保己一は 他の学者とは違い 自分独自の学説を発表するということはなかったけど

貴重な文献を整理し
後世に確実に伝えていくこと
学問を志す 自分の後に続く人たちのために
必要な文献を いつでも容易に利用できるように
大文献集を編集して発行するという
地味で目立たない仕事に人生を賭けたんだね

保己一のお陰で夢に一歩 近づけた人も いるよ



大福が 保己一をUPしたいと 思ったのは 近年のニュースからなんだ
領土問題なんだ

『領土問題は ない』
と 政府は 言うけど
なるほど と 思わせる 資料の提示はしているのかな?

してるか
凡人が 心配しなくても


過去には こんなことが あったんだってこと
知って欲しかったんだ


アメリカ イギリス ロシアなどの間に 小笠原諸島の帰属問題が持ち上がったんだ
息子の次郎の時だったんだけど


幕府の求めに応じて
日本の領土であることを証明した歴史資料をすぐに提供したんだよ


我が国への帰属が 国際的にも 認められることになったのは
保己一の遺志を受け継いだ和学講談所の 働きだったんだ


他に
水戸徳川家の
『大日本史』の
校正にも加わっているよ


詳しくは
『埼玉の三偉人に学ぶ』を読んで下さい

宣伝じゃないよ
勝手に拝借致しましたので すみませんm(_ _)m
鍋釜 落ちたよ (◎o◎)

こえ~(>Σ<)
保己一は貧乏だったよ


検校としての収入を 出版事業や和学講談所の運営費用に当てて
幕府や豪商からは多額の借金をしたよ
もちろん 協力も してもらったけどね
数千両の返済に一生苦労をしたんだ


食事は 一汁一菜、木綿の普段着、風呂敷に書物を包み背負って歩く姿が江戸の町に見られたそうだよ

ほとんどの検校は 紫の絹の着物で お供を引き連れて駕籠に乗って 外出したというのにさ




階級の高い盲人は 金貸し業で かなりのお金持ちだったんだよ


元にした 本にはね
幕末に活躍した勝海舟の先祖も盲人だったんだって
新潟の農民出身の曾祖父 米山検校は
江戸で莫大な金を溜め込み
3万両で旗本の株を買い 息子に男谷家を継がせ
孫を勝家に婿入りさせ
そこで生まれたのが勝海舟
と あるよ


多くの検校は 財を成し 子孫に残したんだね



保己一は
名字帯刀を許され
76歳で亡くなった時は
大名の格式で盛大な葬儀が行われたのに


息子の次郎が 受け継いだものは
多くの貴重な書物と 刊行したためにできた 莫大な借金と 保存にも困るほどの版木の山だったそうだよ



こんな ことばかり 書いてると 悪いイメージに なっちゃうね

盲人一座は 物凄いなあと思うところが あるよ

自立した盲人が 責任をもって 目の見えない子を一人前に自立して生きていけるまで 教育するよ

だから 保己一は 落ちこぼれのまま 破門されずにすんだんだね

この伝統は今日まで引き継がれていて
教師として勤務している盲学校の卒業生が 大勢いるんだって

視覚障害者が視覚障害者を 教育する国は 日本以外 無いんだって



協力しあってるんだね
反対に 健常者が
もう少し 理解出来れば
盲導犬を 傷つけたり しないんだろうけど



続く