撮影日   2023.10.23(特記以外)

      

撮影場所  熊本電気鉄道菊池線 北熊本駅

      ※敷地外から撮影

 

前回の続きで先日阿蘇・日田旅行をした際のに訪問した熊本電鉄の

写真です。今回は北熊本駅構内で撮影した車両を中心に紹介します。

訪問時の目的は間もなく引退予定だった6211編成でしたが、

果たして…。

※一部は過去の撮影分です。

 

(一枚目)

今回は「上熊本線」運用は銀座線時代塗色ベースの01-136編成が

運用に就いていました。車庫でお休み中のメトロ1000系ベース塗色の

01-135編成と並びの写真です。

いずれも「くまモン」ラッピングです。

(二枚目)

庫内では元5101Aが03形の入換を行っていました。

いずれも東急東横線を走った事が有る形式ですが、両者が東横線で

顔を合わせた事は無かった筈です。

5101Aの行先は現在では東急時代の行先が表示されており、

たまに変えられています。

今回は「大岡山」でしたが、こんな行き先が有ったんですね。

(三枚目)

お目当ての6211A編成は残念ながらこの日は運用に入って

いませんでした。

前日、10月22日に引退記念イベントを行っており、訪問後10月

27日に引退予定となっていました。

本稿執筆時点での動向は不明ですが、廃車準備が進んでいるかも

知れません。

最後にもう一度乗車してみたかったのですが…。

特徴的なシュリーレン式台車が見えます。熊電初のエアサス車でした。

(四枚目)

駅舎の反対側から撮影した同編成です。

都営元三田線の6000系で、熊電初の20m4ドア車でした。

併用軌道区間をこの大柄な車体で走るのは熊電の名物と言えます。

ホーム長の制限の為「上熊本線」には基本的に使われませんでした。

セミステンレス製車体でコルゲートが輝き、角ばった質実剛健な

スタイルです。

これは三田線最新鋭の6500系に引き継がれた様な感じがします。

(6300系のスタイルの方が好きですが)。

 

6211編成は熊電の6000形としては3本目の入線で、2本目と少し

期間が空きました。その間に元南海22000系の200形(3代目)が

入線していますが、既に廃車済みです。

この編成からは1972年製2次車となり、三田線時代に冷房化されて

いる為、集約分散式冷房で非冷房時代のモニタルーフも残ります。

尚この編成の乗車記録は以下の記事で紹介しています(2023.5.22)。

熊本電鉄6000形 6211編成(1) | 303-101のブログ (ameblo.jp)

(五枚目)

大先輩、元モハ71と並ぶ6211編成6218Aです。

モハ71の前の作業用?台車と、電車用?ボギー台車も気になります。

(静鉄1000形用?)

熊電6000形は編成によって塗色が異なり、6211編成は青帯+

前面黄色の警戒デザインで、青帯が貫通扉に回っておらず黄色の

幅は狭いデザインでした。

前面には引退記念のステッカーが貼られています。

 

当編成に代わって導入予定の元静鉄1000形1012編成が搬入されて

いないか気になったのですが、撮影時点では未搬入でした。

静岡からは既に出発した様なので、筑紫で改造中かも知れません。

6211編成が搬出された後に搬入でしょうか(来年年初頃?)。

(六枚目)

今回はついでに以前撮影した北熊本構内の車両の写真を紹介

します。まずは2018.1.3撮影分です。

この時はモハ71号が入換を行っており、車庫側に停まっていました。

5枚目と同じく藤崎宮前方のサボは5枚目が「藤崎宮前」なのに対し、

この写真では「菊池」となっていました。

1986年に廃止された区間ですが、モハ70形は現役時代「上熊本線」

メインで使われました。味わい深い書体です。

庫内にいるのは廃車済みの6231編成6238Aで、連結面を見せて

いるのは相方6231Aでしょうか?

