撮影日   2016.12.30(12枚目は2016.8.12)

撮影場所  各写真に記載

 

今回から2016年に初訪問した、神話の国 出雲を走る地方私鉄・

一畑電車の記事を掲載します。

一畑電車は松江しんじ湖温泉駅~電鉄出雲市駅間の北松江線、

川跡駅~出雲大社前駅間の大社線の2線を持つ電化私鉄で、

全線直流1500Vで電化され総延長は42.2km、全線単線で自動閉塞

方式を採用しています。

運転は本線格の北松江線が全線通し列車を中心に一部車庫の有る

雲州平田駅や川跡駅発着が存在し、料金不要ながら特急(一部は

スーパーライナーの愛称)・急行も存在します。大社線は線内折返し

の他、特急・急行も存在し一部は北松江線に直通します。

距離は比較的短いながら車種がバラエティに富んでおり、列車

種別も豊富なのが特徴です。

 

私が訪れた時は2016年の大晦日でしたが、この時長く主役だった

3000系(元南海21001系)が1000系(元東急1000系)導入で引退が

始まり、最後の1編成のみが残っていましたが86年ぶりの新車・

7000系の導入が始まった為置換が決まった時期でした。

そんな過渡期の姿をお届けします。

 

(一枚目)

・年の暮れに当時住んでいた久留米から最終の新幹線で岡山まで

出て一泊し、翌日始発の「やくも」に揺られはるばるやって来たのが

北松江線の起点・松江しんじ湖温泉駅です。

JRの松江駅からは離れています。

 

ここは1928年に北松江駅として開業し、小境灘(現 一畑口駅)から

当駅までの開業で現在の一畑電車の区間が全通しました。延伸区間は

松江線と名乗っており、後に今市線と合わせ北松江線となっています。

駅名は1970年に松江温泉駅と改称され、2002年に現駅名に改称されて

います。

 

現在の駅舎は御覧の様にモダンなもので、2001年の竣工との事です。

頭端式2面2線の有人駅で、売店も有ります。

訪問時は当線を基にした映画「RAILWAYS」の告知がされていました。

駅前はバスターミナルとなっており、高速バスや一畑バス・松江市営

バスの一般路線が乗り入れています。

 

ところで…。

現在は分かりませんが、訪問時は一畑電車は毎日の使用車両をウエブ上で

公開していました。私の狙いは当然3000系と7000系だったのですが、

7000系は訪問予定日は運行予定でしたが、3000系は運転されない筈でした。

車庫の有る雲州平田駅で見れたら良いと思っていたのですが…。

(二枚目)

出雲の神の御導きが有ったのか、年末の多客期で急遽の運用変更だったのか

他形式(1000系か2100系だった筈)の乗車予定列車は何と3000系でした!

丸っこいデザインが見えた瞬間、体全体が震え上がりました!

 

3000系は北松江線の近代化の為、2100系に続き南海21001系を譲受したもので

1996年に2連4本が導入されました。

デハ3001形+デハ3010形となっており、3005+3015~3008+3018が在籍

しました。2100系の続番となっています。

引退を控え「だんだん(出雲言葉で『ありがとう』の意)3000系 1996~

2017」のヘッドマーク付きでした。

 

南海21001系は高野線の「大運転」用として1958年から1964年にかけ4連8本が

導入されたもので、同運用初の高性能車です。南海本線の優等列車用11001系

(後1000系初代)と同じく湘南マスクで2ドアの全金属車体ですが、運用線区に

合わせ17m級車体となり、全電動車方式で山間区間の登坂能力と平坦区間の

高速性能を両立させた設計となりました。

最初の4本はドア間転換クロスで落成し、後の増備車はオールロングシートとなり

ました、最終的に第1・2編成だけがクロスシートで残り、特急「こうや」の代走

を務める事も有りました。

「ズームカー」の愛称を持ち、「丸ズーム」とも呼ばれました。

 

長く「大運転」の主役として難波駅~(高野山)極楽橋駅間の急行で主に活躍し、

「角ズーム」22000系(現 2200・2230系)との併結も行われました。

1973年に600Vから1500Vに昇圧され、その際に22000系のモーターと交換し

1C8M方式となり、集中冷房による冷房化も行われています。

しかし1990年から「大運転」用新車2000系導入で廃車が発生し、1997年に

全車引退しました。

(三枚目)

・側面です。ワンマン運転の為一部扉のみ扱われていました。

冬でしかも宍道湖の傍なので、その方が都合が良さそうです。

 

