撮影日   2022.5.28

撮影場所  特急湯田中行き 車内(14枚目は須坂駅)

   

前回に続き一昨年乗車した、長野電鉄の看板特急電車1000形

「ゆけむり」の記事で今回は乗車時の様子です。

訪問時は須坂駅までのショートトリップでしたが、中々

楽しめました。

 

(一枚目)

今回乗車時は最後部4号車の展望室への乗車でした。

よって進行方向後部の前面展望ですが、小田急「ロマンス

カー」の展望室最前面に初めて乗車出来ました。

と言ってもこの時は「ロマンスカー」車両への乗車は2回目で、

最初は引退前の「VSE」でしたが。

ここは始発の長野駅で、2面3線の内中央の2番線からの出発

でした。小田急時代は始発の新宿駅では基本的に地上ホーム

から発着していた為この様な光景は見られなかった筈です。

(二枚目)

8500系の普通電車を横目に出発して行きます。

LED照明になっている様で構内は明るくなっていますが、

やはり古さを感じます。

長野電鉄は1981年に善光寺下駅までの区間を地下化して

おり、地方都市ではかなり早い存在でした。

又その際に旧型車を一掃する為東急から「青ガエル」初代

5000系を大量導入しており、その後の同系が地方へ移籍する

契機となりました。

(三枚目)

ここは権堂駅です。2面2線のシンプルな駅ですが、長野の

中心街で外には商店街も広がっており、長電の本社も当駅が

最寄りで主要駅の一つと言えます。

特急も全列車停車します。

尚長電の地下区間は駅毎にラインカラーが設定されていて、

権堂駅はオレンジです。

(四枚目)

・水色の帯が入っているのは善光寺下駅です。

名前の通り名刹・善光寺の最寄り駅で普段は普通しか停まり

ませんが、この時は御開帳の時期で特急も臨時停車しました。

座席に刺繍をわざわざ入れたりすることからも、長電にとって

善光寺が特別な存在である事が窺えます。

(五枚目)

ブレ気味ですが、善光寺下駅を出発すると地上区間です。

複線で周囲には住宅が立ち並び、都市化が進んでいます。

(六枚目)

これは善光寺下駅の次駅、本郷駅を過ぎた辺りです。

長野電鉄は地方私鉄では珍しく一部区間が複線となっており、

長野近辺は比較的高頻度の運行です。

車窓に山が見えてきましたが、まだまだ周囲には住宅が並び

大都市近郊の様相です。

(七枚目)

・橋上駅舎で近代的な信濃吉田駅を過ぎた辺りです。

高層住宅が並び比較的新しい(1997年完成)橋上駅そして

複線区間の組合せは大手私鉄並みです。

ここで最新鋭の元東京メトロ車の3000系とすれ違いました。

3000系についてはいずれ紹介します。

(八枚目)

まだまだ複線区間ですが、ようやっと地方私鉄らしくなって

来た朝陽(あさひ)駅です。

構内踏切がある地上駅に1926年の開業時から建っている木造

駅舎の組合せが堪りません。

無人駅ですがB特急は停車します。

周囲はまだまだ住宅地で駐輪場には自転車が一杯停まっており、

利用客は結構多い様です。

(九枚目)

朝陽駅を出発して単線区間に入ります。

ロマンスカーに単線区間の組合せは箱根登山鉄道(まさかの

小田急箱根鉄道になりましたが)区間で見られましたが、

ここ長野でも箱根、いやそれ以上の勾配を登ります。

何せ入線時に抑速ブレーキを強化したくらいなので…。

但しこの付近はまだ住宅街です。奥に信州の山々が見えます。

(十枚目)

そして柳原駅を出発し、村山橋梁で千曲川を渡ります。

朝から飯山線沿いでずっと付き合ってきた大河ですが、

ここで再びまみえました。

 

(十一~十三枚目)

この村山橋梁は長く鉄道道路併用橋として知られていました。

有名な名鉄の犬山橋の様に車道と分離されていない構造では

無く、ガードレールで分離されていましたが特異な存在でした。

2004年以降順次架け替えと共に鉄道と道路の橋梁の分離が

行われ、現在の形態になりました。

併用時代に展望室から眺めて見たかったです。

(十四枚目)

そして名残惜しくも須坂駅で下車しました。結構多くの

下車客がいて、短距離の利用も多い様でした。

先頭車展望室では熱心なファンと思しきお客さんが見えます。

「ロマンスカーミュージアム」の保存車しか見た事が無かった、

平成初期を代表したロマンスカー「HiSE」こと10000形に実際に

乗車出来て大変良い機会でした。

これからも長電の看板として頑張って欲しいものです。

 

次回に続きます。

 

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