撮影日   2022.5.27

撮影場所  糸魚川ジオステーション

 

前回に続き、一昨年乗車した北陸旅行の際の記事です。

富山駅から新幹線に乗車し、次の目的地・糸魚川にやって来ました。

今回はその際の記事です。

 

(一枚目)

次の乗車列車が発着する、糸魚川駅の在来線ホームからの

写真です。シャッター越しに何やらかつて当地で走った車の

姿が見える様な・・・。

私はこの車両に20年ほど前、糸魚川駅から南小谷駅まで乗車

しました。北アルプス登山の為でしたが、お盆の暑い時季

でしたが大糸線は涼しく、扇風機だけで間に合っており折角の

冷房装置を使っていなかったのを思い出します。

(二枚目)

ここはJR糸魚川駅に併設された、糸魚川ジオステーション

ジオパルです。2015年に新幹線開業に合わせ設けられた物で、

かつて当地で走った車両の展示や鉄道車両模型の展示、観光

案内を行っています。

 

建物の外壁はかつて糸魚川駅の名物だった、1912年開設の煉瓦

造りの機関庫の部材を転用したものです。

近年まで名物として残っており、大糸線のキハ52との組み合わせは

絵になりましたが新幹線開業による用地転用で撤去される事に

なりました。しかし貴重な存在である為、一部部材を活用した上で

外壁として活用されています。

(三枚目)

ジオステーションから駅前広場までは線路が伸びており、

後述するキハ52を引き出して展示する事が有るそうです。

併用軌道?上のキハ52、見てみたいものです。

(四枚目)

・構内に入ります。

入口近くには小さな小さな蒸気機関車が展示されていました。

 

これは糸魚川駅からかつて分岐していた、東洋活性白土(はくど)

専用線で使われていた機関車です。

この専用線は1982年に廃止される迄一貫してSLが使われており、

国鉄が1976年に観光・保存用ではない、営業用SLの運行を終了

した後も使われていました。

この車は「くろひめ」の愛称が付いた車両(2号機と言われる)で、

最後まで本務機として活躍し、もう一両(1号機と言われる)は

予備機扱いですが全く稼働せず庫内で休んでいました。

 

廃止後1号機は千葉の羅須地人鉄道協会にて保存され、近年走行

可能な状態に復元されました。2号機は糸魚川市が保存した後、

2020年より当館で展示されています。

(五枚目)

この2号機は軌間610㎜のナローゲージ用で軸配置はB型のサイド

タンク式、全長約4mで重量6トンの可愛い機関車です。

この車が特筆されるのは、現在もSLが製造可能とされる協三工業にて

1956年製造とされており、日本国内向けのSLで最後に導入された

機関車とされている点です。

但し趣味者の先達の調査により、実際は1951年には製造が済んでいた

メーカーのストック品で、当初軌間は762㎜用だったという事が

判明しています。一体どこが発注したのか気になる所です。

 

尚1号機の方はフランスのドコービル製を模したスタイルですが、

製造メーカーや製造年は不明だそうです。どうも大阪に存在した

楠木製作所製らしいのですが。

(六枚目)

前面はシャッター越しにしか撮影出来ませんでしたが、

JR西日本で最後まで活躍していたキハ52形の1両、キハ52 156が

静態保存されています。

大糸線で最後まで使われていたキハ52形3両の内1両で、キハ52形

ラストナンバーでした。

 

国鉄キハ52形は1958年から1966年にかけ、112両が製造された

一般形気動車です。当時標準のキハ20形と同様の全金属車体を持つ

液体式気動車ですが、勾配線区向けに2台エンジンとなりました。

一般形気動車で2台エンジン車はキハ51形に次いだもので、車体長が

21m級となってキハ20よりも窓1枚分長くなりました。

製造が少し新しい為当初からバス窓・・DT22系台車で製造され

縦型エンジン・白熱灯の0番台56両と横型えんじん・蛍光灯の100番台

56両が製造されました。

この156は100番台でも最末期の製造分で、台車・側扉形状変更に加え

便所窓の形状変更と便所内照明の蛍光灯化が図られています。

1966年帝国車輛製で、2010年に廃車されています。

前照灯は後年、外枠を活かした2灯タイプのシールドビームに変更

(目玉焼きスタイル)されており、枠内にビードが入っています。

(七枚目)

側面です。

キハ20形と同じく片開扉が中央寄りに寄ったスタイルで、ドアは

鋼製ですが末期の製造分の為ドアにプレスドアの凹みが有りません。

Hゴムは後年黒色に変更された様です。

 

民営化後、キハ20系の引退が進みましたが勾配線区向けで両運転台の

キハ52形は使い勝手が良く、大糸線とJR東日本では新潟・盛岡地区で

21世紀まで活躍しました。東日本所属車は非冷房・非ワンマンながら

機関更新・車両更新が行われ廃車後一部はフィリピンやミャンマーに

移籍しました。

西日本所属車ではこの156を含め1990年に7両へワンマン化・トイレ

撤去が実施されており、これはキハ52唯一の施行でした。

これは越美北線用の5両と木次線用2両で一部仕様が異なりました。

越美北線用5両は同時期に機関直結式冷房を設置しており、写真では

見えませんが屋根上に冷房機器が設置されています。キハ52形の

冷房改造は他に九州の3両だけでした。

越美北線用車はキハ120導入で大糸線に異動し、塗色も越美北線

時代のままで使われましたが運用減で廃車が進み、最後は115・

125・156の3両が残りましたが、2010年にキハ120導入で

引退しました。

最後まで機関換装や車体更新は未施工でした。

(八枚目)

現在は車内は待合室としても利用可能となっています。

手前には写真やヘッドマークが展示されています。

国鉄フォントの「キハ52 156」や「南小谷⇔糸魚川」のサボも

良い味を出しています。

 

大糸線のキハ52形は2004年に朱色にクリームの旧国鉄気動車

標準色になり、以後この156は朱色の旧国鉄首都圏気動車色、

125は黄褐色に青色の旧鉄道省時代からの気動車標準色に変更

されました。

廃車後3両とも保存され、115は「津山まなびの鉄道館」、125は

いすみ鉄道に譲渡され観光用として使われており過去の記事で

紹介しています(2021.11.11)。

2020冬 いすみ鉄道乗車記(1) | 303-101のブログ (ameblo.jp)

この156は保存時に旧国鉄気動車標準色に変更されました。

(九枚目)

所属標記は「金ホク」となっています。定員127人はワンマン

改造後の仕様で、製造時は定員88人でした。

台車は国鉄時代の標準的な、ウイングバネ式の軸箱支持装置を

持つコイルバネ台車DT22Cで、2台エンジンの為前後共に

同型です。キハ52では119以降DT22AからCに変更されました。 

エンジンは横型のDMH17H(180PS)、変速機はTC2又はDF115

と国鉄時代の気動車の標準スタイルで、東日本所属車と違い

DMH17系エンジンを最後まで残していました。

 

次回に続きます。

 

参考文献  鉄道ピクトリアル NO.994 2022.1

        

参考HP    糸魚川観光ガイド

 

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