撮影日   2019.3.22

撮影場所 北陸鉄道浅野川線 北鉄金沢駅(3~5枚目は内灘駅)

 

前回訪問の北鉄石川線に引き続き、今回から浅野川線を紹介します(といっても夕方で余り

撮影出来ませんでしたが)。

 

浅野川線は北鉄金沢~内灘まで6.8kmの電化路線で、軌間は1067㎜となっています。

石川線と違い1500vとなっています。

現在は全ての列車がワンマンの普通列車で、2両編成で運行されています。

昼間でも一時間に2本以上運行されており、金沢の住宅路線の性格が強いです。

以前は急行が存在しましたが、現在は普通列車に統一されています(かつては石川線にも

準急や急行が存在しました)。

白山麓を走る石川線と違い、日本海に向かう路線ですが沿線は全く海の感じはせず、

とにかく宅地路線の感が有ります。

 

元は1925年に浅野川電気鉄道により、七ツ屋(北鉄金沢の次駅)から新須崎(廃止)間が

開業したのがルーツです。1926年には金沢駅前に延伸され、1929年に粟ヶ崎海岸まで

開業し全通しています。

その後1945年に県内各鉄道事業者が戦時統合によって発足した北陸鉄道に遅まきながら

統合されています。金沢市内線と一時期直通運転が有りましたが、近辺に存在した金石線

とは接続しませんでした。

末端の内灘~粟ヶ崎海岸間は末期は夏期のみの運転となっていましたが

1970年休止され、1974年に廃止され現在の運行区間となっています。

石川線とは違い支線が全くない単独の路線を貫いています。

 

その後の変化は少なく、各線を渡り歩いたオリジナルの小型吊掛け駆動車を中心に運行が

続けられましたが、1996年に近代化が行われ1500V昇圧及び北鉄金沢駅の地下化、

そして車両を全て元京王井の頭線3000系譲渡車の8000系(8800・8900形)への取り換えが実施

されました。同時にワンマン化も開始されています。

長く8000系の天下が続きましたが、熊本電鉄に続き本路線も元東京メトロ03系の導入が

決まっており、まずは4両の導入と言われている様ですが最終的には全編成の置き換えが行われる

可能性が高いです(石川線も?)。

特に京王3000系最初期の狭幅車体車はここにしか譲渡されておらず、見納めの前に乗車しに

行きました。

 

(一枚目)

・北鉄金沢駅に停車中の8800形8801編成(モハ8801+モハ8811)です。

初っ端から狭幅車体車が撮影出来ました。

 

京王時代はクハ3751+クハ3701で、制御車を電装したものですが記念すべき3000系第一編成です。

京王時代編成毎に違うレインボーカラーだった前面マスクは全てオレンジに統一されています。

1962年製で、東急7000系及び南海6001系と同期の日本最初のオールステンレス車です。

石川線の7000系といい、北鉄には日本のオールステンレス車の第一陣グループが集結した事に

なります。

石川線の7000系より入線は大分後ですが、僅かながら製造自体はこちらの方が古いです。

 

京王3000系は1962年から87年(事故廃車補充分は1991年)まで25年間も製造が続きましたが、

この編成が最初のスタイルです。尤も3本目から広幅車体・両開きドアになり、更に途中から

回生制動設置や冷房化、界磁チョッパ制御の採用そして軽量ステンレス化等変化が大変激しく

形式を分けても良いのではないかと思える存在でした

 

片開き3ドア・ユニットサッシの二段窓は同時期に製造された京王線の初代5000系と似ていますが、

湘南マスク二段窓に片開き3ドアのドア配置は井の頭線1000系や京王線2000系・2010系を

近代化した物とも言えます。

 

尚行先表示器は本来二枚目の様なものだと思われますが、この編成は両端矢印表記で固定されて

います。現在全列車通しの普通列車なのでこれで間に合っているのかも知れません。

又何かの?HMが付いています。

(二枚目)

・北鉄金沢駅は完全に地下化されており、全体の撮影が出来ない難点が有ります。

1面2線の線路配置ですがもう1線には同じく8800形第2編成(モハ8802+モハ8812)が停車中でした。

8800系同士の並びが実現しましたが、1枚に収められなかったのは残念です。

 

