⚪ この脱力感、堪りません、本当に良いです。


ラジオ体操の創始者が晩年、病床で弟子にラジオ体操をやらせると、「私は、そんな体操は教えていない!」という話を聞いたことがあります。

「ピシッ、ピシッ」という今のラジオ体操は、軍隊の影響を受け、まとまり統率を意識した結果の別物のようです。

本来は、一見ダラダラした閉まりの無い体操だったらしい。

まさに、画像の男の子と女の子、なんでしょうか…。

私の小学生の頃は、ストレッチなんて言葉は聞いたことが無い時代で、夏休み朝のラジオ体操は参加するだけ、投げ遣りにタラタラやってました。

でも、ブッチギリに足が速く、凸凹の野山を駆け巡っても怪我なんてしなかったし、4年生の時に6年生に徒競走は勝ってました。

シューズなんて、地下足袋に毛が生えたズック靴、良くて「白線/しろせん」といっていた超薄底ペチャンコの鬼塚タイガー、このほぼ裸足の運動靴を初めてを見たときは、皆で感動したことを覚えています。

そんな環境でも、走る本番の前後は、自己流でタラタラ体操はしてたな…?

しかし5年生の時、小学校の代表として短距離走と走り幅跳び選手になると、国語や社会のオジさんオバチャン先生(運動選手とは程遠い!)が、にわか知識で頑張れといわれ、キツイ柔軟体操をさせられると、怪我知らずの丈夫な私は、度々故障するようになる。

卒業式は剥離骨折で松葉杖、中学入学式も松葉杖でした。

中学に入ると、先輩の推薦で陸上部に入いるが、相変わらず故障が多く、2年の時に勇気を振り絞って職員室へ、超厳しい監督には「あっそう、わかった」で退部しました。

その後一般学生になると、本来の私のパワーとスピードが戻り、3年の体育祭では、相変わらずタラタラ体操だけで、県大会レベルの砲丸投げ選手に勝ってしまった。

チラッと私を見て、陸上部監督、マジ切れてたな~。

友人だった砲丸投げ選手には、謝まったのを覚えています。

こんなこと経験した反動か?

トレーナーになると、「何?なぜ?どうして?」と、時には常識にも疑問を持って追求して来た今、60歳半ばになりましたが、最近やっと身体作り(動き)が見えてきたように感じております。


⚪ 創始者 遠山喜一郎 先生

🌟 そう言えば、ビッグ・ウェーバーの同級生、真冬でも波打ち際でラジオ体操、タラタラやってた。

天然、人間離れしたタフなプロサーファーでしたが、ミュンヘンオリンピック平泳ぎ代表選考で決勝に残って、金メダルとった田口は速い!と言ってました。

プロの大会では、海が荒れて波がでか過ぎて、誰も沖にパドルアウト出来なかったとき、奴は一人パドルアウト、荒れ狂う海でシラっと波待ちしてたが、大会が成り立たないので中止になった。

見ていた知り合い達は、「鳥肌が立った!」と言ってたな~。

◯島さん、全くストレッチしない派でした…。