撮影日   2023.6.23

撮影場所  JR西日本本四備讃線 児島駅及び岡山行車内

 

227系導入により先行きが危惧されている、先日撮影した115系

300番台です。

(一枚目)

・折り返して岡山駅へ向かうD-25編成です。

 

115系300番台は1973年から1977年まで488両が製造された

グループです。基本番台を元に当初から冷房車として製造され、

集中式冷房AU75Cを搭載し前照灯はシールドビーム化、側窓は

ユニット窓となり側面は電動式行先表示器を準備工事としました。

車体は難燃性を向上しA-A基準を採用した構造に変更されています。

主電動機と主幹制御器も改良型のMT54D・MC53に変更されました。

又、冷房電源引き通しの関係上Tc車を片渡として方向転換を考慮

しない様になりましたが、車番は通し番号で区分されていません。

同様の改造は113系や415系でも行われましたが、それらが基本

番台の続番で製造されたのに対し、115系では区分されています。

 

民営化後は東日本と西日本に引き継がれ、東日本では末期は豊田や

長野に配属されリニューアル工事を受けた車両や伊豆急行に譲渡

された車両もいましたが、既に全廃されています。

西日本では後年は下関や岡山に所属し、大きな改造は受けていない

ものの延命N工事が多くの車両が施工され、下関車には上段下降・

下段上昇窓に変更された車両も存在しました。

現在は岡山に3両編成6本だけが在籍しており、多数派の1000番台

に混ざり活躍しています。

改造車が多い115系の中で300番台は殆ど改造や改番が行われて

おらず、余り変化が無いグループです。

(二枚目)

岡山方先頭車クモハ115-320の側面です。

1976年日本車輛製です。

115系3連D編成の内、22~26編成が全車300番台です。

 

クモハ115形300番台は8両編成ながらクモハ先頭の変則的な

編成を組んでいた中央東線向けに導入されており、昭和49年度

第2次民有車両予算分からの為少し遅く導入が始まっています。

JR西日本所属の300番台は全て小山や三鷹といった首都圏から

民営化前に移籍しており、この車両も当初は三鷹所属でした。

現在は三鷹に近郊形電車がいた事すら考えられません。

 

300番台の特徴としてユニット窓が採用され窓の隅が四角に

なりました。次の1000番台からはシートピッチ拡大で車端部の

2段窓が幅広窓1個に変更されています。

現在は戸袋窓は黒Hゴムに変更され、2017年に半自動用の押し

ボタンが設置された為一部戸袋窓が縮小されています。但しドアの

手掛けは残っています。岡山電車区の3連D編成は中間車側面の行先

表示器だけの使用の為、この車は準備工事のままです。

(三枚目)

相方モハ114-356です。モハ114形はモハ115及びクモハ

115形とユニットを組んでおり、車番がクモハ115形と一致

しません。

 

この車は行先表示器が設置されていますが、岡山区の115系は

遅くまでサボを使用しており、行先表示器使用開始時に前面及び

一部車両の側面をLED表示器に改造して使用しました。但し

サボ受けも残されています。又、現在は弱冷房車扱いです。

(四枚目)

クハ115-406側面です。こちらも1976年日本車輛製で当初

三鷹所属でした。

クーラーは近年交換された様で、115系3000番台や201系等で

使用のWAU709でしょうか。JR西日本らしく通風器撤去や転落

防止幌の設置が行われ、経年車ながら様々手が加えられ綺麗です。

フォントは国鉄風のままです。

(五枚目)

この車両はトイレが設置されていますが、シートピッチ拡大の

1000番台車以降のユニット化されたトイレの車と違って窓が大型です。

国鉄時代多くの形式で見られたこのタイプも殆ど見られなくなりました。

側面行先表示器は準備工事のまま埋められています。

 

塗色は「湘南色」から「末期色」になってしまいましたが、D-26・27

編成は「湘南色」で残存し貴重な姿を残しています。

登場時の「スカ色」も見てみたいです。

(六枚目)

