撮影日   2023.12.5

撮影場所  各写真に記載

 

前回の続きで昭和バス唯一の富士7Bボディ高速車だった

2981号車のお別れ乗車の記事です。

引き続き車窓風景を紹介します。個人的に何度も乗った

路線で馴染み深い場所ばかりです。

 

(一枚目)

福岡都市高速から西九州自動車道(福岡前原道路)をV8エンジンで

快走し、前原インターで降ります。もっと高速道路での快走を

味わいたかったのですが。「からつ号」「いまり号」はこの先

唐津方面へ進んで行きます。写真は前原料金所です。

 

かつて昭和バスは国道202号のルート(唐津街道)で福岡~前原~

唐津、更には呼子や伊万里方面まで結んでいました。

筑肥線電化開業後は大打撃を受け、私が小さい頃(90年代前半)は

既に福岡~唐津間直通は無く、前原付近で系統分割されていました。

福岡方面からは深江駅前までで急行も運転されており、多くは

城南線・今宿バイパス経由でした。前原~唐津間は急行のみでしたが、

途中区間は他の路線が無く各停留所に停まっていました。

 

その後唐津への急行は廃止、福岡~前原間も2000年代以降縮小が

続き、今宿付近より東は国道202号(現在は旧道)経由の昭和バスは

無くなって西側も系統分割、殆どは糸島市のコミュニティバス

扱いとなり歴史ある唐津街道経由の昭和バスは実質廃止となって

います。「いと・しま号」は実質的な後継者と言えます。

(二枚目)

窓外に広がるのは南風台の住宅地です。

前原インターは前原の中心部や筑前前原駅より南側に位置し、

90年代に開発された新興住宅地です。同時期にJR九州は美咲が丘を

開発し、新駅を設置しました。福岡市西部の糸島半島は福岡市の

ベッドタウン化が東部や南部方面より遅れていた感が有りましたが、

この時期より成長が進んで行きます。

筑肥線の筑前前原駅以東の複線化や西九州道の延伸及び都市高速

直結も影響しているでしょう。

(三枚目)

前原インターを降りて福岡県道12号線を進めばそのまま前原の

町中に至りますが、「いと・しま号」は南風台の住宅地を回って

進む為少し東側に迂回する経路です。

写真は南風台東バス停で、昼間でも福岡方面のバスを待っている

人達がいます。

 

「からつ号」「いまり号」が都市間連絡の要素が強いのに対し、

「いと・しま号」は通勤需要が強い路線となっています。

南風台は前原駅から近いですが、丘陵地帯で駅までのアクセスが

悪く、高速バスの需要は多くて朝ラッシュ時に乗ると前原では

空いていても南風台付近で満席になる事も多いです。

又伊都営業所方面の系統が走る旧・志摩町は鉄道が通っておらず、

加布里方面も加布里の中心が駅から離れている為、それら地域の

需要を狙ったものと思われます。

隣の西鉄バスでは高速網を活かし中・長距離高速バスを拡充、

更に都市高速を活用した路線バスも多数走らせており、それに

習ったものと言えるでしょう。

(四枚目)

篠原公園バス停を過ぎると左折し、県道564号線に入りますが

道幅は2車線ありますが結構狭く、高速バスが走ると圧迫感が

有ります。

南風台付近の道路は比較的新しく道幅が広いので、一気に道路の

様相が変わります。

上町(かみまち)バス停の手前でライバルの筑肥線の踏切を

渡ります。

(五枚目)

伊都文化会館前バス停手前で県道564号線から国道202号線に

入ります。この交差点はかなり急で、12m級の高速バスが

曲るのはかなり厳しい場所です。

「いと・しま号」のバス停は前原付近では基本的に他の路線

バスと同じバス停に停まりますが、伊都文化会館前バス停は

この交差点で曲がると停まれない為か停車しません。

(六枚目)

「軽トラ市」の看板が見える前原商店街です。前原の町中に

やって来ました。ここが糸島市の中心地域で、旧前原市の

中心となります。

右に見えるのは昔からある「角屋食堂」です。ポークチャップ

定食が有名です。

(七枚目)

前原バス停です。福岡方面は「前原案内所」の表示が有り、

定期券の販売所も有ります。反対側は簡単な上屋が有るだけと

なっています。

昔は地元では前原発着所と呼ばれており、両方向とも今と同じ

場所ながら今よりも大きな建物でした。

糸島地区の中心バス停で優等系統も停車し、西肥バス運行の

福岡~平戸間の快速特急や、短期間だけ存在した本州方面の

夜行高速バスも停車していました。

この先伊都営業所方面は右折し県道54号線へ、加布里方面は

国道202号を直進します。

(八枚目)

旧・志摩町方面へ進むと徐々に田圃が広がりますが、左手には

志摩スカイタウンの住宅地が広がり、ここからの需要も有ると

思われます。近年道路の改良が進み新道が出来て大きく様変わり

しています。

写真は旧・志摩町の中心に近いイオン志摩店のショッピング

センター街です。

「いと・しま号」は乗り入れませんが、糸島市コミュニティバス

「はまぼう号」の一部系統や自治体運行バスが乗り入れます。

(九枚目)

志摩中央公園バス停です。

志摩町の中心部で、反対側に旧・志摩町役場が有ります。

志摩町の中心部は西側に道路を一本隔てた初バス停で、かつては

「いと・しま号」も初を始発着としていました。

その後旧・前原営業所→志摩営業所へ延伸、志摩営業所廃所で

初発着に戻りましたが、今度は伊都営業所へ延伸され初バス停を

経由せずに志摩中央公園バス停を経由する形になりました。

当バス停終点便も存在します。

(十枚目)

