、
その風景を見たくてわざわざ群馬県まで
出向いたのでした。
赤城駅で待っているとお目当ての上毛電鉄
300系が到着したので車庫がある大胡まで
乗車しました。
赤城まで乗車した東武鉄道3050系と車体が
同じで、足回りも似通った仕様でしたので、
懐かしい吊り掛け駆動のモーター音を唸らせて
走行していましたが、東武鉄道桐生線よりも
線路状態が良くないので、
私が好きな ガタンガタンゴトン と言うリズムを
聴くことが出来て、適度な揺れもあり、
また関東の郊外独特の景色も私の目を楽しませて
くれて、大胡まで楽しい時間を過ごす事が出来ました。
また途中駅のホームの上屋や駅舎も当時はまだ
改築されていない駅も多く、田舎の景色に駅の雰囲気が
溶け込んでいて、そこでも感慨深くなりました。
大胡駅で降りて、
車庫の周辺道路を歩いて車庫内の様子を見た所、
辛子色一色に塗装された
元青梅鉄道の旧型車の廃車体がダルマさん
(足回りを撤去して車体のみの状態)
になって倉庫として置かれていたのが
印象に残っています。
大胡からは中央前橋行の列車に乗車して
終点まで行きました。
大胡駅に到着した300系をよく見てみると、
鮮やかな緑色に塗装されている屋根部分の鋼板が
腐蝕の為か少し波打っていて塗装にもヒビが
入っているのが見えて、
結構傷んでいるのだなあと思いました。
事実、私が訪問した1994年の次の年から300系は
淘汰されて、東武鉄道からまた3050系を譲受して
350系に改番した車両に置き換わって
しまったのでした。
その3050系も2000年には全て淘汰されてしまうの
ですが・・・。
車体は当時で経年20年程度でしたが、
足回りは70年程度経過していた上、冷房装置も未装備
だった為、早々に廃車されてしまったのでした。
中央前橋からJR前橋まで徒歩で移動しましたが、
その間にあった食堂で昼食を取りました。
前橋の町は割と整然としている印象でしたが、
歩いている人の数が少ないのが印象に残りました。
前橋から上野行の普通列車で上野まで戻り、
そこから山手線で東京へ行き、
東京から新幹線で帰路につきました。
あれから今年で29年もの月日が経ってしまったのだ
と思うと感慨深くなります。
今年私は58歳になりましたので、
丁度その半分の年齢であった29歳の時の思い出に
なりますが、あの頃の風景とは大分変わって
しまっているのだろうなあと思います。
私が好きだった吊り掛け駆動のモーターを装着した
上毛電鉄300系もいなくなってしまったし、
三枚橋駅や上毛電鉄の各駅ももうあの頃の
木造の古い駅舎や上屋もないと思われますし、
私も随分長い間、生きて来てしまったのだなあ、
とつくづく感じてしまいます。
と言う訳で、大変長くなってしまいましたが、
今回は群馬県のローカル私鉄である
上毛電鉄に乗車した日の思い出を書かせて
戴きました。![]()
去る10月15日に私がドラマーとして所属するバンド
スリーレブンでスタジオリハーサルをして、
その後メンバーでいつものファミレスでミーティングを
した時に、私の個人練習の話になりました。
私は現在、毎日必ず基礎練習を続けているのと
仕事が休みの日は自宅で練習キット
(と言う程大したものではありませんが)を使って、
現在バンドで演奏している楽曲のドラムを
コピーしてドクタービート(電子メトロノーム)の
カウント音のみに合わせて個人練習をしている
話をしました。
キーボードのやっちゃんがそれを聴いて、
自分も見習わなくちゃ、と言ってくれたのですが、
彼女のコメントに対して、
私は自分自身がそんなに大した事をしているとは
想っていないし、自分の為に好きで練習をしている
のだから見習うとかそういう事じゃなくて、
あくまでも自分がやりたくてやっているだけ、
と言うニュアンスのコメントを返しました。
それは実際にその通りで、
私自身が個人練習をしているからと言って、
他のメンバーにそれを強要する気は全くないし、
自分もやりたいと思うのならやれば良いと
想うし、やる気が無いなら別にやる必要は
無いと思っています。
私自身、毎日基礎練習を続けているにも関わらず、
自分自身のドラミングがそんなに上手くなっている
とも思えないし、毎日練習を続けてこの程度しか
叩けないのだなあ、と思う事もあるのですが、
それはそれでっていう感じです。
例えば他の人から、
”あなたは毎日個人練習をしている割には
その程度の演奏なのですねえ”
と言われたところで、正直言って腹は立ちますが、
実際その通りなのだから、
”はい、あなたがおっしゃる通り私は毎日練習を
続けてもこの程度ですよ、
でもこれが私が今現在表現する事が出来る、
精一杯の内容です!”
と言い切る事が出来ます。
そしてそれを恥ずかしいとも思いません。
それは私自身が自分で納得して現在ドラムを
叩いているからです。
少なくとも日々の練習もしていない癖に、
人の粗を見つけてそこを喜んで突っ込んで来て
自己満足している人に比べたら、
私は遥かにマシだと思っているのです。
若い頃は生活環境の影響もあって、
個人練習をしたくてもなかなか出来ない状況の中で
ずっとドラマーを続けて来ましたが、
あの頃はやはり人から自分のドラミングを批判されたら
正直な所、身動き出来なくなってしまっていました。
自分が納得するまで個人練習が出来ていない、
と言う引け目があったからですね。
でも今は上記の通り、自分がやれる事はやって、
その上での実力なのだからそれはそれで仕方が無い
との想いでやっているので気持ち的には
違うのだと思います。
なので私のドラミングはそんなに上手くは無いけれど、
これからも個人練習を続けて、
少しでも良い演奏をしたいと思っています。![]()