下記のリブログにて書いている通り、本年1月14日に

私の母が享年満92歳で逝去しましたが、

それから3か月の月日を経て、想う事色々です。

 

2023年12月10日の深夜に母が自宅で転倒し、

左足大腿部を骨折した為に以後約2年間を、ずっと

病院での入院生活を過ごして自宅の生活に戻る事なく

逝去してしまいましたが、母が亡くなる前に最後に

お世話になった病院の透析担当の看護師さんと私との

会話や、自宅から通いで透析を行っていた病院での

血液検査の結果を見るなどして、今の私は下記の

ような想いを抱いています。

 

母が最期にお世話になっていた病院の透析担当の

看護師さんに私から母が2023年12月10日の深夜に

自宅で転倒して骨折した為に、それ以後ずっと入院生活

を強いられ、機嫌よく自宅で過ごせていた時間を奪われて

しまった無念を伝えた所、看護師さんから

”でも転倒した時に骨折だけで済んだのはまだ救いがあると

考えられますよ。転倒した際に打ち所が悪ければ、

もっと悪い事態になっていた可能性もありますから”

とコメントを戴いた時に、

”確かにそうですねえ、そういう考え方もありますね”

と私はコメントを返しましたが、そう言われてみると

本当にそうだなあとも思えて、

自分の抱いていた想いを看護師さんにお話しして

良かったな、と思いました。

 

ただ母の立場になって考えると、その転倒した時に

打ち所が悪くてそのまま人生を終わっていた方が、

ある意味幸福だったのかも知れないなあとも

思えてしまいます。

 

母は自宅で私と一緒に暮らせる事を心底喜んでいて、

その幸福な気持ちを持ったままで人生を終わっていたら、

2年強も入院生活を強いられる事はなかったのです。

 

兄にもよく話しているのですが、

おそらく29年前に逝去した私の父が、母の寿命を2年間

伸ばしてくれたのではないかと私は想っているのです。

 

もしあの転倒で逝去していたら、

私や兄の精神的なショックは、今年の1月に母が

亡くなった時以上に比較にならないくらい大きかった事は

間違い無いのです。

 

特に転倒した日の日中は、私が母を神戸の元町や三宮へ

連れて行って買い物やその他の用事をして、

母が食べたいものを買ったりして帰宅したのでした。

 

買ったものの一部はその日の夕飯にて食べる事は

出来ましたが、もし転倒した事で逝去していたら、

その日に買ったお菓子やら、我々が帰宅してから

私の家に寄ってくれた兄がくれた、義姉からの

お土産のおかきなどを食べないまま逝ってしまう事態

となり、もしそうなっていたら私はそれらのお菓子

などを観て、本当に辛くて仕方が無かったと思います。

 

転倒の際に骨折のみで済んだので、

それらのお菓子は母の入院先の病院へ差し入れとして

持参し、全て食べて貰う事が出来たので、

きっと父が私や兄を気遣って、母を延命させて

くれたに違いないと想うようになりました。

 

それと今更ながら母が自宅から通いで透析を受けていた

病院での血液検査の数値を確認してみると、

尿素窒素の数値が9月10月も高い値ではありましたが、

12月に入ってもっと高くなっており、

12月10日の深夜に転倒して骨折していなくとも、

遠からず何らかの身体の不調等が発生した事も

今になって見ると考えられるのです。

 

実際2023年12月10日に母を元町や三宮へ連れて

行った際も、普段の母なら特に百貨店に入るとテンションが

あがって、あれを買おう、これも買って帰ろう、

と私を色んな売場へ連れて行って沢山の買い物をして

帰るところが、普段の半分くらいしか買物をせずに、

母の方から

”もう帰ろう”

と私に言いだしたのでした。

それで私の方が逆に気を遣って、

”折角三宮まで来たんやからあれだけ買って帰ろう”

と言って買い物を勧めたのでした。

 

これはやはり尿素窒素の値が上がってしまっていた事で、

母は透析を受ける前の元気なころと比較して、

それまでに感じた事が無い身体の疲労感を感じて

いたのだなあ、と今になって想うのです。

 

母が透析を受ける前に診てもらっていた腎臓内科の

診断書には ”末期腎不全” と書かれていたので、

ほとんど腎臓が機能していなかったのだと思います。

 

なので自宅から通いで透析を受ける生活では、

どうしても好きなものを好きなだけ食べて

好きな飲み物を好きなだけ飲んでしまうので、

腎臓はますます悪くなって行っていたのだと

思います。

 

結果的に骨折した事でそれから2年間、

自宅に一時帰宅して好きなものを食べる以外は、

ずっと病院食を食べた上で透析を受けていたから、

それで2年間何とか長生き出来たのだと

想えるようになって来たのでした。

 

2023年12月10日の深夜に母が自宅で転倒した事を

ずっと無念に想って来た私でしたが、上記の通り

モノの見方を少し変えてみると、

違った観点で捉える事が出来るようになったので、

看護師さんと会話した事は結果的に良かったと

想っている私です。

 

以下リブログです。