24年目の祭り
と称する 柳ジョージ&レイニーウッド
の再結成コンサートが神奈川県民ホールで
行われてから。
あれは2005年4月23日
福知山線脱線事故が起こる2日前の事でした。
それから10年の間にジョーちゃんは天国へ旅立ち、
ドラムの四ツ田ヨシヒロさんは療養に入って、
おそらくもうドラムを叩けない状態になっていると思われ、
随分色んな事が変わって行ったなあと感じます。
24年目の祭り が実施されることが決まった
2004年の暮れには、
本当にうれしくて楽しくて幸せな気持ちで、
再結成後にはまた昔のように
柳ジョージ&レイニーウッド
としてメジャーな活動をパーマネントに
続けてくれる事を期待しましたが、
結局その後はラジオ番組に1回出演したきりで、
ジョーちゃん、レイニーウッド
ともに別々の活動に戻ってしまいました。
2008年にも数か月間、
再結成ライブを日本全国で再び実施はしましたが、
結局新作CDの発売もなく、
ただコンサートをやっただけになってしまいました。
しかし 24年目の祭り を経験出来た事で、
私は色んな事を理解することが出来ました。
それは
柳ジョージ&レイニーウッドほどの
個性も実力も持ったバンドでも、
バンドだけで進んでいたのではなかった、
と言うことです。
彼らがメジャーになった背景には、
当時のプロデューサーであり、
彼らの5枚目のアルバム Woma & I から
水甫杜司、海里歳 のペンネームで作詞も手掛け、
また事務所の社長でもあり、
その後の J-WALK のプロデューサーとして
彼らをもメジャーに導いた
知久悟司氏
の存在があったということを、
改めて認識することになったのです。
そのことでプロデューサーと言うものの存在が
いかに大きなものであり、
バンドの個性までをも支配していた事、
プロのミュージシャンは決して
自分たちがやりたいことだけをやっていないこと、
また本当にそうしてしまったらメジャーになれないこと、
そんなことが分かってしまったのでした。
しかしそのことで、
世の中全体のものの見方が変わったり、
それまでいかに自分の勝手な思い込みで、
世の中全体を認識していたか、
そんな色んな事が分かってしまいました。
それが良いか悪いかは別にして、
少なくてもの私の周辺にいる色んな人達は、
私の勝手な思い込みによる偏った話を
聴かされる迷惑からは解放されたのではないか?
と思います。
いずれにしてもあの時、
柳ジョージ&レイニーウッド
が再結成をしてくれたことは、
自分にとって幸せなことだと思うし、
やっぱり良かったなと今は感じています。
あの再結成がなければ、
多分私は今でも勝手な思い込みで
世の中の色んな事を偏重した解釈で生きている
迷惑なおやじだったに違いないと思います。
ま、今でも迷惑なおやじなのかも
知れませんけどね( ´艸`)
そんなことをしみじみと感じる、
この10年です(-^□^-)
そして今でも
柳ジョージ&レイニーウッド
の音楽は大好きです。