撮影日   2022.5.29

撮影場所  特急「伊那路」号車内

    

長く掲載してきた一昨年の北陸・中部旅行の記事も今回が

最後となります。

前回に続き一昨年乗車した特急「伊那路」の記事の続きで、

今回は終点・豊橋駅側の車窓の紹介です。

 

(一枚目)

飯田線の主要駅の一つ、中部天竜駅の駅名板です。

ここは1934年に前身の三信鉄道が佐久間駅として開業した

駅で、一時期終点だった時期も有ります。

ここから先、大嵐駅までの区間は1955年に佐久間ダム建設の

際に付け替えられています。

民営化後、構内に佐久間レールパークが設置され貴重な車両が

展示されていましたが、2009年に閉園しリニア・鉄道館へ

移設展示が行われましたが、移設されずに解体された車両も

いるのが残念です。

奥の建物がかつての佐久間レールパークでした。

 

尚、1935年に現駅名に改名された際は、読み方は

「なかっぺ」だったそうです。これは現地の地名由来で後に

現在の様に「ちゅうぶ」と読むようになったそうです。

ずっと中部地方にあるからだと思っていましたが、駅名の

命名方法としては大雑把過ぎて確かに不自然です。

(二枚目)

中部天竜駅の駅舎です。

平屋の駅舎で、構内踏切で島式ホームと連絡しています。

ホームは島式ホーム1面2線です。

飯田線では構内踏切で島式ホームと繋がっている駅を複数

見ましたが、国鉄の主要駅だと駅舎側1線+島式1面2線と

なりそうな構造で、この辺りに私鉄出自を感じます。

現在でも有人駅で、「伊那路」も停車します。

(三枚目)

ここは恐らく早瀬駅近く、天竜川の支流・大千瀬川(おお

ちせがわ)だと思います。

長く飯田線に沿ってきた大河・天竜川は中部天竜駅付近で

離れて浜松の方に流れて行きます。

(四・五枚目)

しばらく走ると、ユニークな駅舎が特徴的な東栄(とうえい)

駅が見えてきました。

1933年に三信鉄道によって開業した駅で、当初は三輪村と

名乗っていましたが、何度か改名され1956年に現駅名と

なりました。ここから愛知県に入ります。

島式1面2線の無人駅で、右側通行で通過しました。

この駅舎は所属する愛知県東栄町の伝統的な祭りで使われる

鬼の面をモチーフにしたとの事で、1992年に建てられました。

中部の駅百選の一つです。

(六枚目)

三河川合駅の手前付近です。

辰野駅から乗って来てかなり終点に近く感じてきましたが、

まだまだ豊橋の町からは離れておりこの様に山間部を

列車は通過して行きます。

建設中のトンネルと橋脚が見えますが、場所柄三遠南信

自動車道のものと思われます。飯田線に比べると遥かに

高規格で、「伊那路」にとっては難敵かも知れません。

もっともこの道路は部分的に開通していますが、中央構造線

を通過する為中々全通しておらず、鉄道と同じく建設の際に

苦戦を強いられています。

(七枚目)

三河川合駅です。

ここは1923年に豊川鉄道の子会社・鳳来寺鉄道により豊橋

側からの終着駅として開業しました。ここから天竜峡駅方面は

三信鉄道の手によって開業しています。

宇連ダム建設の際に賑わった事も有りますが、今は無人駅で

島式1面2線ホームとなっています。

(八・九枚目)

続いて三河槇原駅です。駅名に遂に愛知に来た事を感じ

ますが、飯田線の駅で旧駅名が付いているのは旧・豊川・鳳来寺

鉄道区間に多く見られます。

ここは1923年に鳳来寺鉄道により開業した駅で、現在は

無人駅です。構内踏切により繋がった、島式1面2線の駅ですが

駅舎側には貨物ホームの跡と思しきものが有ります。

標柱が建っている様に「愛知県民の森」最寄り駅です。

(十枚目)

ここは主要駅の一つ、本長篠駅の駅舎です。

「伊那路」も停車しここで折り返す列車も多いです。

元は鳳来寺鉄道により1923年に開業し、1968年まではここ

から豊橋鉄道田口線が分岐していました。田口線は豊川・

鳳来寺鉄道の系列の田口鉄道が前身で車両も共通運用されており、

豊川・鳳来寺両鉄道が国有化された後は国鉄の管理となり、

その後豊橋鉄道に合併された後も飯田線と直通運行して

いました。

 

