撮影日   2022.5.27

撮影場所  えちごトキめき鉄道 急行市振行き車内及び

      市振駅 

 

前回に続き、えち鉄の観光急行の記事です。

この急行とは公式サイトによれば「急いで行かない」の略との

事で、日本海に沿った絶景を懐かしい国鉄型車両で楽しむ事が

出来ます。

運行区間は「日本海ひすいライン」の直江津駅~市振駅間、

直江津駅~糸魚川駅間を主に土休日に1往復ずつとなっており、

今回は行きは途中糸魚川駅から市振駅まで、帰りは市振駅から

直江津駅まで乗り通しました。私個人は20年ほど前に北陸

本線時代に糸魚川駅までは乗車した経験が有り、直江津駅まで

乗車して旧・北陸本線を完乗した事になります。

尚本記事執筆時点では観光急行は検査の為運休となっています。

 

(一枚目)

糸魚川駅からクハ455-701に乗車しました。

基本的に指定席車扱いの車両ですが、乗車時は自由席扱いだったと

思います。乗車時は他に4名程しか乗っていなかったので柔軟に

対応して頂いたのかも知れません。

 

ここは確か発車して暫くして渡った姫川だったと思います。

北アルプスの方から日本海側に流れ出る河川で、渡る際は徐行

運転でした。ここは日本では珍しいヒスイの産地で、松本清張の

小説でも取り上げられたことが有り、トキ鉄の線名にもなって

います。もっとも何度か水害を起こし、並走する大糸線を

何度も不通にしていますが…。

(二枚目)

・市振駅迄の間はノンストップで走りました。

この区間は日本海に沿って走ります。松の木の向こうに穏やかな

日本海が広がっていましたが、冬荒れる時はどんな表情を見せる

のでしょうか。

 

現在の「日本海ひすいライン」の区間は元々北陸本線だった区間

で、1911年に信越線として開業した直江津駅~名立駅間を初めと

し、1913年の青海駅~糸魚川駅間の開業を以って米原駅~直江津

駅間が全通し北陸本線となりました。

北陸本線でも最後の方の開業区間ですがそれだけに難所で、更に

日本海縦貫ラインを形成し客貨共に重要なルートだった為、開業

以来輸送力増強と災害対策が行われ続けました。

開業時は単線・非電化でしたが現在は複線化され、糸魚川駅と

直江津駅方の次駅・梶屋敷駅(三セク移管後はえちご押上ひすい海岸

駅が設置)の間に交直セクションが設けられそれを境に西方が交流

60Hz・東方が直流で電化されています。

よってこの区間は戦前から戦後にかけての国鉄の輸送力増強の歴史が

重ねられた区間であり、一方「親不知・子不治」に代表される難所で

土砂崩れや雪崩に苦しめられた区間で、北陸トンネルと共に北陸本線

の隘路となっていた区間です。

(三枚目)

・複線の向こうに海が広がります。

長年優等列車や貨物列車が忙しなく走っていた区間ですが、

一方沿線人口は少ない区間です。

 

長年日本海側の大動脈となっていた当区間ですが、北陸新幹線

金沢開業により、2015年に金沢駅~直江津駅間は第三セクター

に移管され、各県毎に別会社となり新潟県内の市振駅~直江津

駅間は旧・信越本線の妙高高原駅~直江津駅間と共に「えちご

トキめき鉄道」に移管、北陸本線区間は「日本海ひすいライン」

となりました。

そしてこの区間は交直流のセクションが有り、高価な交直流電車の

新製は見送られ気動車での運行となりました。尚殆どの列車は

「あいの風とやま鉄道」区間に乗り入れ泊駅までの運行となって

いる他、「あいの風とやま鉄道」の電車の乗り入れも存在します。

更にJR貨物の貨物列車も引き続き走っている為、複線電化の

設備も引き続き残しています。

(四枚目)

この区間はトンネルも多いですが、当初単線だった為この

様に増設した区間と旧線を廃止して新線を作った区間と双方が

存在します。

ここは確か青海駅と親不知駅の間、「親不知・子不知」を含む

区間で新線・旧線共にトンネルとロックシェッドが続く区間です。

こちらの山側が新線だった筈で、旧線側から「親不知・子不知」

が眺められました(帰路に紹介)。車内アナウンスも有りました。

(五枚目)

