撮影日   2015.1.4(5~10枚目は2015.1.18)

撮影場所  各写真に記載

 

前回に続き、かつて西鉄貝塚線で活躍した313形の復刻塗色

編成だった315編成の写真の紹介です。

今回は引退直前の2015年1月撮影分です。

 

(一枚目)

引退が近づき、貝塚駅だったかと思いますがラストラン迄の

日時が掲示されていました。ラストランは1月24日でした。

かつて大牟田線(現 天神大牟田線)で走っていた際の写真も

展示されていました。

比較的原形に近い姿で、大分改造された末期の姿よりもこの

頃の姿の方が好みです。

 

写真は太宰府線直通で天神発太宰府行き普通と思われ、太宰府の

サボを掲げています。末期は大宰府線メインで活躍したそうです。

313形同士の4連で整ったスタイルです。

写真の撮影時期や場所が書かれていませんが、後方で高架工事が

行われている複線区間なので、1978年に高架化された西鉄平尾駅

~大橋駅間ではないでしょうか。1977年に貝塚線に移籍した為、

撮影時期と符合します。後方には同じく旧塗色で3枚窓の旧型車が

見え、貫通スタイルの様なので100形か300形(301・303・308形)

ではないかと。

(二枚目)

名島駅で撮影した315編成です。

引退直前にはこの様に前面にステッカーが貼られていました。

大牟田線での活躍が25年、一方宮地岳線・貝塚線の活躍は37年と

移籍してからの活躍の方が既に長くなっていました。

後継の600形も初期車は貝塚線での活躍は既に35年目に入り、

313形の活躍期間と近くなっています。

この315号は前パンで、古参車ながら下枠交差式に交換されて

いました。

(三枚目)

サイドビューです。

よく見るとドア間の窓が前方4枚・後方3枚と不均等です。

2ドアから3ドアに増設した名残で、改造跡は綺麗ですが窓割が

不均等な所に名残が有りました。

クーラーは分散式を各車3台搭載しており、補助電源のMGは

大牟田線600形の4連化に伴う発生品を流用していました。

(四枚目)

・この時は貝塚駅から折り返してきた315編成に乗車し、名島駅

迄乗車しました。写真は名島駅到着時の365号です。

 

313形の最大の特徴は、半鋼製車ながら日本の電車で初めて

モノコック構造を採用した点です。車体外板に応力を持たせ

車体全体に強度を持たせ、軽量化を図っており元は航空機で

採用された技術です。戦後日本では鉄道車両やバスに応用され、

軽量化に貢献しました。鉄道車両では奇しくも台車とモーター

だけが宮地岳線を走った(120形→600形用)、東急初代5000系

等に引き継がれました。

かつての西鉄は地味ながら先進的な取組を行っており、日本初の

高速電車用の連接車・大牟田線500形、私鉄初の中間電動車を

採用した大牟田線600形(初代)、そして軌道線の輸送力向上に

連接車を大量導入する等の事例が有りました。

 

同時期京王2700系を嚆矢とする高張力鋼の採用や近鉄2250系に

於ける部材省略等のセミモノコック構造の採用等、車体・足回り

双方に大きな発展が見られました。

初期の軽量構造の車両は、セミモノコック構造を採用した「軽量

客車」の様に耐久性に劣る例(特に1段下降窓の寝台車が顕著)も

有りましたが、313形は度重なる改造を受けたせいも有ってか

最後まで状態は良く綺麗なまま活躍しました。

(五枚目)

続いて、こちらは引退間近になった1月18日の撮影です。

撮影する人も多かったように思います。

 

ここは貝塚駅での撮影で、後方には馴染みの貝塚公園が見えます。

ここには国鉄20系客車(ブルートレイン)のナハフ22 1007が

保存されています。20系客車もセミモノコック構造を採用して

おり、奇縁を感じなくも有りません。

昭和30年代にスターだった20系客車は鹿児島本線でも華やかに

活躍しており、特に313形の宮地岳線転籍後は貝塚付近ですれ

違う事も多かった筈です。保存車とすれ違う事も有ったかも

知れません。

(六枚目)

懐かしい旧社紋も復元されていました。

今でも線路敷きの用地境目を表わす石標で見られたりします。

最近まで西鉄バス車内に設置された消毒の記録表にも旧社紋が

書かれていましたが、まだ有るのでしょうか。

 

車内に見えるモケットは紺色です。

床は西鉄電車標準と言える灰色です。

(七枚目)

還暦を越えた車両ながら転落防止幌が設置されていました。

天神大牟田線系統では8000形は未設置のまま引退、5000形も

未設置のまま廃車になった車両がいましたが、近年混雑度が

私鉄でトップクラスになった貝塚線ならではでしょうか。

 