当初は鳳来寺駅と名乗り、後に現駅名に改名されています。

木造平屋の簡易委託駅で、飯田線標準?の構内踏切を有する

1面2線の駅ですが、駅舎側にも側線が有り、かつてはここが

田口線のホームだったそうです。

写真中央寄り左側には「停車場中心」標識が見えます。

(十一枚目)

ここまで来るとかなり終点に近くなった気がした、新城駅の

駅名板です。ここも飯田線の主要駅の一つで、「伊那路」の

停車駅で当駅発着の普通列車も存在します。

単式1線+島式1面2線の業務委託駅で、豊川鉄道により

1898年に開業しています。

(十二枚目)

そして豊川駅です。豊川稲荷の最寄り駅で、1897年に

豊川鉄道が開業した際の終点で歴史ある駅です。

現在も主要駅で、豊橋方面へ区間列車が多く運行され「伊那路」

停車駅です。

単式1面+島式1面2線で1996年開業の橋上駅舎を有しており、

近代的な様相です。有人駅となっています。

(十三枚目)

ここは目の前に名鉄豊川線の終点、豊川稲荷駅が設置

されています。特急等優等列車も乗り入れますが、豊川線は

実は軌道法準拠となっており、開業時は路面電車スタイルの

車両が走っていました。岐阜地区の軌道線が廃止された後、

秘かに残る名鉄最後の軌道線です。

 

停車中の電車は名鉄一宮行き急行で、3300系(3代目)

3312編成です。2017年製の7次車で、オールロングシート

且つ新塗色で製造された編成です。

(十四枚目)

そして小坂井駅を通過しました。

1898年に豊川鉄道により開業しており、相対式2面2線です。

現在は無人駅で普通しか停車しない小駅ですが、かつては

現在の名古屋本線の源流一つ、愛知電気鉄道の終着駅だった

事が有ります。1926年に当駅に至った愛電はここから豊川

駅まで乗り入れていましたが、1927年に愛電の伊奈駅から

豊橋方面へ延伸が進み、伊那駅から当駅までは支線となり

ました。名鉄成立後も小坂井支線として残り、伊那駅との

間に1駅だけの区間列車も有りましたが、1954年に廃止

されました。

(十五~十七枚目)

小坂井駅を過ぎ、次の下地駅方面に進むと右手から名鉄

本線が見えてきました。

有名な話ですが、上述した様に1927年に豊橋乗り入れを

果たした愛知電気鉄道は豊川鉄道に直通し、新たに設けられた

平井信号場から豊橋駅(当時は豊川鉄道は吉田駅と名乗っていた)

までの区間は線路を共有していました。

豊川鉄道国有化後もこの形態は変わらず、上記区間は複線

ですが1線ずつJRと名鉄の所有になっています。

尚信号場自体は廃止されています。

(十八枚目)

赤い名鉄電車がやって来ました。

恐らく3500系又は3700系の4連と、3100系の2連です。

JRにとっては支線区ですが、名鉄にとっては大動脈です。

(十九枚目)

かなり日が暮れてきました。夕陽の中鉄橋が佇むのは

豊川放水路でしょうか。

(二十枚目)

これは恐らく合流する旧・平井信号場付近でしょうか。

JRと私鉄、ライバル会社が呉越同舟という全国的にも

珍しい区間です。

(二十一枚目)

これは恐らく豊川の鉄橋だと思います。

続いてJRの東海道本線が近づいてきました。

東海道本線と名鉄・飯田線は豊橋駅手前で並走しますが、

東海道本線には駅は有りません。

(二十二枚目)

そして最後に、船町駅のホームです。豊川鉄道が新船町駅

として設置したもので、開業は遅く1927年です。

名鉄との供用区間には下地・船町の2駅が有りますが名鉄は

停車せず飯田線も普通列車の一部は通過します。

島式1面2線ホームは名鉄・飯田線で、隣の複線は東海道

本線です。

 

そしてここで夜を迎え、且つ豊橋駅では僅かな時間で新幹線に

乗換となり豊橋駅での撮影は叶いませんでした。

 

 

これで一昨年の北陸・中部旅行の記事は終わりです。

3泊4日ですが、北陸地方を巡った後新潟を巡り、そして

長野県内を走る長大路線を制覇するという大変長い旅行で、

大変感慨深いものでした。観光列車にも複数乗車出来、

とても面白い旅行でした。

また乗車してみたい路線も多く、再度の乗車機会を楽しみに

しています。

以上です。

 

参考HP  ウイキペディア 関連ページ