車体は丸みを帯びた準張殻構造で、片開2ドアです。いかにも長距離のスタイル

ですが、高野線のラッシュ時には不向きそうな感じもします。

張上げ屋根でノーシルノーヘッダーの美しい車体で、窓は小さめの1段下降窓です。

戦前の南海電車は2段窓でしたが、戦中・戦後の車両は1段下降窓となり戦後の

高性能車11001系や21001系、機器流用車1521系や2051系にも引き継がれ

ました。高性能車で初の通勤仕様、6001・7001系では2段窓に戻りましたが

以後22000系や6101・7101系以後再度1段下降窓に戻りました。

廃車時は既に車齢30年を超え、冷房付きカルダン駆動ながら古い部類でしたが、

17m級車体で全電動車方式で短編成化も容易で、地方私鉄向きの車両でした。

 

(四枚目)

前パンがカッコいいデハ3006です。入線時に連結面側のパンタは撤去されて

います。前照灯はシールドビーム2灯の「目玉焼き」スタイルで、103系初期車や

キハ20系列でも見られたものですが、今では絶滅寸前です。

そして何よりも鼻筋の通った正統派の「湘南形」マスクが堪りません。

80系電車から受け継がれたスタイルで高野線を30年以上走り抜き、一畑でも

20年に渡り活躍しました。

行先表示器はサボ式で、こちらは「ありがとうズームカー 1958~2017」の

HM付きでした。ベースカラーは南海時代の塗色です。

 

本系の前に60系(2代目)・90系(いずれも元西武551系)が「湘南形」スタイルで

使われていましたが、前面窓がピラーでつながった亜流スタイルでした。

80系(元西武451系)と共に20m両開きドアに全金属車体の近代的なスタイル

でしたが、足回りは旧型国電由来の吊り掛け駆動で2100系・3000系導入で

引退しました。

 

一畑では1990年代になっても上述西武系大型車以外は電化時からの旧型車が

多数使われていましたが、まず北松江線について冷房付きカルダン駆動で

ワンマン対応車両の導入が行われ、1994年に2100系(元京王初代5000系)が

導入、続いて3000系の導入が開始されました。

入線に際し中間車を除き2連となり、ワンマン化や塗色変更が行われた程度で

大きな変化は有りませんでした。

種車は全車ロングシート車でしたが、3008編成は登場時クロスシートでした。

入線後は後に大社線でも使われる様になり、併結した4連運用も存在しましたが

2100・5000系との併結は行われませんでした。

 

長く主力として活躍しましたが、1000系導入で2015年から廃車が発生しました。

置換前の2012年からは3008編成は製造時の塗色に復元されていました。

2016年までにこの3006編成以外は廃車され、遂に訪問直後の2017年1月に

引退し、3000系は形式消滅しました。

(五枚目)

車端部です。妻面に張り出した箱型の物は何でしょうか。

転落防止幌は最後まで未設置でした。

残念ながら車内外の状態は良く有りませんでした。

黄色と白の塗り分けに青が入った塗色は2100・3000系で採用された

一畑の新塗色でしたが(5000系は特別塗色)、1000系ではオレンジに

白帯のかつての一畑の塗色が採用され、他の車両も特別塗色に変更が

進んだ為訪問時はこの編成が最後でした。現在は消滅しています。

 

標記ははっきり見えるデハ3016側は「形式 デハ3010 自重 36.4t

定員 126人 27-5(検査日?) 一畑電車(施工箇所?)」、薄れかけた

デハ3006側は「形式 デハ3010 自重 36.7t 定員 126人 

20?6?-6(検査日?) 一畑電車(施工箇所?)」です。

自重はパンタグラフなどの搭載機器の違いでしょうが、検査日?の違いは

何故でしょうか。自社で日常業務の合間に1両ずつ施工したのでしょうか。

この編成はデハ3006-モハ21013、デハ3016-モハ21014で1964?帝国

車輛製です。

引退時は50年を超えており、貴重な「湘南形」電車でした。

 

(六枚目)

・この列車は大社線直通の出雲大社前駅行きで、雲州平田駅まで乗車しました。

 

内装は南海時代から大きく変わらず、オールロングシートでモケットは

ブラウン系、袖仕切りはパイプ式で曲線的な特徴の有る形状です。

床は通路部クリームで両端は薄ピンクで入線時に変更したかも知れません。

壁は薄い木目調の特徴的なもので側扉内側にも化粧板が貼られています。

荷棚はパイプ式で吊手受けと独立しています。

天井は冷房風洞が張り出しており、風洞はスポット状で左側ドア脇に丸形の

非常灯(白熱灯)も見えます。

何と言っても照明が特徴で、カバー付き照明が天井中央に一条、加えて荷棚に

読書灯が設置されていました。そして乗車時は点灯していました!

