撮影日   2022.5.29

撮影場所  各写真に記載

 

前回に続き一昨年乗車の北陸・中部地方の記事です。

今回からはいよいよ最終目的の飯田線の完乗を目指します。

本州屈指の長大電化ローカル線で知られる飯田線、今回

初めての乗車ですがそれと共に完乗を目指します。

全区間直通列車も存在しますが、今回は飯田駅まで普通

列車、飯田駅からは特急「伊那路」号に乗車しました。

5時間以上の長い旅路にこれから挑んで行きます。

 

(一枚目)

飯田線は東海道本線の豊橋駅を起点とし、中央本線の

辰野駅まで195.7km、駅数は94駅という大変長い路線です。

豊橋駅から豊川駅までは複線、それ以外は単線となっています。

終点の辰野駅は中央本線の旧線区間で、その先中央本線に直通し

岡谷駅や更にその先上諏訪駅・松本駅方面に直通する列車も

存在します。

今回の列車も松本駅始発で、岡谷駅まで中央本線の新線区間を

走りスイッチバックを行って飯田駅まで走ります。

先述の様に全区間直通する普通列車(6時間以上かかる)も存在

しますが、途中の豊川・豊橋・中部天竜・天竜峡・飯田・

駒ヶ根駅発着も多く運行区間もバラエティに富んでいます。

写真は塩尻駅で、中央本線旧線を乗車した後これから313系の

2両編成の飯田駅行きに乗車しました。

 

長い路線の為成立の経緯も複雑で、最初は豊川鉄道が豊橋駅

~豊川駅間を1897年に開業させたのが嚆矢となります。

辰野方面からは伊那電車軌道が辰野駅~松島駅間を1909年に

開業させたのが最初で、以後双方が延伸を重ねました。

非電化だった豊川鉄道は後に電化、併用軌道だった伊那電も

後に専用軌道となりました。

豊川鉄道は長篠駅(現 大海駅)まで開業後、子会社の鳳来寺

鉄道により三河川合駅まで開業させ、伊那電は天竜峡駅まで

開業させましたが、中央の三河川合駅から天竜峡駅間は

別会社の三信鉄道により工事が進められ、1937年に全通

しました。

全通以後、会社を跨いでの直通列車も運転されましたが、

旧伊那電区間は1200Vで他社は1500Vだった為、付随車のみ

直通運転を行っていました。

 

その後1943年には全線が国有化され、飯田線となりました。

1955年には全区間が1500Vに昇圧され、又佐久間ダムの

工事により途中区間の付け替えが行われました。

車両は当初合併前の買収車が使われましたが、順次省電の

標準型が転入し17m→20m車と大型化が進みましたが、

長距離線区の為クロスシート車も多く、戦前の「関西急電」

モハ52形なども使われており、旧型国電の宝庫でした。

しかし1983年から119系電車が飯田線向けに導入され、

旧型国電の運用は終了しました。

 

民営化後は全区間がJR東海に引き継がれましたが、長く

長野まで直通の急行→快速「みすず」が運行されていた

事も有り、現在も一部JR東日本車が乗り入れます。

飯田線の特有形式だった119系は2012年に引退し、現在

線内の普通列車は313系が主力で一部に213系5000番台が

使われ、一部はワンマン化されています。

(二枚目)

上写真のJ173編成、クモハ313-1703の車内です。

ドア間は転換クロスシートとなっており、車内は白系で

床はグレーで塗り分けられています。

ドア上にはLED式の案内装置が設置されています。

(三枚目)

天井は平天井でラインフロー式、横流ファンも付いています。

照明は蛍光灯でカバー付きとなっており、上質な印象です。

吊手は丸型となっています。

仕切り窓は大窓ですが、ワンマン運転は非対応です。

(四枚目)

・ドア間座席はバケット式転換クロスシートが並んでいます。

モケットは青系で、カバー付きとなっています。

飯田線ではセミクロスシートでワンマン対応の3000番台が

主流ですが、乗車列車はたまたま3本しかいない1700番台で、

快適な乗車でした。

(五枚目)

