撮影日   2022.5.28

撮影場所  長野電鉄長野線 須坂駅付近

 

前回に続き一昨年訪問した長野電鉄の記事です。

「ゆけむり」1000系に乗車し須坂駅で下車しましたが、ここに

長野電鉄の車両基地が有ります。次の乗車予定の列車までの

つかの間にここで撮影を行いました。

そして構内にはかつての名車が眠っていました。

 

(一枚目)

広い須坂駅構内には2100系(元JR東日本253系)、3000系(元

東京メトロ03系)、8500系(元東急8500系)に加えかつての主役、

3500系(元営団地下鉄3000系)が複数休んでいました。

この時撮影出来たのは2連のN3・7・O2編成と3連のL2編成だけ

でしたが、他にN6・8編成もいた可能性が有ります。

尚2年前の撮影なので現在一部編成は解体された様です。

 

長野電鉄3500系は営団地下鉄(現 東京メトロ)日比谷線3000系を

1992年から1997年にかけ39両譲受(1両は部品取りのまま)した

車両で、長電初のセミステンレス車です。

18m級3ドア両開き・オールロングシートで2連のN編成(非ワンマン)

同じく2連で木島線の車内収受対応ワンマンのO編成、3連のL編成が

存在し3連は3600系となりました。

N編成は8本・O編成は6本・L編成は3本導入され、更に2両が部品

取り車でしたが1両が後に事故廃車の代替で復活しています。

入線に際し、耐雪ブレーキ設置や勾配区間対応が行われ、塗色は

元のステンレス無塗装の車体に赤帯が入りました。

本系の導入で自社発注で地方私鉄の電車初の20m4ドアを採用した

0系、東急初代5000系を改造した2500・2600系、木島線のワンマン

運用に残存していた自社発注で最後の吊り掛け駆動車だった1500形が

引退し、近代化に貢献しました。

 

その後全編成がワンマン化され、N3~8編成とL編成全ては2001年に

冷房化されましたが、木島線の廃止により余剰が発生し8500系導入で

2005年から廃車が発生しました。

しかし8500系の導入は6本で中断し、信州中野駅以遠の勾配区間に

入れない事も有って一部編成が残り続けましたが、新鋭3000系の

導入で引退が進みました。

訪問時点ではN8編成がまだ現役でしたが、2023年1月に運用を離脱

しています。尚今でもN8編成など一部は廃車されていない様ですが、

運用に就く事は無いでしょう。

又営団時代もトップナンバーだったN1編成は東京メトロに返却

されています。

(二枚目)

これはN7編成で、湯田中方からモハ3507+モハ3517の

2連です。

モハ3500形がパンタグラフと制御装置付き、モハ3510形が

MG・CPを装備しています。当編成は営団時代は3051+3052で、

1963年製の4-2次車でした。

訪問の少し前2022年3月末に引退しており冷房改造車でした。

長電では先頭車は全車営団時代先頭車だった3000形を種車と

しており、奇数車に制御装置、偶数車にMGとCPを搭載して

いました。パンタグラフは全車搭載していましたが、モハ

3510形はパンタグラフが設置されています。

(三枚目)

奥に見える3000系は奇しくも営団時代に代替となった03系が

種車で、長野でも同形式による世代交代が行われました。

更に日比谷線を走った第2世代の車両(メトロ03系・東武20000系・

東急1000系)は揃って長野県内の私鉄に再就職しています。

奥にも3500系が見えます。

(四枚目)

構内には他にも3500系が停まっていました。丸みを帯びた

パノラミックウインドウの前面には愛嬌があり、「マッコウ

クジラ」の愛称が付いていました。

 

種車の営団3000系は日比谷線開業に合わせ1960年から70年に

かけ最終的に305両が導入されました。東急及び東武との相互

乗り入れを念頭にしており、営団地下鉄初の1067㎜・架線

集電方式で導入されました。車体は営団初のセミステンレス

車体を採用、又初めてATCが採用されました。

足回りについてはWN駆動を採用しモーター出力は75kw、全

電動車方式を採用しました。ブレーキは発電ブレーキ併用の

電磁直通ブレーキで、制御装置は抵抗制御ながら加減速を

滑らかにする為超多段式のバーニヤ制御を採用しました。

 

当初2両から出発した日比谷線は増結を続け最終的に8両編成

まで発展し、一部の中間電動車は4000・4500形となりました。

相互直通先のATSは会社によって異なった事から、東急のみ

対応・東武のみ対応・双方対応編成と分かれていました。

一部車は更新工事が行われながらも本格的な改造は行われず、

冷房化されないまま1988年から03系導入により廃車が発生し

1994年に引退しています。同じく日比谷線第一世代の東急

初代7000系・東武2000系も同時期に引退しています。

尚営団3000系譲渡車は本系だけですが、足回り類は他社にも

譲渡されています。

それにしても東急の乗り入れは廃止され、更に18m級8連から

20m級7連へ車両規格が変わるとは思いもしませんでした。

(五枚目)

この時構内の側線には3連1本と2連×2本が並んで留置されて

おり、長大な編成でステンレス車体の為錆が全く見られず、

現役のような姿でした。

しかし既に並んでいた車両は一部が除籍されてた様でした。

(六枚目)

・一度途中下車し、跨線橋から撮影しました。

長野では撮影時点では入線から32年となっており、営団時代

の活躍期間とほぼ同じでした。

(七枚目)