井田原北バス停の先で左手に運送会社の駐車場が有りますが、

志摩営業所の跡地です。

前原地区には2000年代初頭辺りまでだったと思いますが、

国道202号線沿いの美咲が丘駅近くに前原営業所が存在し、

始発着便も多く存在しました(現在の神在東バス停)。

その後当地へ移設し前原営業所となり、更に志摩営業所と

なりました。しかし伊都営業所が開設され、暫く併存した後

廃所されました。

(十一枚目)

志摩町でも北部に位置する野北バス停です。

この辺りは二見ヶ浦や芥屋といった糸島のマリンスポットに

近いエリアです。伊都営業所方面は写真の県道上に停車しますが、

前原方面は集落内の道路上にバス停が有ります。

 

この付近は前原~前原駅北口~師吉公民館前~初~野北~谷~

伊都営業所間の野北線も並走しますが、志摩中央公園バス停を

過ぎると「いと・しま号」は一部バス停しか停車せず、又

クローズドドア制となります。

現在は野北線は師吉地区の狭隘区間を経由する為小型車使用

ですが、かつては同区間を経由しなかった為大・中型車も

使われており、野北から元岡地区を越え今宿、更に今宿野外

活動センターや博多駅まで伸びていました。無論伊都営業所も

九州大学も無い時代の話です。

長く福岡市内中心への直通手段が途絶えていましたが、「いと・

しま号」が経由する様になって復活しました。

(十二枚目)

・野北から桜井・谷といったバス停を越え、糸島市と福岡市の

境を越えたあたりの伊都営業所に到着しました。

井牟田バス停からは西の浦を経由する「ウエストコースト

ライナー」も並走します。

ここは九州大学伊都キャンパスの北側、言わば裏手に当ります。

九大が移転する前は何も無い、本当に寂しい場所でした。

 

尚、初の交差点手前で右折し県道85号線を通った方が伊都営業所

に早く到着します。

そもそも西鉄バスの博多駅~九大系統のルート(今宿・元岡経由)の

方が距離的にかなり近いですが。

(十三枚目)

遂に終点・伊都営業所に到着しました。

1時間ちょっとの旅でした。

比較的近年の開設の為未だ綺麗です。

多くのバスが停まっており、最近運用離脱した模様の元サンプル

カーの富士8Eやヒュンダイ・ユニバースも見えました。

(十四枚目)

改めて2981号車の前面です。

「いと・しま号」前原・伊都営業所の表示で、赤地の方向幕です。

昭和バスでは幕式時代、地色や文字色を色分けしていました。

かつては優等便が多く走り、系統も複雑だった為でしょう。

(それでも実際の経由地を網羅できていなかった気がしますが)

 

昭和バスでは路線マスクの7Eは多数在籍しており、オリジナル

でも導入していた他移籍車も多く、日野以外は存在しました。

8Eや観光マスクの8Bも多数在籍し、こちらも新製と移籍双方

存在しバラエティ豊かでした。

それらの中でもこの2981号車は唯一高速色を纏い、窓下に

設置した行先表示器も相まって別格の存在でした。

(十五枚目)

このKC-RA521系は昭和バスでは唯一の存在で、そもそもKC-

UA系自体がこの一台だけでした。

しかし路線シャーシベースの高速車は昭和バスでは元サンプル

カーの日デ+新7Eを皮切りに、新車で日デ+西工E型標準床車を

多数導入していてKL-UA系やPKG-RA系が多数入りました。

今でも高速車の主役として活躍しています。

隣の西鉄バスでは路線ベースの高速車、通称「B高車」はかなり

引退が進みましたが、昭和ではもう少し活躍しそうです。

 

尚昭和バスではかつて福岡~唐津間などの長距離系統向けに

トップドアの長距離路線仕様車を導入していました。

これも仕様が様々で、モノコック車時代は通常の路線マスク+

メトロ窓でエアサス・リクライニング付きでしたが、スケルトン

車では観光シャーシの標準床仕様になってレベルアップし、

トイレ付きのセレガすら存在しました。

富士ボディも5Bは長距離仕様の新車で複数存在し、シャーシも

様々で観光系シャーシメインでしたが中には日野+路線シャーシ

高出力車という珍車も存在しました。

仕様も塗色も様々、そして貸切や高速転用車も混ざっており

それらが一般路線に使われていた為90年代迄の昭和バスはかなり

カオスでした。

未だに全容が掴めません。

(十六枚目)

富士7E・7Bはスクエアなボディながら丸みを帯びた前面で、

角型ライトがカッコよく5Eや5Bよりも近代的に見えたものでした。

V8エンジンの音を響かせ入庫しましたが、この後運行予定では

1往復して全ての運用を終える事になっていた様です。

 

参考文献に拠るとKC-UA521系は102台の製造に留まりました。

路線シャーシながらV8エンジンを持つ車種は日デではP-UA50・

U-UA510・520そしてKC-UA521系と続きましたが、KL規制では

高出力車も直6タイプになった為日デ路線車のV8エンジン車は

途絶えました。シリーズ合計345台の小規模なグループで、

特にU-UA系の最高出力モデル520系は36台だけの製造でした。

 

KC-UA521系は九州ではいわさきグループにまだいる様ですが、

全国的にもかなり減少しています。

そして富士7Bボディもどちらかと言えば少数派のグループで、

この2981号車は全国的に見てもかなり珍しい車となって

いましたが、遂に運用を外れてしまいました。

富士重王国だった昭和バスの富士ボディ車も引退が進んでおり、

時代の流れを感じます。

26年間有難うございました。

 

以上です。

 

参考文献   バスラマスペシャル11 UDマークのバス達