いつも想っていることですが、
電車のデザインは昭和40年代、昭和50年代に作られたものが、
最も完成されていたということ。
JRにしても各民鉄にしても、特にここ最近10年間に作られた車両は、
どれもデザイン的に凝ってはいるのですが、
昭和40年、50年代に作られたそれらより
”完成されている”
と言う感覚は遠いように思います。
あくまでも僕の私見ですが、
”奇を衒い過ぎ”
に思えてなりません。
それは特に正面の部分。
窓をわざとアンバランスにしてみたり、
あまり必要とは思えない傾斜をつけてみたり、
ガラスを矢鱈と大きくしてみたり、
それに加えて複雑な塗り分けを施したり・・・。
電車には興味の無いごくごく一般のお客さんからは、
”あら、珍しい形ねえ”
くらいには想われているかもしれないし、
はたまた
”電車なんてみんな同じ形じゃないの??”
と想っている人も少なくないでしょう。
だったら電鉄会社が挙って採用している今の
”変わった形”の電車に
どれくらいの意味があるのでしょうか?
昭和40年代、50年代の車両は少なくとも
”無駄がなく、機能美を感じさせる”
デザインだったと僕は思います。
そして特に関西ではその頃に作られた車両たちが、
リニューアル工事(リフォームみたいなもの)
を受けているとはいえ、
製造当初の姿を大きく変えずに未だに活躍しています。
そしてそれらはあまり
”古さ”
を感じさせません。
特に阪急電車の車両は既に経年50年にも及ぶ車両が今も一部、
現役で稼動していますが”古さ”はあまり感じません。
やはり
”完成されたデザイン”
を感じさせてくれます。
電車でも何でもそうですが、一旦完成してしまったもの以上のもの
を人間は作りたがる習性があるようですね。
音楽にしても例えて言えば
イーグルス の ホテルカリフォルニア
と言うアルバムは、彼らにとって完成されたアルバムと評されていました。
しかしそれ故にそのアルバムを最後に、バンドは解散したのでした。
”完成されたもの”
を保ったままで次なるものを創出することは、
やはり難しいことなのかもしれません。
そんな事を考えると、
電車のデザインは昭和40年代、50年代にある程度
”完成されてしまった”
のではないか?
最近の奇抜なデザインの車両は結局その完成度を越えることが出来ず、
必死にそれ以上のものを作ろうとする人間の悲しい習性のような気が、
僕は今しているのです。
結局は個人的に、特に昭和40年代の車両のデザインが好きなのかも
知れませんが(-^□^-)。