こちらは上写真で撮影したN7編成です。

JR・営団(東京メトロ)・東急で走っていた車両が1枚に

収まっています。東京時代は近くを走りつつも顔を合わせない

車両達でした。

(八枚目)

続いて駅の外に出て側線に留置されていた3本を撮影しました。

駅舎側からL2編成・N3編成・O2編成の3本が並んでおり、

長電3500系列の全タイプが並んでいました。

方向幕は白幕表示でした。

尚L2とN3編成は訪問後、2023年1月に解体されました。

(九枚目)

・L2編成は湯田中方からクハ3652+モハ3602+モハ3612

となっており、この車両はクハ3652です。

元は3055でしたが、長電ではL編成のクハ3650形は全車

営団時代の3000形奇数車を電動解除しており、モーターや

制御装置は撤去されましたがパンタグラフは残っています。

両先頭車は1963年製の4-2次車が種車です。

(十枚目)

中間車モハ3602です。制御装置付きですが、パンタグラフは

撤去されています。3600形は3本共全車冷房化されましたが、

訪問時は全て引退しておりこの1本しか見ませんでした。

 

種車の3500形は営団3000系の最終増備の9次車グループで、

8連化の為に増備され簡易運転台付きのグループでした。

4500形改造車以外は全て9次車として一挙に増備されました。

又8次車以来の仕様変更でファンデリアから扇風機となった他、

このグループでは荷棚がパイプ式から金網式となり、側扉窓は

小窓になりました。

小窓改造は既存車にも後に行われており、更に営団では他の

路線でも行われて8000系まで小窓で導入されました。

(十一枚目)

営団3000系の窓構造は変わっていて、2段窓ですが上下窓

とも同じレール上に存在し、上段は下段の上に載っている

構造です。上段は全開可能、下段は上昇式で一部だけ上昇

可能でした。何度か仕様は変わった様で、最終的に上下段

非対称の姿になった様です。

車内はベージュ系の内装で、モケットは青系です。

(十二枚目)

こちらはモハ3612です。

営団時代の種車は3056でした。側扉窓は小窓に変更されて

います。

運転台側面部は曲線が多用され、コルゲートもそれに合わせて

付けられており手の込んだ印象を受けます。

次の東西線向け5000系は方針が変わってコスト削減を目指す

事となり、前面も切妻とシンプルになりました。

次の6000系では一転して斬新なデザインになりましたが。

(十三枚目)

中間にいたのはN3編成で、この車はモハ3503でした。

車番フォントが独特で、営団時代と似ています。流用したの

かも知れませんが、3600番台車は営団時代存在しませんでした。

乗務員室及び側扉にもコルゲートが入っており、丁寧な造作が

窺えます。

(十四枚目)

モハ3503の側面です。

シルバーシートのステッカーも残っています。

営団時代3049で、当編成はいずれも1963年製4-2次車でした。

(十五枚目)

N3編成の車内は白系の化粧板に茶色のモケットでした。

営団時代、1986年以降のB修工事車は白系の化粧板に変更

されていた様で、その為でしょう。

一方モケットは長電で様々なモケットに交換されていた様で、

8500系でも多様なモケットが存在します。

(十六枚目)

当編成も冷房改造されていました。本系列の冷房は分散式で、

2001年以降の改造です。京成から譲り受けた冷房装置との

事ですが、時期的に3150形由来でしょうか。

補助電源のSIVは営団東西線5000系の発生品だそうです。

(十七枚目)

こちらはモハ3513です。営団時代3050でした。

ステンレス車ですがドア周りには痛みが見られます。

尚上述の様にL2編成と共に2023年に解体されており、既に

除籍されていた可能性が有ります。

(十八枚目)

そして一番奥に止まっていたのは唯一残っていたO2編成

でした。2連の主流N編成と違い木島線等の支線区向けに

車内収受式ワンマン化されていた編成でしたが、冷房化が

行われず早期に余剰となり、最後はこの編成だけが残り

最後の非冷房車となっていましたが、2019年に引退しました。

しかしまだ休車扱いで除籍されてはいない模様です。

この車はモハ3522で、O編成は3520番台となっており

3520形はパンタと制御装置付きです。

営団時代3037で、当編成は1963年製4-2次車でした。

(十九枚目)

台車はSUミンデン式の空気バネ台車、FS-510です。

長野電鉄では従来2000系最終編成(D編成)だけがエアサスで、

同社の通勤車初の空気バネ台車となりました。

営団時代はFS-336、次いでFS-348が採用されましたが後者は

欠陥が有り、1981年から一部部材を流用してFS-510に更新

されました。長電にはFS-510台車の車両が譲渡された様です。

(二十枚目)

相方のモハ3532です。モハ3530形はMGとCPを備えます。

営団時代3038でした。

非冷房の為屋根上はスッキリしており、箱型の通風器が残存

しています。妻面にもコルゲートが見えます。

(二十一枚目)

最後に、モハ3532の前面です。行先は須坂になっています。

この編成は赤帯が外され、まさに営団時代の姿と殆ど変わらない

状態で一目見て大変感激を受けました!

貫通扉にもコルゲートが入っていて大変丁寧な仕事ぶりです。

もう現役復帰する事は無いでしょうが、丸みを帯びて太陽が

輝くステンレスの車体は大変美しく見えました。

 

須坂駅にはまだ何本か3500系が眠っている様ですが、いずれ

解体されると思われます。しかし1両くらい保存されたら、と

希望を抱かずにはいられません。

 

次回に続きます。

 

参考HP  昭和鉄道総合車両所

 

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