撮影日   2022.5.29

撮影場所  特急「伊那路」号車内

      (1枚目は飯田駅)

 

前回に続き一昨年乗車した特急「伊那路」の記事です。

今回からは車窓の紹介です。長かった旅も終わりが近づき、

山の中での旅の終りには寂しさを感じました。

 

(一枚目)

これから豊橋駅まで向かう「伊那路」用373系F5編成です。

途中、天竜峡・温田・平岡・水窪・中部天竜・湯谷温泉・

本長篠・新城・豊川駅に停車します。

約2時間半、セミコンパートメントに同行者と陣取りまったりと

過ごしました。

(二枚目)

最初の停車駅、天竜峡駅です。

飯田線の主要駅の一つでここで折り返す列車も多いです。

名前の通り、天竜峡の玄関口で有人駅です。

ここは1927年に飯田線の前身の一つ、伊那電気鉄道の手に

よって開業し当初は終着駅でした。ここから先は三信鉄道に

よって開業した区間です。

(三枚目)

同行者が写り込んでいますが、天竜峡駅の駅舎です。

駅舎は観光地らしく開業時から洋風で、1990年に改築された

そうです。ホームは2面3線で構内踏切が設置されています。

(四・五枚目)

この辺りは天竜川に沿って走り、景勝地「天竜峡」に沿って

走ります。山間の緑の中、水面は静かに広がっていました。

(六枚目)

余計なものが写ってしまいましたが、この様に水流が少ない

箇所も有りました。

この辺りは天竜川に沿っていて、この様に平地が広がり民家や

田畑が有る場所は少なかった気がします。

多分唐笠駅付近だと思います。

(七・八枚目)

これは恐らく、為栗(してぐり)駅付近の「信濃恋し」だと

思います。ここで天竜川は大きく流れを変えており、景勝地と

して知られています。

飯田線は天竜川を眺めるのに最適ですが、観光客は現在余り

鉄道を使っていない様です。

(九枚目)

平岡駅に停車しました。1936年に三信鉄道により開設

された駅で、当初は満島駅と名乗っていました。

1面2線の駅で駅舎には温泉などが入居していますが、現在は

無人駅です。

ここでは天竜峡行きの213系と交換しました。

写真はH6編成で、運転台後部の車椅子スペースは後年の

増設です。ここは電車とホームの段差が大きいです。

(十枚目)

クモハ213-5006です。シングルアームパンタに改造されて

います。1989年日立製作所製です。

(十一枚目)

秘境駅感が漂う鶯巣(うぐす)駅です。

1936年に三信鉄道によって開設され、ホームは1面1線だけで

駅舎は無く小さな待合室が有るだけです。

飯田線は有名な小和田駅や田本駅(いずれも撮影出来ず…)の

様な「秘境駅」が多い事で有名ですが、ここもいい感じが

漂っています。近年の1日平均乗車数は3人らしいので…。

(十二枚目)

お隣、伊那小沢(いなこざわ)駅です。1936年に三信鉄道に

よって開設されました。

相対式2面2線で右側通行となっており、天竜川に沿っていますが

少し高い所を走っていて鶯巣駅と同じく川面は見えませんでした。

ここは「秘境駅」と認定?されており、臨時急行「飯田線秘境駅

号」も停車します。ここは1日平均乗車人数は2人です。

(十三枚目)

飯田線は難読駅が多く、この大嵐(おおぞれ)駅もその一つ

です。ここも1936年の三信鉄道が設置した駅です。

島式ホーム1面2線で、右側通行で側線も有ります。

 

尚ここは既に長野県では無く、静岡県です。近年の合併で

政令指定都市の浜松市になったのには違和感を覚えます。

ここは長野や愛知県の県境に近く、駅は愛知県豊根村富山

地区(旧・富山村)の玄関口で看板が建てられています。

東京駅の赤レンガの駅舎をモチーフにした駅舎は厳密には

豊根村管理の休憩所だそうで、旧・富山村が1997年に建設

したもので無人駅です。

(十四枚目)

夕陽の中、山間の平地に建物が密集する水窪駅近辺です。

飯田線の佐久間駅から大嵐駅までは1955年に佐久間ダム

建設により大幅に付け替えられた区間です。

ここはその際に設置された駅です。

この付近はかつて水窪町でしたが、浜松市に合併されています。

「ローカル線」「秘境駅」の代表格、飯田線が政令指定都市を

走るのは不思議な感じがします。

(十五枚目)

水窪駅は平屋の駅舎が有り、1面2線で構内踏切が設置されて

います。無人駅となっています。

かつては遠江二俣(西鹿島駅)から国鉄→JRバスが中部天竜や

水窪に向かって伸びており、国鉄佐久間線の先行の役割を果たして

いました。JR東海バスに引き継がれましたがその後廃止、遠鉄バス

に引き継がれ更に今では浜松市の自主運行バスとなっています。

(十六・十七枚目)

ここで213系H14編成と交換しました。1991年日本車輛製です。

飯田線の213系にも乗車してみたいですが、そろそろ引退なので

難しそうです。

(十八・十九枚目)

水窪駅から向市場駅付近です。

眼下の川は水窪川と思われ、川沿いの狭い土地を利用して

建物が建っています。

(二十枚目)

佐久間駅の駅舎です。

1936年に三信鉄道が佐久間水窪口として開設したもので、

佐久間ダム建設で移転しています。

小綺麗な駅舎は1989年に建てられたもので、図書館が同居

していますが無人駅です。

島式ホームだったものを1面1線に減らした為、駅舎との間が

遠くなっています。

ここも1日平均乗車人数は7人だそうです。

(二十一枚目)

ここには何やら得体の知れない保線車がいました。

手前のムカデの様な黄色い物体はレールには乗っていませんが、

用途は何なのでしょうか?

(二十二枚目)

駅近くにはダム関連の設備が見られました。

佐久間ダム建設は大掛かりで、飯田線も大きな影響を受けて

おり、切っても切れない存在です。

 

次回に続きます。

 

参考HP   長野県魅力発信ブログ

 

      Rail.Lab

 

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