撮影日 2025.10.1
撮影場所 各写真に記載
尼崎市内近くにはかつて活躍した阪神の旧型車たちが保存
されており、いずれも割と近い場所にかたまっています。
今回はその保存車達の写真を掲載します。
(一枚目)
・阪神本線の尼崎センタープール前駅の高架下にはかつて
本線系統(新設軌道線)で活躍した旧型車が2台保存されています。
阪神電鉄の保存車は少なく、公式での保存車はこの2台だけです。
(尼崎車庫に未だ留まる最後の「青胴車」5001形の動向が気になり
ますが)
残念ながら通常非公開で、公道から撮影出来たのはこの1枚で
これが限界でした。
左側は1141形1150号です。元は大正時代に製造された木造ボギー
車331形を鋼体化改造したもので、約14mの小型鋼製車で貫通車体・
2ドアとなっています。1936年田中車輛(現 近畿車輛)製です。
側窓上部に明り取り窓が付いたスタイルで、阪神の戦前の旧型車で
多く見られました。
一方右側は殆ど見えませんが、前面5枚窓の小型3ドアボギー車601形
604で、卵型の前面ながら貫通構造なのが特徴です。
1924年藤永田造船所製で、阪神初の半鋼製車で国内の鋼製車としても
黎明期の製造です。
戦後暫くまで阪神ではこれら小型車の天国でしたが、1954年以降
大型高性能車の導入が始まり特急・急行車「赤胴車」や普通車
「ジェットカー」の導入で1960年代までに引退しました。
大手私鉄の鉄道線としてはいち早く高性能化を達成しています。
これらの小型車は一部が地方私鉄へ譲渡され、この2両は和歌山県内
に存在した野上電気鉄道に譲渡されました。
同社は1,067㎜軌間の為南海などの中古の台車・機器を組み合わせ、
604→モハ24、1150→モハ32として活躍しました。
野上電鉄は末期は放漫経営とも言われており、近代化が著しく遅れ
90年代になっても一部富山地鉄からの戦後製の移籍車がいる他は
阪神中古の戦前製小型車が幅を利かせ、阪急の草創期の木造車を
鋼体化した車両すら現役でした。
しかし1994年に廃止となり、この2両は久々に阪神に里帰りし現役
時代のチョコレート色に復元されました。
貴重な存在ですが近くで見られないのが残念です。
(二枚目)
・続いて近くの水明公園に移動し、ここに保存されている軌道線
71形71号を撮影しました。
阪神電鉄は1975年まで軌道線を保有しており、末期は国道線・
甲子園線・北大阪線が存在しました。国道線は阪神間を結んでおり、
国鉄・阪急・阪神(鉄道線・軌道線)の4路線が並走していた事に
なります。
この車両は軌道線の代表的な存在で「金魚鉢」の愛称が有り
ました。
(三枚目)
・ここも周囲はフェンスで囲まれ、上屋が設けられています。
集会所としても使われている様で室外冷房機が設置されています。
71形は1937年から10両が製造されており、この車両は汽車製造
会社製です。15m級の全鋼製ボギー車で3ドアとなっており、
1枚目に掲載した当時の鉄道線(新設軌道線)系統の車両と余り
大きさは違いません。
モーター出力は29.8kwですが4基搭載しており、連結運転を実施
していた為間接自動進段制御で油圧カム式の多段制御とハイ
スペックな車両でした。
(四枚目)
・本形式の特徴は何と言ってもその優美な車体です。
当時流行の流線型スタイルに張上げ屋根、ノーシルノーヘッダー
の平滑な車体で窓は大変大きく、窓や扉の上部にはRが付いて
おり、阪神の軌道線の代表的な存在でした。
前形式の1形や31形といった半鋼製ボギー車は一般的な角型の
車体でしたが、一気にスタイルが変わりました。
同時期関西では京都・大阪・神戸の各市電が優美なスタイルの
車両を導入していましたが、それに引けを取らない仕上がりです。
(五枚目)
・訪問時は閉まっていましたが、中に入る事も可能です。
但しその部分の出入り口ドアは交換されています。
阪神ではその後同スタイルの91形や201形を導入し、それら
「金魚鉢」スタイルの車両が角ばったボディの1形や31形と
一緒に併用軌道各線を走り回りました。「金魚鉢」ボディの
各形式は1両も欠ける事無く廃線まで現役でした。
(六枚目)
・台車は汽車会社製で、当時一般的な板バネ台車で平軸受けと
なっていますが、一部コロ軸受けの試作車もいました。
左側には阪神の社紋も残っています。
(七枚目)
・阪神の併用軌道線の車両は固定ステップは無く、車内の
床はフラットでドアには可動式のステップが付いていました。
かつての福井鉄道の様な方式です。
その為ドア下部は普通の路面電車と違いスッキリしています。
(八枚目)
・71号の反対側前面です。
前照灯は窓上設置の埋め込み式で、前面窓の上部もRが付いて
います。前面も側面も窓の下端は揃っています。
一方窓の上端は前面から運転台窓、側扉窓にかけて滑らかに
上がっていく形状です。
戦前の車両としては破格の窓の大きさで、かなり明るい車内
だった筈です。
(九枚目)
・もう一両、74号は近くの蓬川公園に保存されています。
こちらは公道からも見えますが、木々に囲まれ見にくく
なっています。
尚現役時代の塗色は濃淡の茶色の塗り分けでしたが、この
2両ともかなり薄い色合いです。どちらも殆ど同じ色に見える
ので、色褪せたのではなく保存後に塗り直したのでしょうか。
(十枚目)
・かつては連結運転に備えトムリンソン式の密着連結器を装備
していましたが、2両とも取り外されたのか見当たりません。
尚集電装置は当初ポール集電で、後にポールの上部を改造して
ビューゲルと同等の機能にした「Yゲル」となっています。
前面窓下部の丸い物はYゲルの引き紐を巻き取るレトリーバー
です。Yゲルは1基搭載されていましたが、今でも残っているか
不明です。
(十一枚目)
・反対側です。こちらの車両も集会所の用途なのか出入り台が
設置され、横引きカーテンが追加されています。
後部標識灯は前照灯脇に設置されており、末期は行先表示に
サボを使用していた為行先表示器は有りません。
(十二枚目)
・71号もそうですが側面に説明板が設置されています。
フェンス越しなので見にくいですが。
それにしても今では車で賑わう近代的阪神国道(国道2号線)や
甲子園球場の脇をこれらの車両達が走っていたのは今となれば
想像もつきません。
甲子園付近の住宅街を走っていた甲子園線は現在でも阪神バスが
多く走っていますが、阪神間を結んでいた国道線の代替バスは
現在直通便は無くなり本数も減少、北大阪線の代替路線に
ついては減便を繰り返し遂に廃止されてしまいました。
以前西宮から野田阪神、そして北大阪線の中津まで阪神バスを
乗り通した事が有りますが、最早それは叶わなくなりました。
阪神電鉄の保存車は少ないですが、その中の4両が現役時代の職場に
近い場所に集結しており、訪問が容易なのは嬉しい限りです。
他にも少し離れた武庫川団地内(西宮市)では最後まで「赤胴車」色で
働き通した7890号も保存されています(以前紹介済み)。
今後もこれら貴重な車両達が長く保存される事を願います。
以上です。
参考HP ウイキペディア 関連ページ