妻面は丸妻の為、幌は台座を介し設置されており台座もきちんと

塗装されていました。貫通路は西鉄らしく広幅で貫通扉は無く、

妻窓は2段窓です。

上部にはワンマン運転用のスピーカーも見えます。

(八枚目)

この時は西鉄新宮駅までお別れ乗車をしました。

この付近は海沿いで松原が広がっており、かつてこの先

津屋崎駅まで伸びていた頃はこの先松原を走っていました。

黄色く短い電車が松原の中の単線を走る光景は長閑で、

宮地岳線という線名からしてローカル感が漂っていました。

 

連結器は元は大牟田線標準だったトムリンソン式密着連結器

でしたが、宮地岳線では伝統的に自動連結器を使用しており

本形式も交換されています。以後、600形までの形式も交換

されていますが、天神大牟田線では6000形以降一般的な

密着連結器が採用されており、今後入線予定の7050形は

密連のままなのか自連に交換するのか気になります。

(九枚目)

新宮駅の外側から見たモ315のサイドビューです。

乗務員室扉と客用扉間は2枚窓で、運転席後部は広々としており

空いている時はゆっくりと前面を展望出来ました。

一番前のドア脇には標記が有り、上から

「形式 モ313 定員 130人 自重 37.6t 製造年月 昭和

27年3月 製造所 近畿車両会社」と書いてあるようです。

今では西鉄は川崎車両だけの取引ですが、昭和30年代頃までは

多くのメーカーと取引が有り、系列の九州車輛製も存在しました。

軌道線も含め多くの車両を導入していた為でしょう。

 

床下は暗いですが、国鉄電車お馴染みDT21スタイルのコイルバネ

台車、FS-342が見えます。

製造時は戦後製の新型台車でウイングバネ台車のKD2を履いており、

初代600形と同様ですがメーカー違いで別形式です。

モーター出力は110kwで、規格型の303形と同じ出力でした。

前年製の600形が82kw・308形が115kwだった為ふらついています。

制御器は単位スイッチ式の自動進段制御でした。

宮地岳線転籍後、旧型国電由来の機器に交換されましたが最終的に

西武701系由来のFS-342台車に交換され、平行カルダン駆動と

なりモーター出力は120kwとなりました。600形とほぼ同様の

足回りとなりましたが(未改造の314編成除く)、ブレーキだけは

自動空気ブレーキ式のAMA式のままで残っていました。

 

宮地岳・貝塚線用の車両は支線区且つ軌間が違う為この313形以降、

大牟田線転籍組は足回りが換装されていますが、いずれも国鉄・

東急・西武中古で冷遇されている気がしなくも無いですが次の

7050形はどうなるのか気になります。

そして余談ながら、300・313形の吊り掛け駆動車が最後に装備

していたDT11(西鉄ではTR22)・付随台車TR14はいずれも国鉄の

17m級旧型国電の制式台車で、特にDT11装着車は西鉄が最後だった

模様です。かつて吊り掛け駆動車が現役だった頃はその乗り心地と

音を味わったもので、特に貝塚行きの電車では貝塚駅手前の多々良

車庫に停まっている車両の台車のバラエティを見るのが楽しみでした。

そして昔は貝塚駅到着時、福岡出身のチューリップの「心の旅」の

メロディが流れていましたが、丁度カーブで音を立てて走っていた為

吊り掛け駆動車だと大変賑やかな音だったのを思い出します。 

(十枚目)

最後に、車止め側から見た315編成です。

左は後輩の602編成が停まっていますが、こちらも撮影時点で

既に車齢50年を超えていました。

訪問後1月24日に引退し、後継となった救援車から旅客車に

復元された614編成に後を託しました。その後3月31日に廃車

され、残念ながら8月に解体されてしまいました。

最後に「ブラタモリ」で取材されたのが特筆されます。

 

313形の引退により、西鉄の吊り掛け駆動車由来の車両は

全て消滅しました。

以後間もなく9年となりますが、後継の600形も既に初期車は

車齢62年目となり気が付けば313形と同い年となりました。

老骨に鞭打ちながらも私鉄でもトップクラスの混雑の中

活躍していますが、間もなく7050形導入で世代交代を

迎えます。

これからの貝塚線の姿にも注目です。

 

以上です。

 

 

 

参考文献   鉄道ピクトリアル No.517 1989.9

                     同 No.668 1999.4

                     同 NO.847 2011.4

                     いずれも西日本鉄道特集号

 

参考HP    ウイキペディア西鉄313形電車