撮影日   2020.1.12(11~13枚目は2018.6.17) 

撮影場所  各写真に記載

 

前回に続き、今回は4年前に乗車した野北線の記事の続き

です。今回は残りの区間とかつての前原地区の主力だった

レインボー7W(RH系)の紹介です。

 

(一枚目)

車内から見た初バス停の次、交流プラザ志摩館北口バス停です。

以前は志摩町役場と名乗っていました。

 

見にくいですがバス停標柱の形に注目を。長方形で中央の

停留所名部分は黄色、上下は紺色に塗り分けたタイプです。

経年で紺色部分は色褪せて白くなってしまいました。

黄色の部分は元は白地で赤い文字で停留所名だったと記憶

しています。

このタイプのバス停はかつて佐賀地区でも見かけましたが、

私が小さい頃から既に数が少ないもので福岡地区ではここ

以外見た記憶が有りません。三瀬峠の旧道にこの仕様が

長く残っていた様です。恐らく半円形で黄色地の現在の

タイプより古いものだと思いますが、詳細不明です。

 

かつて野北線と師吉線が分離されていた時代、師吉線は師吉

地区の狭隘区間を抜けて旧・志摩町中心部では現在の志摩

中央公園バス停(当時は未設置)→志摩町役場→初という

ルートで運行されていました。バスの行先では志摩町役場

行きとなっていましたが、実際は循環運行でした。

時刻表上では往路でも前原駅行きと表示されていたと記憶

しており、循環路線だと知らなかった小さい頃は混乱して

いました。

又その頃は当バス停を野北線も経由していましたが、何故か

停車しておらず師吉線単独のバス停でした。

その後師吉線・野北線統合に伴い当バス停に停車するように

なり、志摩町が糸島市に統合された際にバス停の名前も

変わっています。

かつて「いと・しま号」が初バス停発着だった時代はここで

時間調整していました。

(二枚目)

交流プラザ志摩館北口を過ぎると県道85号線に入り旧・志摩

町北部の集落、野北(のぎた)へ向かいます。

この区間から先は「いと・しま号」も走る区間ですが、「いと・

しま号」は一部バス停を通過します。

以前この記事でも紹介しました(2023.12.10)。

昭和バス富士7B高速車 お別れ乗車(2) | 303-101のブログ

 (ameblo.jp)

写真の先が野北バス停で、交差点を右折すると伊都営業所方面の

道路に入ります。

 

野北線ハイライトの狭隘区間は過ぎ、穏やかな田園地帯を走り

ます。海に近いですが全く気配を感じません。

それにしてもこの辺りから福岡市内まで直通する高速バスが

走る日が来るとは…。大昔、師吉線統合前は朝1本だけ前原→

野北→博多駅行きが有り、大型車が走っていました。

モノコック車が使われていたのもいい思い出です。

(三枚目)

野北バス停です。バス停は上写真の交差点を直進した場所に

有り、一旦集落内の当バス停を経由し再び上写真で右折した先の

道路(市道)を伊都営業所方面に進んで行きます。

尚去年秋に「いと・しま号」に乗車した際はここを経由せず

2枚目の交差点で右折した為、経由が変わったか「いと・しま号」

だけ違っているのかも知れません。

この付近が一番海に近く、近年人気の糸島の海沿いらしくマリン

スポーツのお店も有ります。

 

尚この先桜井バス停を経由しますが、ここは某アイドルグループの

メンバーの「聖地?」になっている桜井神社の最寄りです。

乗車時も若い女性が2名乗っており、不思議に思っていましたが

ここで降りて納得した次第です。

(四枚目)

そして終点、伊都営業所に到着しました。

ここは桜井峠に設けられており、福岡市と糸島市(旧・志摩町)の

境目で写真右手の道路に福岡市の表示が見えます。

ここまで延伸される際は峠の手前、谷バス停終点でした。

営業所は2018年の開設で、九州大学伊都キャンパス北側に

存在します。訪問時はまだ真新しい状態でした。

(五枚目)

終点まで乗り通しても約40分程の手軽な路線でした。

コミュニティバス扱いの為200円均一なのが嬉しいです。

 

降りてから撮影した、5816(0065)号車の側面です。

1997年式KC規制の日野車で、中型幅サイズの小型ツー

ステップ車です。通称・レインボー7Mと呼ばれるタイプです。

前中折戸で黒サッシメトロ窓のメーカー標準仕様で、行先

表示器は幕式で側面は小型サイズです。

塗色は路線車の標準色で、出入口表示は日・英・韓三か国語

タイプです。

(六枚目)

後部です。バックアイカメラと乗降中表示器付きです。

後面方向幕は有りません。

レインボーRH系は同ラインナップで中型のRJ/RR系の観光

仕様に準じており、前面は観光マスクで後部も角型ブレーキ

ランプが標準でした。

この車は旧・前原営業所新製配置でずっと前原で活躍し、

伊都に転属又は昭和バスタクシー事業部所属になったかと

思われます。

 

・車番 0065 ナンバー 福岡22か58-16 年式 1997

 所属 伊都?(撮影時) 形式 日野KC-RH4JEAA

  小型ツーステップ車(中型幅) 前中折戸 黒サッシメトロ窓

 幕式方向幕 路線色

 除籍済?

