撮影日 2025.1.30(11枚目は2016.8.12)
撮影場所 豊橋鉄道渥美線 新豊橋駅
(8・9枚目は高師駅、11枚目は千頭駅)
前回まで掲載したJR東海213系5000番台のお別れ乗車の記事の
続きで、今回から初めて乗車する豊橋鉄道の記事を紹介します。
豊鉄は鉄道線と軌道線を保有しており、まずは鉄道線の渥美線に
乗車し終点の三河田原駅まで往復しました。
名鉄系ながら今の電車には名鉄らしさは殆ど感じられません。
(一枚目)
・ここは起点の新豊橋駅です。
JR及び名鉄の豊橋駅に隣接し、駅ビルが設けられています。
又駅前には軌道線の東田本線も乗り入れており、そちらは駅前
となのっています。
元は1927年に開業した豊橋駅前駅が由来で、1927年に現駅名に
改名されました。
豊橋鉄道は元は1924年に設立された豊橋電気軌道が由来で、
1939年に名鉄の傘下に入っています。
その後豊橋交通を経て1954年に現在の社名になっています。
渥美線は元は1924年に開業した渥美電鉄が由来で、1944年に
名鉄に合併し渥美線となった後、1954年に豊橋鉄道に譲渡され
以後同社の所属となっています。
尚他に飯田線の本長篠駅~田口駅間を結んでいた田口線も存在し、
ここは飯田線の前身の豊川鉄道の系列会社でしたが国有化されず
単独で残っていたものを1956年に合併したものです。
田口線は合併前から豊川鉄道に直通しており、飯田線成立後も
国鉄に乗り入れ一時期は国鉄が運行管理を行っていました。
こちらは1968年に廃止されています。
(二枚目)
・新豊橋駅のホームは1面2線となっており、有人改札も存在し
全線で使用可能な割引切符なども発売しています。
こちらは現在の主役、1800系(2代目・以下略)1805編成モ
1805です。この編成については別に紹介します。
前身の渥美鉄道は1924年に高師駅~豊島駅間を直流600V電化で
開業させました。開業時は他線区と繋がっておらず、国鉄の
豊橋駅に近い初代・新豊橋駅まで開業したのは1925年で現在の
駅に乗り入れたのは1927年でした。
一方1924年には三河田原駅、その後1926年に黒川原駅まで開業
しています。
戦時中に三河田原駅~黒川原駅間は休止され、再開しないまま
でしたがこの区間は豊鉄に移管されないまま1954年に廃止され
ました。
(三枚目)
・こちらは中間車モ1855です。見た目から分かる様に元東急
7200系の譲渡車で、この車両は運転台が無い完全な中間電動車
として新製された車両です。
渥美線は現在延長18.0kmとなっており、直流1500V電化で
1067㎜となっています。全区間単線で自動閉塞式(特殊)と
なっており、今では珍しく車掌乗務となっており頻繁に
車掌さんが車内を巡回していました。
平日日中は15分間隔の高頻度運行で豊橋近郊の輸送を担って
おり、車両も相まって都市型路線の感が強いです。
基本的に新豊橋駅~三河田原駅間の運行となっており、
僅かに車庫が有る高師駅行きが存在します。
全列車普通列車です。
(四枚目)
・ダイヤモンドカットが特徴的な1800系の制御車、ク2805
です。豊鉄には最終的に32両が譲渡され、地方私鉄の車両と
しては一台勢力となっています。
尚渥美線の車両は電動車は千・百の位は車体長を表わして
おり、1800系だと18m車です。制御車は千の位を「2」にして
区別しています(7300系除く)。
その為1800形・中間車の1810形はいずれも2代目の形式と
なっています(それぞれ先代は名鉄初代3300系、長電1100系
の譲渡車)。
戦後渥美線では名鉄のみならず各地から中古車を導入し、末期は
雑多な形式でもブレーキ方式を統一しカルダン/吊り掛け駆動、
戦前/戦後製、冷房車/非冷房車、クロス車/ロング車の併結が
日常的に見られました。多くは旧国鉄の機器が流用されて
いました。
しかし1997年に電圧が1500Vに昇圧、その際に車両が名鉄から
移籍した7300系に全面的に入れ替えられました。
7300系は28両が移籍し、2連の他に4連も移籍しましたが
同形式は吊り掛け駆動の旧型車の機器流用で2ドアクロスシート
という通勤輸送には向かない仕様でした。全車冷房化が図られ
ましたが代わりに全車吊り掛け駆動になるという事態になり
ましたが、同時に増発を行った際の新ダイヤに対応出来ず、
3年程度で今度は東急7200系に置換えられてしまいました。
それにより全車3連に統一、高性能化が図られましたが全車
オールロングシートになりました(7300系は予備で2002年まで
は残存)。
(五枚目)
・こちらはこれから乗車するトップナンバー編成、モ1801です。
斜めになった前面が斬新で、貫通路付きですが幌は有りません。
クーラーは分散式です。
元は1968年製デハ7209ですが、この車両は3代目で先代は元デハ
7203でした。しかし入線直後の車庫火災で当編成のモ1801と
1811は被災した為、部品取り車を同番号で整備しました。
