撮影日   2023.5.15

撮影場所  各写真に記載

 

前回に続き昨年乗車した鶴見線の記事です。

小雨の降る弁天橋駅のホームで次の海芝浦行きの電車を待って

いたら、車庫から何やら変わった色の電車がやって来ました。

 

(一枚目)

全く予期していなかったですが、南武支線の205系が出庫

して来ました。

参考文献の鉄道ピクトリアル誌(205系電車特集)には早朝に

弁天橋出庫→浜川崎→尻手→(終日運用)→夜間 中原入庫

という03H運用が有るとなっています。現車には603Hの表示

が出ており、これが該当しそうですが14年前の記事なので完全

に同じ行路か分かりません。

 

この車両は南武線の尻手駅~浜川崎駅間の支線・通称南武支線で

使われている205系1000番台です。

同線は南武線の本線区間とは完全に切り離されており、国鉄時代

から101系の2両編成が長く走っていました。民営化後も最後まで

残った101系で、JRの101系では唯一冷房化・ワンマン化されて

いましたが経年の為2003年から205系への置換が始まりました。

最初に中央総武緩行線転用車改造の2本が導入され、追加で1本

導入され新性能国電の始祖・101系の活躍に終止符が打たれました。

 

南武支線転用グループは1000番台となり、205系唯一の2両編成と

なる事から2両とも運転台を設置しています。

又本系列初のワンマン改造車となりました。

205系1000番台は民営化後にJR西日本が阪和線向けに導入した

番台と重複しますが、形式は被っておらず二車現存は有りません。

尚当初は南武支線編成+クハ205形1100番台を1両用意し鶴見線

予備編成とする計画が有ったそうです。

(二枚目)

この編成はW4(ワ4編成が正式?)で、この車両は南武支線

内では浜川崎向きのクモハ205-1004です。

弁天橋駅で運転停車していました。

 

元は1985年東急車輛製のモハ205-23で、国鉄時代に山手線

向けに落成したグループです。よって他の2本(ワ1・2)と

違い側扉窓が小窓です。

鶴見線用の1100番台と同仕様ですが、助士側にもワイパーが

有るのが相違点です。

塗色は南武支線の専用カラーで、2016年の小田栄駅開業に

際し側面の帯に五線譜が追加されています。

乗務員室扉上部には中間車時代の行先表示器を撤去した跡が

残っています。

(三枚目)

クモハ205形はパンタグラフを搭載しています。2009年に

シングルアーム式に変更しています。

運転台窓内部や側面には「ワンマン」の表示がされています。

フォントが懐かしい感じです。

(四枚目)

・相方クモハ204-1003です。

こちらはLED表示器が設置されています。

1100番台と同じく、短編成化でクモハ204形に車椅子スペース

が設置されています。もっとも車椅子マークは綺麗に消えて

しまい、ベビーカーマークだけが残っています。

転落防止幌も設置されています。

(五枚目)

クモハ204-1003の前面です。元はモハ204-23でした。

205系導入の際はまだ101系が残っていた為か、編成番号が

飛んでいます。

この車両は1000番台改造時に補助電源としてSIVを搭載

していますが、足回りの変更は行っていません。

 

101系に代わって長く活躍してきた205系ですが、まさか

新潟からE127系0番台が転入し置換えられるとは思いも

しませんでした。

但しE127系は2本しかないので、この編成はまだ残っていて

時折使用されています。

何気に首都圏では貴重な、昭和並びに国鉄時代製造車です。

(六枚目)

ワ4編成が走り去った後、次の目的地・海芝浦駅行きの

電車がやって来ました。海芝浦駅行きの始発ですが、車内は

結構混んでいました。

海芝浦行きは緑色の表示でした。

(七枚目)

駅間距離が短いので6分程で終点、海芝浦駅に到着しました。

ホームは1本だけ、上屋もベンチも何も有りません。

隣は東芝の工場です。

この写真は到着後暫くの撮影の為誰もいませんが、到着した

電車は6:30頃なのに大変混んでいて、皆足早に改札を出て

行きました。一体何時から働くのか、恐ろしき京浜工業地帯…。

 

この海芝浦支線は浅野駅~海芝浦駅間1.7kmの大変短い支線

です。途中は新芝浦駅だけで、多くの区間は東芝系の工場の

敷地内を走ります。無論車窓は工場、反対側は運河という

工場萌え向けの路線です。

1932年に新芝浦駅まで、1940年に海芝浦駅まで開業しました。

(八枚目)

海芝浦駅は工場の反対側は東京湾に面しています。

穏やかな水面の向こうには京浜の工場街や高架橋が見え、

晴れていたら大変景色が良さそうです。

日本一海に近い駅、と呼ばれる事も有りますが後述の様に

観光客には厳しい駅です。

本数自体は昼間でも1時間に1本は有り(走らない時間帯も有る)

大川支線よりも便利です。

駅名板にはハングルの表示も有りますが、ここまで来るのか?