・同車の前面です。行先表示器はLED化されています。

タイフォンカバーはシャッター式です。

編成番号は車掌台側窓の内側に書かれています。

通風器が撤去され、塗色も「末期色」になった為体質改善30N工事車と

見分けが付きにくいですが、前面窓など各所にHゴムが残っているのが

相違点です。

(七枚目)

・この列車で児島駅から茶屋町駅まで乗車しました。

以下、クモハ115-320車内です。

 

この編成は延命N工事を受けています。岡山所属の300番台は全車施工済み

ですが、下関所属車と違って化粧板が原型の薄緑色又は水色です。水色の

車両は所々に薄緑色が残っていたので上から塗ったのかも知れません。

貫通扉もJR西日本の延命工事車の大多数と違って拡大されておらず元の

サイズのままで、原型に比較的近い内装です。

(八枚目)

車端部です。

連結面側はBOXシート、ドア脇はロングシートです。

貫通扉は薄緑色ですが、連結面側はステンレス無塗装なのが見えます。

この編成は薄緑色の化粧板のまま一部が水色に塗られており、この写真

でも貫通路付近や配電盤、側面行先表示器裏等が薄緑色なのが分かります。

私が岡山にいた10年ほど前からこの様な形態だったので、延命工事の

際に施工されたと思いますが…。

(九枚目)

・クロスシートは原型のBOXシートのままで、ピッチも拡大されて

いません。茶色のモケットで座席にはカバーが掛かっています。

115系でBOXシートで残っているのは300番台と1000番台でも2

両ワンマン改造編成のグループだけです。

側窓は瀬戸大橋通過対策の為下段固定に改造されています。

瀬戸大橋線は線形も路盤も良いですが、豪快にスピードを出して

走ると流石に揺れました。

トンネル内でMT54の音を壮大に聞くのは楽しいものでした。

(十枚目)

ドア脇はロングシートで、袖仕切りは荷棚と一体型のタイプです。

バケットシート化などされていない昔ながらの座席です。

ドアはステンレス無塗装で窓はHゴム支持です。

 

床は薄茶色の様ですが、色が薄くて原型のグレーと見分けが付かない

くらいです。延命工事の際に塗り直したと思うのですが。

ドア付近の床は黄色く塗られています。

今は消滅しましたが、下関の115系で未更新又は特別保全工事施工車

でも末期は茶色に塗られていました。

(十一枚目)

押しボタン設置で戸袋窓を埋めた部分はこの様になっています。

化粧板を嵌めただけですが、薄緑色なので壁と色が異なっています。

西武6000系アルミ車初期型や9000系の様な感じになってしまって

いますが、JR西でも103系の戸袋窓を埋めた車両では外側だけ

埋めて内側はそのままだった車がいた様です。

(十二枚目)

天井周りは昔のままで、白い化粧板に船底型の風洞が張り出し、

照明は蛍光灯のままです。

そしてこの様に非常灯として丸形白熱灯も残っています。1000

番台以降はインバーター内蔵の非常灯兼用蛍光灯になりました。

 

荷棚受けも鉄製ホーローびきで、白く塗られています。これも

1000番台以降ステンレスに変更されました。

この時期の国鉄型車両ではよく見られたもので、丸形白熱灯と

共にJR九州の415系0番台等でも残っていましたが、今どれだけ

残っているのでしょうか。

(十三枚目)

車内の車番表示はJR西のタイプに変更されています。

近年流行りの「SOS」ボタンが貼られていますが、非常ボタンは

古いままでここも薄緑色で化粧板と色合いが異なっています。

 

新潟から所属が消滅し、下関も大幅に減った今115系の「聖地」

は岡山としなの鉄道だけになってしまいました。

この岡山も227系導入がアナウンスされています。導入数から見ると

国鉄型各形式全車の置換とはならないと思われますが、300番台は

既に車齢45年を超えた最古参車で、1000番台の様に雪切室も備えず

耐寒耐雪装備の面でも劣り、113系や117系と共に置換対象と推測

されます。

間もなく引退かと思われますが、最後まで元気に頑張って欲しいです。

そして「スカ色」を見てみたいです。

 

以上です。

 

参考文献   鉄道ピクトリアル No.820  2009.7

 

参考HP   新三田電留線・改