8000系は石川線の7000系と異なり制御車の電装工事が行われているものの、足回りは

原型を保っています。

100KW×4個モーターの全電動車方式で抵抗制御・発電制動付の電磁直通式空気ブレーキです。

台車は空気ばね式のTS-801Aで、京王時代に電動車が履いていたパイオニア台車は交換されています。

北鉄譲渡車は全て京王時代非冷房で、後に集約分散式冷房を設置しています。

1996年に井の頭線に1000系(二代目)が導入した際、廃車になった車両を浅野川線近代化時に譲り受けた

もので(8803編成のみ1998年譲渡)、同時期に岳南電車にも譲渡されています。

尚当初3000系は4両編成でしたが後の5両化の際、狭幅車は広幅・両開きの中間電動車を組み込んだ

為統一が取れない編成でしたが、京王時代の末期は限定運用だった様です。

 

この車両の行先表示器は稼働可能な様で、「普通 内灘」となっています。

(三枚目)

・8800形の室内写真です。まずは運転台側から。

 

クリーム系の壁と茶系の床、ワインレッドのモケットで明るい印象が有ります。

優先席部分はグレーの背もたれですが、良く見ると窓に昔懐かしいシルバーシートのマークが!

京王時代からでしょうか?

ステンレスパイプの荷棚と無塗装のドアは近代的です。窓は上段下降・下段固定となっています。

 

ワンマン運転の為運賃箱と三角表が設置されています。中ドア以外には整理券発行機が設けられて

います。ワンマン放送は自動式で、無人駅では後部車両はドアが開きません。

運転台後部は車椅子スペースになっています。

因みに良く見ると運転台後部の右側の窓にはでっぱりが見えます。ここは窓の内側に小型の行先

表示器を設置した為です(後述)。

(四枚目)

・後部側に向けての写真です。

 

貫通扉は広幅でドアは有りません。石川線の7000系もでしたが冬は寒くないのでしょうか?

屋根は丸屋根で、スポット式のクーラーが設置されています。写真では見えませんが吹き出し口の

形が結構凝った物でした。補助送風機は扇風機では無くローリーファンです。

又非常灯がドア脇に角型の物が設置されているのが珍しく、スピーカーに「KTK」の文字が残って

いたのも一興でした(このスピーカーは一畑電車譲渡の初代5000系にも残っていました)。

(五枚目)

・金沢から内灘までは17分程でした。石川線も30分程度でしたが、更に短いショート

トリップで終点に至りました。

加速時は太く停車時は低い直流モーター音の唸りを聞きつつ、ごとごと揺られる近郊電車です。

昼間時間帯はサイクルトレインになります。

 

それにしても、前面のアンチクライマーと排障器がカッコいいです。ステンレスボディに

コルゲートもアメリカ風で、7000系といい武骨さがたまらないです。

 

片開き3ドアのドア配置はやはり古さを感じさせますが、ストレットしたら同期の南海6001系・・・。

前ドア脇には半自動の押しボタンが設置されています。

車体中央付近にはサボ受けも残っていますが現在は使っていません。車内写真の解説でも

書きましたが、運転台後部の窓内側に小型の行先表示器が入線時に設置されています。

(8900番台の広幅車は行先表示器が設置されており、未設置だった狭幅車のみの特徴です)。

パンタグラフは菱枠式でした。

 

置換が近いと見られる8800形。元京王3000系は岳南電車と伊予鉄でも見た事が有り、岳南では

乗車もしましたが狭幅車は唯一ここだけです。

老兵の活躍機会もあとわずかだと思いますが、長く頑張って欲しいです。

最後に心残りは・・・。ステンレス車体と前面FRP部分の継ぎ目が中々面白い事になっているそう

(少なくとも新製時は)ですが、それを見られなかった事です。リニューアル済みの後期車(伊予鉄譲渡

グループ)は鋼製になって特徴が無くなった為、まさしく「ステンプラカー」の当形式で観察出来なかった

のは残念でした。

 

以上です。

 

参考文献 鉄道ピクトリアル NO.701 2001.5 臨時増刊号 【特集】北陸地方のローカル私鉄

参考HP ウイキペディア 北陸鉄道関連ページ