元は東急7200系で、1967年から72年にかけ53両が製造され
ました。7000系(初代)に次いでのオールステンレス車で、
18m級3ドアなのは同一ですが、車体幅を狭めて運用線区を
広げ、又モーター出力を110kwに向上し1M1Tでの運用を
可能にしました。
機器は日立製と東芝製が存在し、東芝製は50番台となって
いました。
側窓は1段下降窓となり、前面形状も傾斜を付けより洗練
された仕様となりました。
尚2両だけアルミ車体で製造されており、東急唯一のアルミ
車両です。又1972年の最後の3両は冷房付きで落成し、
後にアルミ車以外は冷房化されました。
7200系は20m級の8000系・8500系等の増備も有り、目蒲線・
池上線に集結して行きました。
アルミ試作車はこどもの国線で最終的に使われました。
7200系は転用につれ編成組み換えが行われ、1987年から余剰
制御車を電装しVVVF制御化され7600系となりました。
一方新車増備により廃車が発生し1993年に上田電鉄に譲渡車が
登場し、2000年に残る全車が引退し豊橋鉄道と十和田観光
電鉄に譲渡されました。
7600系はその後も残存しましたが、2015年に引退しました。
結果的に7600系改造車とアルミ試作車以外は全て譲渡されて
います。
(六枚目)
・中間電動車モ1811(3代目)です。元は1966年製のデハ7204が
種車です。側面は両開き3ドアとなっており、初期のオール
ステンレス車らしくコルゲートが多数入っています。
この車も部品取り車を再整備したものです。
入線時は一部編成を除き窓周りが赤くなっていた程度でしたが、
後に各編成毎にラッピングされ「カラフルトレイン」となり、
花の愛称がついています。当編成は「ばら」です。
弱冷房車になっています。
本形式の足回りは中空軸平行カルダン駆動で、モーター出力は
110kwです。抵抗制御ですが複巻電動機を採用し回生ブレーキを
可能にしていますが、現在は回生ブレーキは使用停止しており
います。ブレーキは電磁直通式空気ブレーキです。
台車は空気バネ式で、当初は制御車の台車は特徴的なパイオニア
台車でした。豊鉄入線分は制御車の台車は交換されています。
(七枚目)
・制御車ク2800形ク2801で、1966年製クハ7502が種車です。
前面窓周りがブラックアウト化され、貫通路とドア脇には
愛称入りのイラストが貼られています。
豊鉄には2000年から入線し、当初3連9本が竣工しました。
種車は機器メーカー毎に車番が区分されていましたが、
豊鉄では編成毎にメーカーは統一されながらも車番の区別は
行われていません。
その後上述した様に火災復旧で車両の交換が有り、更に
増発に際し引退が進んでいた上田交通譲渡車を2両譲り受け、
部品取り車と合わせ2008年に追加で1本組成され現在は10本
体制となっています。
豊鉄入線時の改造は少なく、制御車に車椅子スペースが
付いた程度で東急時代に車内更新されていた車両はそのまま
の内装で使われています。
後にパンタグラフの交換やクーラーの換装、更に一部編成は
軌条塗油装置やセラミック噴射装置が台車に設置されました。
他に近年モケットや床の交換を行った車両がおり、既に車齢
50年を越えながらも元気に活躍しています。
(八枚目)
・こちらは高師駅撮影のモ1801です。
現在サイクルトレイン対応になっており、お洒落なロゴが
入っています。
電動車は各車パンタグラフを搭載しており、近年全車シングル
アームパンタに交換されました。親会社の名鉄でもシングル
アームパンタ化は積極的に行っていないので、まだまだ使う
つもりの様です。よく見れば床も…。
(九枚目)
・こちらは中間車モ1811です。東急7200系は1M方式で中間
車は中間電動車4両しか製造されず、その為後年この様に
中間封じ込めの電動車が発生し余剰となった制御車はVVVF化
され7600系になりました。
豊鉄では中間車も元運転台付きの車両はモ1810形となり、
1801~1803編成と1810編成(元上田交通車)が該当します。
その他の編成は元から中間電動車のモ1850形が組み込まれて
いますが、車番は通しとなっています。
(十枚目)
・運転台撤去部は窓や前照灯、尾灯は残存し乗務員室扉も
残ったままです。後に紹介しますが運転台機器は撤去されて
おり、分割しても使用する事は出来ないと思われます。
尚7200系は広幅貫通路仕様の為、この部分は貫通路に
スペーサーが付いています。
転落防止幌は有りません。
(十一枚目)
・最後にオマケですが、こちらは大井川鐡道でかつて乗車した
7200系です。十和田観光鉄道に移籍後、廃線により大鐵に
やって来たもので2両とも再移籍しました。
十和田時代に両運転台に改造され、新設運転台側は切妻仕様と
なりました。東急風の赤帯が入っているので8000系の様にも
見えます。
次回に続きます。
参考HP ウイキペディア 関連ページ










