撮影日   2022.7.23

撮影場所  各写真に記載

 

今回は今年の夏、近くにかつて住んでいながら今まで乗車した事の

無かったJR西日本小野田線の通称「本山支線」に乗車した際の

記事です。

 

山陽本線小野田駅と宇部線居能駅を結ぶ小野田線は山陽小野田市と宇部市を

結ぶ電化路線ですが、その途中雀田駅から長門本山駅まで僅か2.3kmの

支線が分岐しており、本山支線と通称されています。

小野田線自体が乗客が少なく、メインは123系電車の単行ワンマンですが、

その支線である本山支線は輪をかけて乗客が少なく、本数も1日3往復で

朝夕ラッシュ時に偏っており、大変乗車しにくい線区です。

 

山口県内には他に山陰本線の「仙崎支線」という、こちらも本数も所在地

からも乗りにくい支線が有りますが、そちらは観光地最寄りなのに対し

本山支線は地味な場所に有ります。かつては戦前クロスシートで名を

馳せたクモハ42形が生き残っており、旧型国電ファンに知られた場所

でしたが2003年に123系に置換えられ引退してしまいました。

同じ県内の美祢線「大嶺支線」も1駅だけの短い支線でしたが、そちら

1997年に廃止されてしまい、小野田線自体が存廃が危うい中、この

本山支線もいつまで残れるか分からない状況です。

長門本山駅の辺りは昔自転車で来た事が有るのですが、今回初めて

列車で訪れてみました。

 

(一枚目)

・「本山支線」の起点、雀田駅です。

 

小野田線が宇部線から分岐する居能駅から3駅先に有り、小野田方面の本線と

分岐しています。

ホームは本線と支線に挟まれた中にY字型に設けられ、駅舎もその中に設けられて

います。立派な駅舎が有りますが、無人駅になって久しいです。

ホームは線路に面した部分だけ嵩上げした様で、段差が有ります。

(二枚目)

乗り場の案内が複数分かれているのが分岐駅らしいです。

現在は小野田線の本線乗り場と本山支線の乗り場がそれぞれ1面1線の構造と

なっており、ここで列車の交換は出来ません。

 

1929年に小野田線の前身、宇部電気鉄道の駅として開通しており、当初は

ここから新沖山駅まで伸びていました。

1937年に長門本山駅までの支線が開業、1941年に宇部鉄道の駅となり

1943年国有化、宇部西線の駅となります。1947年にここから小野田港駅

までが開業し雀田駅~新沖山駅間は廃止、1948年に小野田線となりました。

小さな駅ですが変遷が多い駅です。

 

2018年に駅舎が改装されており、無人駅ながら小綺麗です。点字ブロックや

ベンチも新しいです。

近くには山口東京理科大学という凄い名前の大学が有りますが、乗車人員は

2010年代は1日平均百数十人台です。

尚、3枚目の写真で駅名板がオレンジ色のラインが入ったものになっています。

これは利用促進の為、サッカーチームのレノファ山口のチームカラーに因んだ

物に交換した為です。

(三枚目)

本山支線の列車は朝2往復、夕方1往復しかなく朝の列車に乗るには

現地で泊まらないと難しいと思われます。

この電車は雀田駅18:12始発の長門本山駅行きで、長門本山行き終電です。

クモハ123-6の単行ワンマンです。

この車両は30分ほど前に宇部新川駅に留置されていたので、回送で

雀田駅まで送られてきたと思われます。

 

乗車してきた宇部新川駅発の小野田駅行きの105系(花火大会の為臨時で

105系が充当された様です)から乗り換えましたが、本線が遅れていて

ヒヤヒヤしました。何せこれを逃したらもう電車が無いので…。

結局接続を待っての発車で、何人かと一緒に乗り換えました。

車内でも既に数名乗車していましたが、どうも地元の人では無さそうで…。

(四枚目)

10名ほどのお客さんを乗せて発車しました。

訪問時は夏休み中の土曜日で、通勤・通学客が全くいなさそうな日にも

関わらず乗っていると感じましたが…?

 

発車して3分で唯一の中間駅浜河内駅に着きました。1957年の開業です。

1面1線のシンプルな駅で、駅舎は無く待合所だけです。車内から見える駅前?の

風景は藪ですが、全く人家が無い場所では無く近くを小野田駅方面~南浜河内~

本山岬間の船鉄バスがそこそこ走っています。バス路線は本山支線の全区間を

並走しておらず、線路と違って山陽小野田市内方面に伸びています。

コロナ禍前の時点で1日平均乗車人員は10人に満たず、通常は通学利用が細々と

有るだけと思われます。今回は乗降有りませんでした。

尚、本山支線内は交換可能な場所は無く全て単線です。

(五枚目)

そして僅か5分で終点、長門本山駅に着きました。

ホームは1面1線、簡素な待合所が有るだけです。

新し目の駅名板と点字ブロックが設置されていて手が加えられていますが、

2010年代の1日平均乗車人員は20人台です。

 

山陽小野田市の駅ですが、市内中心部(小野田駅は中心から離れており、

小野田線の南小野田駅や南中川駅の方が近い)には乗り換えが必須で、

宇部市中心方面(山陽本線宇部駅では無く宇部新川駅の方が近い)通学需要が

メインと思われます。

小野田市中心方面へはバスがそこそこ走っており、沿線は比較的平坦で自転車や

原付での通勤通学も多いかと思われます。そもそも山口県は自動車社会です…。

(六枚目)

・駅の周りは草むらで、そこに面した出入口?側の待合所の壁に駅名が書かれて

います。昔は駅舎が有ったそうです。

ホームは線路側だけ嵩上げされており、段差が有ります。

 

尚、写真でも分かる様に乗車してきた人たちは私も含め、全て趣味者でした。

そしてそのまま折り返して行きました。

つまりこれらの人々の乗車が無い場合、通勤通学需要が無い土日の列車は全くの

空気輸送かと思われます。

何となく予想はしていましたが…。

もっとも一度だけの乗車なので、普段は違うのかも知れませんが…。

(七枚目)

長門本山駅の時刻表です。

撮影時(及び執筆時点)のダイヤは毎日共通で、7:10、7:35、18:37

発の3本だけです。始発のみ雀田行き、他は宇部新川行きです。

全てクモハ123系の単行です。

上述の通り2003年迄は全国で唯一生き残ったクモハ42形がJR最後の営業用

旧型国電として使われていました。

その時代に乗りたかったです。

(八枚目)

線路の末端部です。

コンクリートの車止めが有るだけのシンプルな構造です。

(九枚目)

周りは住宅地が並び、民家が無い場所では有りませんが駅の周りだけ

草むらです。どこからでも入れそうです。

か細いホームと線路に対し架線柱がやけに頑丈で場違い感が有ります。

(十枚目)

・到着した電車は既に宇部新川の幕になっています。

僅かな滞在で折り返し、これが本山支線の完全な終電です。

もっとも本数減の結果、小野田線本線の終電も20時台になってしまい、

都市間連絡の足としては物足りなくなっています。

 

次回に続きます。

 

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