(七枚目)

伊都営業所バス停です。

上屋とバス停が有るだけのシンプルな構造です。営業所周辺は

人家が少なく、ここを発着する便も多くは有りません。

(八枚目)

営業所内に停車中の5816号車です。

背後にはオリジナルの96MCの中型ワンステや移籍車で富士7E

ボディのツーステやエアロスターワンステ、キュービックワン

ステが見えます。一番端には末期再び福岡地区に出戻りした、

トップドアのレインボーRJ系と思われる車も見えます。

(九枚目)

とは言え広い敷地内は既に新車の新型エルガやブルーリボンが

多く占められていました。よく見ると東武中古のいすゞLR中型

ワンステも混ざっています。

大型車メインの中でこのレインボーRH系は小型ながら、それ

なりの存在感を持っていました。

(十枚目)

営業所から九大伊都キャンパス方面へは頻繁にバスが回送

されて行きました。写真は京急中古のエルガワンステです。

この時撮影した写真は以上です。

(十一枚目)

ここからは2018年、志摩営業所(閉所)に改名される前の

旧・前原営業所で撮影のレインボーRH系の写真です。

これは5816号車で、既に車番が付けられています。

他社移籍の、銀サッシメトロ窓で質素なスタイルが特異な

セレガFM系の姿も気になります。

 

昭和バスではレインボーRH系を1995年と1997年に導入

しました。1995年式のU規制車と1997年式KC規制車が

3台ずつ入った様で、前原ではそれぞれ2台ずつ在籍した

様です。この時期は中型バスでは日野RJ系は1994年から

1995年にかけ大量導入されており、日野車中心での導入で

複数メーカー・ボディを導入していた昭和では珍しい事例

でした(今でも日野といすゞを並行導入しているし)。

この1997年式は別に前原には2台リエッセ(コースターR?)も

入っており、ダウンサイジングが進みました。

昭和バスの中型車は1995年式のいすゞ+LRでセミツーステの

低床仕様を採用し、以後継続されましたがこのレインボーRH

系では標準タイプのツーステとなっています。

(十二枚目)

こちらは5505(0967)号車です。1995年式U規制車ですが、

見た目はKC規制車とほぼ変わりません。

 

日野レインボーRH系は小型車ながら中型車サイズの2.3m幅を

採用したシリーズです。センターアンダーフロアエンジンのCH系

に対し標準的なリアエンジンのシリーズで、2m幅サイズの

小型車レインボーRB系やリエッセRX系より一回り大きいサイズの

小型車です。

昭和バスの小型車はそれまでは小判登録のレインボーRB系が複数

導入されていました。それ以前はいすゞDBRらしき車や、大昔は

特注の小型車もいた様ですが。

昭和バスでは余りサイズを気にせず使っていた趣が有りますが、

小型車は路線限定で使っていた様です。

 

しかし1995年に昭和バスではダウンサイズの為か、このレインボー

RH系といすゞMR系を大量導入しました。昭和では初と思われる、

大判登録で2ドアの小型車で後者は昭和オリジナルで唯一と思われる

前後ドア車でした。北村ボディも昭和では珍しいものでした。

これらは中型と小型の中間的なサイズの為か、中型車が使われていた

運用に入る様になり最初見た時は衝撃的でした。

もっとも主に佐賀県内配属だったMR系は使いにくかったのか早期に

全車除籍され、何と羽後交通に大量移籍、JR九州バスにも鹿児島の

コミュニティバス用として1台移籍しましたが、既に全滅した様です。

(十三枚目)

5505号車の反対側側面です。

この1995年式から後部方向幕の廃止・ブレーキランプの

角型化(RH系は標準仕様)・後部社名表示が緑色になりました。

既に車齢23年目でしたが状態は大変良かったです。

レインボーRH系の前中ドア路線車は奈良交通や名古屋市営、

ボンバス等まとまって導入した事業者も有りますが、

どちらかと言えば少数派でした。

昭和バスでも以後このサイズの車両は路線用に導入しなくなり、

強いて言えば京急中古のエアロミディMJワンステ程度です。

 

前原地区では21世紀になると路線廃止や「はまぼう号」への

移管が進み、中小型車の多くは廃車又は転出しましたが、

このレインボーRH系は使いやすかったのか長く前原地区に

残り主に旧・志摩町方面への路線で使われました。

最後は昭和バスタクシー事業部所属だったかと思われますが、

近年ポンチョが大量導入されリエッセと共に引退した様です。

今年正月に前原を訪問した際は昭和バスカラーのポンチョが

複数走っており、タクシー事業部にも停まっていませんでした。

お馴染みだった車なので引退したのは寂しい限りです…。

 

・車番 0967 ナンバー 福岡22か55-05 年式 1995

 所属 前原(撮影時) 形式 日野U-RH1WFBA

  小型ツーステップ車(中型幅) 前中折戸 黒サッシメトロ窓

 幕式方向幕 路線色

 除籍済?

 

最後はレインボーRH系に触れる事になりましたが、師吉付近の

狭隘区間は一見の価値が有ります。

以上です。

 

参考文献   バスラマインターナショナル NO.71 2002.4