撮影日 2020.12.1
撮影場所 ひたちなか海浜鉄道湊線 阿字ヶ浦駅周辺
前回の続きで、ひたちなか海浜鉄道は阿字ヶ浦駅です。
海沿いの静かな駅舎には長く走り続けた老兵が物言わぬ時を過ごしていました。
(一枚目)
・かつて茨城交通湊線では国鉄キハ22形同型車を北海道の運炭鉄道から集め、
5両を有し主役としていました。
いずれも小型1枚上昇窓・デッキ付き、床は板張りの酷寒地向け車両で、国鉄の
同型車とほぼ同じです。
これら寒地向け装備は温暖な茨城交通では不要な設備でしたが、最後までそのまま
でした。車端部にドアが有る為ワンマン改造の対象とされ、90年代に鹿島臨海鉄道から
購入したキハ20形4両がワンマン化されず廃車されたのに対し長く活躍しましたが、
冷改されずいずれも今は引退しており、現在の旧型気動車はキハ205(元国鉄キハ20形→
水島臨海鉄道を経て入線・ワンマン化・冷房化済み)だけです。
国鉄キハ22形の私鉄向けは今回紹介の2形式の他、雄別鉄道(1970年廃止)のキハ100形
(廃線後関東鉄道に移籍、キハ106のみ片運転台)が準同型として存在し、こちらはデッキ無しで
ドアが中央寄り配置でキハ21形と折衷スタイルでした。更に亜種として定山渓鉄道の国鉄
乗り入れ様キハ7000・7500(7500形は中央寄りドア配置)も存在しましたがこちらは湘南
マスクの非貫通車でした。
他に国鉄キハ22形の譲渡車は津軽鉄道・下北交通・弘南鉄道、一時的な借り入れとして
秋田内陸縦貫鉄道と阿武隈急行にも在籍しましたがいずれも引退済みで、本家JRでも
北海道でワンマン化された700番台が1995年に廃車され形式消滅しています。
茨城交通の本系列はひたちなか海浜鉄道にも引き継がれ、最後のキハ22形として注目
されましたが残念ながら現役を退いています。
(二枚目)
・訪問時は手前のキハ222はボロボロ、奥のキハ2005は比較的状態が良好でした。
その後、クラウドファンディングにより幸運にもキハ222は修復されて綺麗になり、
この地で「ひたちなか開運鐡道神社」なる、鉄道車両としては世界で初めて御神体と
した神社に鎮座しています。
奥のキハ2005は御神体になってはいない様ですが、変わらず2両並んでイベント等で
活用されているそうです。
将来的には那珂湊駅に鳥居を建てる計画も有るそうで、延伸計画と合わせこの近辺は
(三枚目)
・手前のキハ22形222です。
元は羽幌線(廃止)の築別駅から築別炭礦駅までを結んでいた、羽幌炭礦鉄道の
譲渡車です。同鉄道は戦後、国鉄キハ42000形を2ドア化・液体式改造したキハ
1001(当初は客車として入線)を導入し、1959年には珍しくレールバスのキハ11
(機械式・中央ドア)を導入して客貨分離を図っていました。
戦後の北海道の運炭鉄道はどこも盛況で、大型の液体式気動車を導入して旅客
輸送の近代化に努めていました。
そこで働いていた気動車達は多くが本州で再起し、特に茨城県内の関東鉄道と
茨城交通がかき集めました。一時期羽幌炭礦・留萌・夕張・雄別・三井芦別各私鉄
出身者が両私鉄で活躍しており、夕張鉄道出身のキハ714(元キハ251)は関東
鉄道から分社化された鹿島鉄道にて、北海道初の液体式気動車且つ湘南マスク・
バス窓といった貴重なスタイルを残しつつ、冷房化され2007年の廃線まで現役でした。
キハ22形はそれに続いて導入され車両で、1960年から66年にかけ3両が導入され
ました。上記の様に国鉄キハ22と同設計で車内はセミクロスシート、エンジンも同型で
DMH17C、変速機はTC2です。台車も同型でDT22(付随台車はTR51A)コイルバネ
台車です。全車富士重工製です。
1966年増備のキハ223は1963年以降の国鉄キハ22形200番台に準じ、台車がDT22C
(付随台車はTR51B)となりました。この年度は国鉄キハ20系でも最終導入年度であり、
ドアもその時期の導入車両に合わせドアの凹みが無くなりました。
トイレも設置されていましたが茨交移籍時に撤去されました。
好調だった北海道の運炭鉄道は産業構造の変化等で1970年代には苦境に入り、
廃線が相次ぎましたが当鉄道は早くも1970年には会社更生の手続きに入り、同年
廃線となりました。それによりキハ22形は1971年に茨城交通に移籍しました。
羽幌時代は茶色に白帯でしたが、この塗色は湊線でも引き継がれステンレス無塗装の
ケハ601以外も塗り替えられました。その後、白地に水色帯の時代を経て、茨交バスと
同じ白地に赤と青帯になりました。
90年代に入っても主力でしたが、1997年にキハ221は羽幌時代の塗色に復元され
ましたが、1998年に廃車されました。廃車後は阿字ヶ浦駅で更衣室になっていましたが
解体されています。
キハ223は2009年に廃車され、現在は別の場所で保存されています。
そして最後まで残ったキハ222も2015年廃車となり、阿字ヶ浦駅で保存されています。
(四枚目)
・当車は末期は1950年代迄の旧国鉄気動車標準色の藍色とベージュの塗り分けに変更されて
いました。茨交では1990年代になっても国鉄キハ20・22系列や、その頃既に希少だったキハ11形
(初代)といった旧国鉄の気動車を多数保有しており、それらの車両に国鉄時代の塗色へ塗り替えて
いました。尤もキハ22系列各社はいずれも私鉄導入車なので過去に塗られた事は有りませんが。
訪問時は可哀そうなくらい色褪せていました。
この車両の見所は、何と言っても運転台側の旋回窓です。これは写真の様に円形ガラスを取り付け、
それを回転させて雪を拭う構造です。除雪車や寒地向けの機関車に装備された他、一部北海道の
私鉄気動車にも装備された物ですが、旅客車両では本車両が最後の装備車だった様です。
国鉄キハ22には装備されておらず、当地では不要な装備でしたが最後まで残っていました。
前照灯は1灯タイプのシールドビームに改造されています。又、手前のドア次位はトイレが撤去され、
窓に名残が有ります。ドアは元はプレスドアで凹みが有るものでしたが、交換された様です。
「自動扉」の表記が有りますが、キハ20系は開ける時のみ手動で本形式も羽幌時代の写真では
ドアに手掛けが有り、茨交入線後も70年代の写真では残っています。その後完全な自動ドアに改造
され、扉も交換されたのでしょうか?
