撮影日 2019.7.28
撮影場所 熊本電気鉄道菊池線 上熊本駅付近(1~3枚目は上熊本行き車内)
前回の続きです。
(一枚目)
・こちらは201A側の運転台付近です。
元の南海22000形時代は運転台後部には窓が2個並び、その後にドアでしたが入線時に
3ドア化され、同時にドアが運転台後部に寄せられました。
その際元々存在しなかった戸袋窓がここだけ設置されましたが、Hゴム押えとなっており
車内外共に異彩を放っています。
(二枚目)
・こちら側もサボが助士側に掛かっていましたが、何故か藤崎宮前⇔御代志間に
なっていました。
以前の撮影時も行先表示器を使わずサボで代用(形は異なる)しており、故障して
いるのかも知れません。
(三枚目)
・運転台部分の製造銘板のアップです。
「東急車輛 昭和44年 大阪」となっており、大阪製作所製独自の物と
なっています。今や東急車輛もJ-TRCとなって過去のものとなってしまいました。
(四枚目)
・北熊本から10分もかからず、上熊本に着きました。
走行音はスピードを出さないせいも有ってか静かで(西鉄600系に近い?)したが、
揺れは結構有りました。
熊電の線路だと正直どんな台車でも揺れるのは揺れますが・・・。
※一応efWing台車だと揺れが割と小さいです。
それにしてもこの前面、いつ見ても西鉄スタイルに感じます。
熊電6000形と同じ前照灯+尾灯の横列配置を2組展開ですが、ライトケースの形と
車体形状は西鉄風です。改造が西鉄筑紫工場というのも有ると思います。
上の行先表示器の部分は南海時代の前照灯、ワンマン表示部分が行先表示器でした。
熊電の電車は入線時に前面改造する例は殆ど無く、ここまで大きくに前面を整形したのは
200形だけでした。
※他形式は第3軌条電車をパンタグラフ付にしたり無理やり両運転台化したりなど、
別の部分で大きくいじくっています。
(五枚目)
・名残の乗車を終え、外から撮影。
5101A最終日には最後の東急初代5000系だった事も有り、ファンが押し掛けあたかも
東京でのラッシュの再現と思える状態でした。マスコミも取材に来ていました。
それに比べると地味な気もしますが、最終日までにはもっと多く来てくれるかも知れません。
仲間がまだ多く現役では有りますが・・・。
(六枚目)
・近くの踏切に移動し、北熊本へ折り返す同車を撮影します。
ゆっくりと、しかし確たる足取りで走って来ました。
(七枚目)
・台車を撮影したかったのですが・・・。
転落防止幌の普及で連結面が見える電車も少なくなりました。
(八枚目)
・電柱が顔に掛かってしまいましたが、走り去る200形です。
こうして200形の最後の乗車を終えました。
10年以上前に熊本に住んでいて、よく熊電に乗っていましたが当時は200形は
全く動かず、一度しか乗車した事は有りませんでした。
いつ見ても車庫でお昼寝でした。
その後5100形に代わり夏季の上熊本線運用に入るようになり、徐々に乗車する
機会が出て来ました。更に6000形の事故による離脱が相次ぎ一時期稼働車が
減っていた事も有り、本線・上熊本線双方で運用可能な利点を活かして稼働率が
上っていた様に思います。
しかし今回03形の導入により、引退と相成りました。
険しい高野山の山道を走り抜け、大阪近郊のラッシュ輸送を担っていた南海時代と
比べ熊電での余生はのんびりし過ぎていたかも知れませんが、貴重な戦力となって
いたと思います。
永らく有難うございました。
以上です。