車端部は1000番台シリーズ標準でロングシートになって

おり、優先席扱いでオレンジのモケットに黄色い手すりです。

妻窓は無く、貫通扉は大窓でドアは水色です。

飯田線では他に213系5000番台も転換クロスとなっています。

(六枚目)

これからは車窓の紹介です。

飯田線は結構駅間距離が短くまったりと走る上に、快適

過ぎて疲れが出て寝てしまい、みどり湖経由の中央本線新線

区間も辰野駅も撮影出来ず、気が付いたら伊那松島駅でした。

写真は伊那松島駅に隣接する伊那松島運輸区で、広い構内を

持ちます。

元は1909年に伊那電車軌道の松島工場として開業した、

歴史がある基地で国有化後も機関区として存続し、旧型国電の

基地として知られていました。

現在は乗務員基地となっていますが、当駅折り返し列車も存在し

この様に留置車両も見られます。

(七枚目)

伊那松島運輸区には213系5000番台が2本停車していました。

これは1990年東急車輛製のH13編成で、クハの車端部には

後年車椅子対応大型トイレが設置されており窓が埋められて

います。

 

213系5000番台は国鉄時代、快速「マリンライナー」用と

して導入された基本番台を元にJR東海が導入した形式です。

1989年から2両編成14本が導入され、基本番台と違い全て

2連でクモハ213形+クハ212形となっています。

基本番台との違いはクーラーが集約分散式となり、車端部

座席がロングシートとなり、又トイレは省略されました。

台車も変更されています。

当初は名古屋地区に導入され、主に関西本線等で使われ

ました。その後2011年から飯田線での運用に改められて

います。

導入後の改造はシングルアームパンタ化や車椅子対応化、

トイレ設置や押しボタン式半自動ドア化程度で比較的

原型を保っています。

117系亡き後、東海の近郊型電車唯一の2ドア車です。

(八枚目)

ここは恐らく伊那北駅と伊那市駅の間の小沢川を渡る

区間だと思います。

涼しそうな川を渡り、奥には信濃の山々が見えます。

5月ですが雪が残っている様です。

(九枚目)

途中の主要駅、駒ケ根駅では213系のH2編成が停車中

でした。1989年日本車輛製です。

分散式のインバータークーラーにシングルアームパンタが

東海の車両らしさを感じます。

尚213系はワンマン化されていません。

飯田線に向いていそうな本形式ですが、315系導入により

211・311系と共に引退予定です。

未だ廃車が出ていませんが、先は短そうです。

どこか買ってくれないでしょうか…。

(十枚目)

ここは小町屋駅付近だったと思います。

晴れ渡った空に信濃の山が聳え、大変気持ちの良い景色です。

(十一枚目)

ここは田切駅付近だったと思います。

写真の川は伊那福岡駅と田切駅の間に有る、中田切川でしょう。

この辺りは民家が少なく、田舎らしい風景になってきました。

(十二枚目)

直線区間が多かった今までの区間に比べて、この付近は

カーブが多く存在します。

伊那谷の中、天竜川にそそぐ中田切川などは河川による浸食が

激しく大きな断崖を作っている箇所があり、その様な場所では

線路や道路は大きく迂回して傾斜を緩めており、この様に

カーブが多くなっています。

田切なる地名もこの様な地形が由来だそうです。

(十三枚目)

田切の地形を過ぎ、飯島駅付近になると穏やかな地形に

戻ります。

もうすぐ夏を迎える田圃には水が張られていました。

(十四枚目)

ここは山吹駅付近だったと思いますが、線路は少し高い

場所を走る区間も有りました。

眼下には田畑が広がり、遠くには民家が広がっています。

恐らくその間には天竜川が広がっている筈です。

飯田線は伊那谷を通過し、天竜川に沿って走りますがこの

付近では余り良く見えません。

 

次回に続きます。

 

参考HP   Rail.Lab

 

      ウイキペディア 関連ページ