(七枚目)

こちらは同日撮影の5101Aです。

2016年に現役引退後、北熊本で動態保存され入換用としても

使われています。

この時は現役引退から間もなく、折角復元された東急時代の塗色も

草臥れていました。

特異な形状のTS-301台車と、ワンマン運転時用の出入口表示器

見えます。

尚反対側は熊電入線後運転台を設置し、切妻貫通式という特異な

スタイルですが、車庫の建物側に常に向いている為中々拝めません。

(八枚目)

こちらは1年後、2019.1.3撮影分です。

5101A号は綺麗に再塗装されました。行先は「目黒」です。

モハ71は建物横の側線に佇んでいます。

ここは6枚目の様に検査中の車両の留置にも使われます。

前照灯は入線時にシールドビーム改造されています。

(九枚目)

両車のサイドビューです。

1980年代に複数の地方私鉄に東急5000系(初代)が導入され、

既存車の置換により近代化が推進されました。

置換えられた車両は戦前製の旧型車も多く存在しましたが、

それと同じであろう光景が今でも熊本で見られます。

(十枚目)

2か月後、2019.3.14撮影分です。

5101Aが庫内の6231A編成を入換しており、モハ71はその脇で

休んでいます。

近年では入換には5101Aの方がメインに使われている様です。

(十一枚目)

2019.4.20撮影分です。

熊本電鉄には1981年から6両、元東急初代5000系が譲渡され

5000形となりました。熊電初のカルダン駆動車です。

1981年入線分は2両編成で車番・塗色も東急時代のままでしたが

600Vに降圧されています(5043+5044)。

1985年入線分は両運転台・ワンマン化されて入線し、5101~

5104となりました。奇数車は御代志向き、偶数車は藤崎宮前向きに

運転台が新設されて連結運用に向け幌も設置されました(末期は

撤去)。塗色は東急時代の塗色に黄色と橙の帯が入りました。

1981年入線分はワンマン化後、1988年に5043も両運改造され

5105に改番、5044は休車されました。

(十二枚目)

こちらは2019.7.28撮影分です。

行先は「北熊本」で熊電の行先です。

 

1986年に部分廃止後、熊電の車両は5000形と元静鉄100形の500・

600形に統一されました。1991年から休車を除き水色と青の新

塗色になりました。

単行又は2両で使用され、全線で使われましたが500・600形に続き

老朽化により廃車が進められました。

末期は5101・5102の2両が「上熊本線」限定で残り、2004年に

ATS設置で車番末尾にAが追加され、塗色も緑に戻されました。

しかし「上熊本線」では夏場は非冷房車の為200形の運用となり、

5000形車内にはお詫びが貼られた事も有りました。

※熊本の夏は地獄です。

そして2015年に01形入線でまず5102Aが廃車、5101Aは運賃

表示器が幕式のレトロな物から液晶式に交換されましたが、2016年

引退しました。

東急初代5000系最後の現役車でした。

(十三枚目)

同日撮影のモハ71号です。位置は定期的に動いています。

元は現 可部線の前身、広浜鉄道の1形で1928年製です。

1936年に国鉄に買収され、モハ90形となりました。

同鉄道の買収車は原爆で多くが被災しましたが、この車は難を

逃れました。

その後、残ったモハ90形3両が熊電に入線し、モハ70形と

して1954年から使われました。「上熊本線」や貨車牽引が

メインでした。

(十四枚目)

今や貴重なイコライザ台車が見えます。

70形は1978年から廃車が発生し、1981年に最後に残ったモハ

71も廃車されましたが、除籍はされず入換用として残り、動態

保存車扱いとなっています。

1996年に茶色に戻され、2009年に再整備されて綺麗になりました。

最近は又痛んできましたが…。

貴重な買収国電の生き残りです。

(十五枚目)

月日が飛んで2022.8.28撮影分です。

5101Aが01-135編成を引き込んでいます。

この様にバラエティ豊かな電車が見られるのが熊電の魅力です。

(十六枚目)

再び訪問時の写真に戻ります。

北熊本駅の撮影を終え、次の電車の撮影をすべく八景水谷駅まで

移動しました。

やって来たのは三田線時代の姿に一番近い、6111A編成です。

1968年製造の1次車で熊電で冷房改造されており、この編成だけ

車椅子スペースが有りません。稼働率が低い時期も有りましたが

近年モケットが交換されています。

1000形入線後も当編成は残存予定で、最後の6000形となり

唯一の20m4ドア車となります。

ジャカルタに行った仲間は既に無く、秩父入線分も近年置換の

噂が流れており、最後に残るのはどこでしょうか。

 

次回に続きます。

 

 

 

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