尚こちら側の運転台窓のHゴムはグレーのままです。
(五枚目)
・台車は国鉄型車両で良く見かける、コイルバネ台車DT22(付随台車はTR51A)で変哲も
有りません。羽幌炭礦鉄道は羽幌線に乗り入れており、その為のATSも装備していたので
国鉄と同型な方が都合が良かったのでしょう。
側面には北海道らしい小型1枚窓が並んでいます。
照明は茨城交通では蛍光灯になっていますが、キハ222までは国鉄キハ20系も白熱灯の時代だった
為、後年交換されたかもしれません。
左から1番目と2番目の間にスピーカーが有り、ドア脇のサボ受けも70年代の写真には見当たらない
為、ワンマン改造時に設置されたと思われます。
ワンマン化でデッキ仕切撤去・運賃箱及び整理券発行機設置、ロングシートの増設が行われました。
ドア横の標記は「形式 キハ22 自重 32.7t 換算 積 3.7 空 3.2」です。
(六枚目)
・キハ222より撮影しにくい位置だったのでちゃんとした写真はこれだけですが、キハ2000形
2005です。
キハ2000形は留萌線恵比島駅から昭和駅まで延びていた、留萌鉄道からの移籍車です。
本鉄道も運炭鉄道で、開業時は鉄道省に運行を委託していたという珍しい鉄道です。
当路線も戦後気動車の導入が始まりました。その中で1955年からは大型液体式気動車が
導入され、まずキハ1000形2両が導入されました。側面は国鉄キハ10形風の窓・ドア配置
ながら菱枠型台車、前面は湘南マスクで吹雪対策で窓下にも前照灯を配した特徴的な
車両でした。次のキハ1100形は湘南マスクながら窓下ライトは無く、台車がコイルバネに
なって窓が小型1枚窓、ドアは中央寄りというキハ21・22準拠になりました。
更に最後の増備形式として1966年に2両が増備されたのが本形式で、キハ1000形から
通し番だった為2004・2005となりました。要目は上記羽幌車と同じですが、トイレと旋回窓は
有りません。台車もDT22系ながらメーカー独自の形式名となり新潟鉄工製2004はNP108D
(付随台車はNP108T)、東急車輛製2005はTS123でした。
製造時期柄、ドアは当初からプレスドアでは有りません。
当路線も1969年に営業休止となり、キハ1000形以降の大型気動車は1970年に茨城交通に
移籍しました。車番は羽幌車と同じく改番されていません。
留萌鉄道移籍車は5両在籍した為1970年代の茨城交通の主役で、キハ2000形はキハ22形と
共に主役となりました。1970年代にはキハ1000形と1100形の方は間にトレーラーのハフ45
(元国鉄キハ41000形、東野鉄道を経て移籍)を挟んだラッシュ時の4両編成でも使われて
いました。貫通スタイルのキハ22や2000形の方が良さそうな気がしますが。その頃には
茨交オリジナル車はケハ601以外は既に予備車でした。
キハ1000・1100形は1991年までに引退しています。
その後の経緯も羽幌車と同じで、ワンマン改造の内容も同じです。こちらもドアの取っ手は
無くなっています。前照灯もシールドビーム化されましたが、この2005は222と同じですが
2004の方は小型2灯化されました。又写真では見えませんが、2005の通風器は東武8000系
タイプに交換されています。
2004は末期は旧国鉄準急気動車色の淡黄色地に赤帯になりましが、2015年に廃車され
現在は炭鉱繋がりで平成筑豊鉄道金田駅構内に保存されています。
(いずれ写真を紹介します)
2005は写真の様に2010年に旧国鉄急行気動車色になり、2013年にはそれに準じながら
前面に3本帯(ヒゲ)が入った島原鉄道色になりました。
写真では島鉄風3本ヒゲは消えかかっており、窓のHゴムは黒くなっています。
当車も2015年に引退しています。
このキハ2000形2両の引退で、オリジナルではないにしろ旧国鉄キハ22形の現役車は
消滅し、ひたちなか海浜鉄道から非冷房車も消滅しました。
これら2両は今では珍しくなってしまったキハ22形であり、往時の盛んな北海道の運炭鉄道を
偲ぶ車両となっています。
末永く保存される事を願います。
そして次は那珂湊駅へ戻ります。
参考文献 世界の鉄道 1976
鉄道ピクトリアル 2022.1 NO.994
鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション29 私鉄車両めぐり 関東(Ⅰ)
参考HP 三鉄ものがたり@気動車の聖地・那珂湊
ウイキペディア 関連ページ