オフピーク定期券の案内も貼られていますが、6:50~8:20

がピーク時間帯となっています。首都圏の実情は知りませんが、

何か早い時間の気がしますが?

(九枚目)

鶴見線は多くが埋め立て地で地名が無い場所だったので、

駅によっては関係者の名前を付けているのは有名な話ですが、

海芝浦支線の駅名はいずれも東芝の前身・芝浦製作所に因んだ

駅名です。

 

この駅が有名なのは、駅を出るとすぐに東芝の敷地となり関係者

以外の立ち入りが出来ない為です。外部から訪問する際は新芝浦

駅利用となるそうです。よって通勤客以外の利用は大変難しい

駅となっています。

「ようこそ海芝浦へ」と題した案内文には改札を出なくても精算が

必要と書かれています。今回訪問時はICカードだったので、短い

停車時間に下車し出場→入場を各下車駅毎にしましたが、通勤客

ばかりでさぞ目立ったはずです。

この案内文の下の方には帰りの本数が少ないという事がさらっと

書かれています。

(十枚目)

ホームの階段を降りるとすぐに「TOSHIBA」表示の建物に

繋がっています。国鉄・JRの駅なのに余所者の利用を想定して

いない特異な駅で、前身が産業用の私鉄ならではです。

(かつて存在した上武鉄道の終点、西武化学前駅も工場内だった)

 

しかし海に近く景色が良い事から観光目的の利用者も有り、

現在は海芝公園というものが設けられており小さいながらも観光

スポットとなっています。自販機も有ります。

但し今回訪問時は早朝で、9時の開園前でした。鶴見線は本数が

少ないので、平日早朝が乗り潰しには便利だったので…。

(十一枚目)

折返し待ちのT19編成 鶴見行きです。海芝浦支線は基本的に

鶴見駅まで直通し、線内折返しは有りません。

 

扇町方からクハ205-1109+モハ205-47+クモハ204-1109と

なっています。電動車ユニットは1985年日立製作所、制御車は

1989年川崎重工製です。

この編成も既に郡山に回送され、解体が始まっています…。

(十二枚目)

誰もいないクハ205-1109の車内です。

運転台は後年の設置の為オリジナルとは仕切りの形状が異なり、

仕切り扉は片面により中央に大きな窓が設置されています。

又運転席部分の後部には脱出用スペースが確保されています。

後年モケットは緑系で背面に模様が入ったものに交換され、

ドアには黄色のステッカーが貼られています。

(十三枚目)

同車の連結面側です。クハはクモハと違い車椅子スペースは

設置されていませんでした。

基本的には製造時から大きく変わっておらず、平天井でライン

フロー式の風洞に横流ファンを採用、クリーム系の化粧板に

薄茶色の床です。袖仕切りは荷棚一体型で薄茶色の仕切り板が

付いています。妻窓は無く、側扉や貫通扉はステンレス無塗装

となっています。消火器は撤去されて空になっていました。

優先席は東日本の専用モケットで吊手は黄色です。

尚205系は昭和62年度製の3次車から荷棚がパイプ式になって

おり、本車も該当します。

(十四枚目)

照明はLED化されていました。既に南武支線と合わせて

置換が決まっていましたが、最後まで手が加えられていました。

相模線の205系もLED照明でした。

 

妻面には改造を行った際のステッカーが貼られており、「東日本

旅客鉄道株式会社 秋田総合車両センター 平成17年改造」と

なっていました。わざわざ秋田での改造です。

下は製造銘板で、「川崎重工 平成元年」です。

(十五枚目)

こちらは中間のモハ205形車内で、防犯カメラが設置されて

いました。LED照明化はこれに合わせた為かも知れません。

尚電動車ユニットは製造時期が古い為、御覧の様に荷棚は

金網タイプでした。

(十六枚目)

これは帰路、浅野駅に向かっていた際の車内です。

沿線は東芝系の工場内が並んでいました。

帰路はガラガラなのに窓が曇っていたのは、往路で多くの乗客を

運んだ証です。

(十七枚目)

新芝浦駅~海芝浦駅間は単線ですが、工場への引き込み線が

伸びていました。工場内には専用線が見え、「トワイライト

ゾーン」的な有様でした。鶴見線自体が「トワイライトゾーン」

と言えなくも有りません。

 

 

次回に続きます。

 

参考文献  鉄道ピクトリアル No.830 2010.2      

 

参考HP   Rail Lab

 

      4号車の5号寄り

 

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