・車内販売で菓子と共にカレーを買いました。現在は金沢名物・

「ゴーゴーカレー」とのコラボ商品を売っている様です。

写真のカレーの味は普通に美味しかったですが、ET127系は

この区間を走れないですが…。

一緒に写っているのは上が乗車記念証・2枚目が「えちご

ツーデーパス」で区間内のJRや三セク各社が乗り放題という

優れものです。下2枚は急行券です。

(六枚目)

急行券です。「観光急行」に乗車時必要となるもので、

大人500円です。

昔の「硬券」タイプというのが売りで、所謂エドモンソン券

サイズですが今では珍しいものです。

流石に鋏での入鋏は行っていませんでした。

(昔、自動改札導入前の筑肥線では地下鉄の自動改札機に

対応する為軟券タイプでしたが鋏で改札していました)。

(七枚目)

国鉄型を味わいつつもあっという間に行きの終点、市振駅へ

到着しました。島式ホーム1面2線のシンプルな形態ですが、

長いホームが国鉄の幹線だった事を物語ります。

ホームは一部が嵩上げされ点字ブロックも設置されていますが、

写真の場所にフェンスが設置されその先は使用されず草が

生えていました。

海側に防風板が有るのも厳しい環境を窺わせます。

(八枚目)

駅名板です。トキ鉄仕様に更新されています。

ここはトキ鉄とあい鉄の境界駅で、次の越中宮崎駅方面があい

鉄になりますがこの「観光急行」以外は直通している為全く

境界駅の感じは有りません。

越中宮崎駅の名前から分かる様に越後と越中の旧国境にも

あたり、現在の県境にもなります。

(九枚目)

暫くすると直江津行き普通列車がやって来ました。

この区間の主役、ET122形K2編成・ET122-2で2014年新潟

トランシス製で、地場の製造です。

同社の電車の主役、ET127系はJR東日本E127系そのものに

対し、本系はJR西日本車モデルの為両社の車両が混在する

結果となっています。

 

ET122形はえちごトキめき鉄道開業に際し、8両が日本海

ひすいライン用に新潟トランシスで製造されました。

JR西日本キハ122形ベースにしたもので、同社の223系と

近い前面に裾絞りの軽量ステンレス車体の21m級液体式

気動車です。450PSの高出力エンジンを1基搭載し、

ブレーキは電気指令式で台車はボルスタレス式です。

1~6までは一般形で座席は1-2列の転換式クロスシートで

出入口部はロングシートとキハ122と同仕様、7・8は

イベント兼用車で2-2BOXシートでテーブル設置対応と

なっています。何れも車椅子対応トイレと車椅子スペースを

設置し、行先表示器はLEDでワンマン対応です。

(十枚目)

反対側前面です。車体構造はモデル車と同じく両開き2ドアで

車端部に寄っており、側窓の一部は上部が内折れ式です。

押しボタン式半自動ドアでステップレスですが、嵩上げされては

いますが多少段差が有ります。

この車は標準塗色ですが、ドア脇に広告が入っています。

 

運行区間は日本海ひすいラインの直江津駅~泊駅間の他、旧・信越

本線区間の「妙高はねうまライン」の直江津駅~新井駅の運用も

有ります。最大2両での運行で幌が付いています。

尚1000番台車は「えちごトキめきリゾート雪月花」の愛称が付く

特別車で全く仕様が異なります。後程紹介します。

(十一枚目)

駅舎とは今では珍しい構内踏切で連絡しています。駅舎側の

側線は使われていない様です。

平屋ながら大きめの駅舎ですが現在は無人駅です。

(十二枚目)

折返しまでの間、一度駅の外に出ました。

駅舎は1908年、開業に先駆け4年前の完成で木造となっており、

既に110年以上経過していますが大切に使われていました。

一部はアルミサッシ・ドアになっています。

瓦ぶき屋根には金具が有りますが、これは雪下ろしの際命綱を

結びつけたものだそうです。

(十三枚目)

この付近は親不知と共に昔から名前を知られた場所で宿場町

でも有りました。一方ヒスイの産地で地質学的にも特筆される

場所だそうで、「市振ジオサイト」の名前が付けられていました。

時間が有れば散策したい場所ですが、短時間での折返しでした。

(十四枚目)

最後に、ここには煉瓦造りのランプ小屋が残っていました。

客車の照明にランプを使っていた明治期の名残でしょうか。

今では珍しいものです。

後の国鉄型電車との姿も絵になります。

 

次回に続きます。

 

参考HP   国鉄型観光急行~Series455 413~

 

       

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