読書灯と言えばクロスシートの優等列車で見られる装備ですが、急行列車用とは

いえロングシート車で設置されている事に驚きました。

ワンマン改造により、運転台後部は一部座席が撤去され運賃表示器(デジタル式)、

運賃箱が設置されドア脇には整理券発行機が設置されています。

(七枚目)

車端部です。

妻面には側窓と同じサイズの妻窓が設置されており、整った見た目です。

貫通路は狭幅です。

 

乗車した感想は、座席は大変柔らかく走行音は静かでした。スムーズな

走りでしたが線路状態のせいか揺れました。

年末の午前中でしたが乗客はそこそこ乗っていて、出雲大社に向かうと

思しき客も見られました。


(八枚目)

ドア幅は広めで、化粧板が貼られています。

本系列はHゴムが使用されておらず、押さえ部材は金属です。

運転台後部は運転士側は座席が撤去されており、大きなカウンター?が

置かれていました。本系より前に導入の2100系では車椅子スペースが

設置されていましたが、本系では未設置でした。

引退を控え、記念の写真が飾られていました。

(九枚目)

こちらは出雲大社前駅で保存車のデハ52から撮影した、台車のFS17Aです。

コイルバネ台車で第1・2編成のFS17にボルスタアンカーを追加しています。

駆動装置は中空軸平行カルダン駆動、ブレーキは発電制動併用電磁直通式

空気ブレーキです。

高野線時代の様な登山は有りませんでしたが、一畑では最高速度85km/hと

地方私鉄では高速の部類なので南海時代の性能が活かせたかと思います。

(十・十一枚目)

一畑電車は路線の東半分は宍道湖に沿って走っており、広く穏やかな

宍道湖の景色が眺められます。

 

同社の歴史は1914年に一畑軽便鉄道として出雲今市駅(現 出雲市駅)~

雲州平田駅まで開業したのが嚆矢です。一畑薬師への参拝客輸送を

目的としており、1915年に一畑駅まで延伸されました。その後上述の

様に北松江駅まで延伸され、既に国鉄大社線(1990年廃止)が伸びていた

出雲大社への大社線は1930年に開業しています。

当初非電化でしたが、1925年に一畑電気鉄道と改名し1927年に既存区間が

電化、松江線と大社線は当初から電化開業しています。

 

その後、1944年に小境灘駅から一畑駅までの区間は不要不急路線として廃止

され、以後平坦な地形の一畑口駅で突如スイッチバックする形態が続いています。

1954年には出雲市駅から出雲須佐駅を結んでいた非電化の出雲鉄道を買収し

立久恵線、荒島駅から出雲広瀬駅を結んでいた電化私鉄の島根鉄道を買収し広瀬

線としました。これらは1964年までに廃止されています。

 

以後は厳しい状況が続きながらも山陰唯一の私鉄として続いており、2006年に

一畑電気鉄道は持株会社となり鉄道部門は一畑電車と分社化されました。

現在も山陰唯一の私鉄として頑張っています。

(十二枚目)

最後に、千頭駅で撮影した大井川鐡道21000系モハ21003です。

 

一畑に先駆け、1994年に大井川鐡道には21001系が2連2本移籍しました。

こちらは観光路線らしくクロスシート装備の第1・2編成が譲渡され、

塗色は南海の旧塗色のまま譲渡されました。この編成は引退前に新CI

カラーになっていましたが復元されています。

少しですがクロスシート且つ読書灯が点灯した車内が見えます。

尚新金谷の車庫では一畑の同型車の廃車発生品と思しき集中クーラーが

置いてありました。確か大井川譲渡車のクーラーが不調になった為、

一畑の廃車発生品を譲り受けたと聞いた事が有ります。

 

こちらは製造から60年以上経過した今も全車現役ですが、現在運用

開始待ちの南海6000系により置換の可能性が有ります。

少しでも長く頑張って欲しいです。

 

 

次回に続きます。

 

参考文献   鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション21 

       私鉄車両めぐり 山陽・山陰

 

参考HP    ウイキペディア 関連ページ