祖母が脳梗塞で緊急搬送されました | あねごとバセドウとアジソン

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ブログを始めたきっかけと自己紹介

病気になるまでの経緯(時系列簡略ver.)

バセドウ病になるまで①

アジソン病になるまで①

 

 

 

あねごです。

祖母が脳梗塞で倒れました。

昨日の朝まではいつもと変わらない様子だったのに…

 

 

今日は自分の病気のことではなく、祖母の急変~入院までの出来事を書きたいと思います。

昨日の夜から今日にかけての事で、私自身まだ混乱している部分があるので、上手くまとめられるか分かりませんが…

少しでも気持ちに整理がつくように、詳細な時系列などを忘れてしまわないように、ここに残しておきたいと思います。

 

 

 

祖母についてですが、

元々「大動脈弁狭窄症」という持病をもち、他にも「糖尿病」「腰椎圧迫骨折」を患って要介護2の状態でした。

複雑な事情があり、孫である私が介護者となり、私のパートナーを含めた3人暮らし。

基本は横になっていて、トイレの時だけ歩行器で移動、デイサービスに週2日通うという生活でした。

 

 

 

昨日の夕方、ご飯ができたことを知らせるために声をかけると、いつものような返事が聞こえず…

部屋に入ると、ベッドに不自然な体勢で仰向けになっている祖母が。

意識朦朧としながら「腰が痛くて動けない」と訴えたのです。

体勢を変えられるか、どのくらいの痛みなのか、いくつもの質問を投げかけましたが、明らかに会話にならない状況でした。

圧迫骨折が悪化したのだろうと判断しましたが、それにしては意識朦朧としているのが不思議に思えました。

これはすぐに救急車を呼ぶべきだと思い、迷わず119。

 

救急隊の方が到着し、祖母にいろいろと質問するも、やはり反応が薄い。

転んで頭を打ちましたか?認知症ですか?などと聞かれましたが、朝まではいつも通りの様子で、転んだ形跡も無いし、認知症の症状も明らかなものはありませんでした。

(最近、曜日が分からなくなったり、数時間前の記憶が飛んだりなど、前兆はありましたが…)

 

また、救急隊の方いわく、失禁・左半身の麻痺も見られるとのことで、すぐに病院へ搬送してもらうことになりました。

 

 

 

病院へ到着し、CT検査、血液検査などをしてもらいましたが緊急な症状は見られないとのことで、腰椎圧迫骨折の治療目的の入院となりました。

検査が終わる頃には、祖母に「腰痛い?大丈夫?」と声をかけると「もう痛くないよ。ありがとね。」と少しの会話が出来るようになっていたので、安堵したのを覚えています。

 

 

その日から入院ということで、入院手続きの説明を受け帰宅しました。

リハビリ上手くいくといいな、もう在宅介護では限界があるかな、

昨日の夜はそんなことを考えていました。

 

 

 

 

そして今日の朝、病院から電話があり「〇〇病院(かかりつけ)で入院の受け入れが可能ということなので、転院してもいいでしょうか?」と。

いつも診てもらっている病院の方が安心だと思い、承諾しました。

転院の準備が整ったら、転院先の病院へ来てほしいということだったので、入院に必要であろう下着やマスク、イヤホン、歯ブラシなど諸々の物を準備して病院へ向かいました。

 

病院へ行くと、MRI検査をするので少し時間がかかると説明され、検査結果待ちの間に祖母に会うことができました。

昨日よりも意識がはっきりしているようで、

「眠れた?」『あんまり眠れなかったよ。』

「今は腰どう?痛い?」『痛くないよ。心配かけてごめんね。』

など、会話を交わすことができました。

 

 

1,2時間程度が経ち、先生がやってきて祖母にいつくかの動作確認を行いました。

両腕のばんざいが出来るか、足を持ち上げられるか、「いー」とした時の口角の上がり具合など。

右腕、右足は広範囲の動作が見られましたが、左腕は全く上げられず、左足は少し動かせる程度、口角は左側が全く動いていない状態でした。

それを確認した後、検査結果の説明を受けるため別室へ。

 

 

昨日の搬送先の病院からどのように説明を受けたか聞かれ「腰椎圧迫骨折で入院と聞きました。」と答えると、

昨日のCT検査で脳梗塞の疑いが生じ、詳細な検査をするためにこの病院に転院してきた、と。

MRI検査の結果、【心原性脳梗塞(出血あり)】と説明されました。

 

持病の関係でペースメーカーが植え込まれているため、心肺機能が低下したことによって不整脈が生じる→心臓に血栓ができる→脳の血管にも影響し、ワルファリン(血液の流れを良くする薬)の影響で出血しやすい状況であるそうです。

 

現在の容態がベストで、このまま症状を悪化させないようキープすることが最良の未来、

最悪の未来は、今すぐにでも容態が悪化し死に至る、とも言われました。

 

 

 

「死」というワードは、昔から意識していたはずでした。

持病を抱えながら、私と兄を女手ひとつで育ててくれていた時から、いつどうなってもおかしくないのだと、覚悟を決めていたはずでした。

本格的に介護が始まった時に、最悪のケースを何度もイメージしていたはずでした。

 

 

それでも、先生から「死」という言葉を聞いた瞬間、涙があふれてきました。

昨日から募っていた不安が、恐怖に変わりました。

 

 

その後、兄と電話で「緊急事態の場合、延命治療を希望するか」という話をしながらも、どこか実感がわかずに自分が自分ではないようでした。

昨日の朝までいつも通りの生活だったのに、何故「延命治療」の話なんかをしてるのか。

ぐるぐる、いろんなことが頭を巡っていました。

 

 

祖母はそのまま脳外科の集中治療室に入ることとなり、見送るときに

「またすぐに会えるからね。またね。しっかりね。」と声をかけると、さっきまで返事をしてくれていたその口は、何の言葉も返してはくれませんでした。

私の顔をじっと見つめたまま、瞬きを何度かするだけでした。

何でこのタイミングでは「大丈夫だよ。」って言ってくれなかったのでしょうか。

 

感染症対策で面会禁止とのことなので、祖母に会えるのがいつになるのか分かりません。

これが最期の会話にならないことを、心から願います。

またいろんな話ができることを、心から祈ります。

 

 

がんばれ。がんばれ。

今までも病気と闘ってここまできたでしょう。

負けるな。負けるな。

 

 

 

 

生きて。