保己一は貧乏だったよ


検校としての収入を 出版事業や和学講談所の運営費用に当てて
幕府や豪商からは多額の借金をしたよ
もちろん 協力も してもらったけどね
数千両の返済に一生苦労をしたんだ


食事は 一汁一菜、木綿の普段着、風呂敷に書物を包み背負って歩く姿が江戸の町に見られたそうだよ

ほとんどの検校は 紫の絹の着物で お供を引き連れて駕籠に乗って 外出したというのにさ




階級の高い盲人は 金貸し業で かなりのお金持ちだったんだよ


元にした 本にはね
幕末に活躍した勝海舟の先祖も盲人だったんだって
新潟の農民出身の曾祖父 米山検校は
江戸で莫大な金を溜め込み
3万両で旗本の株を買い 息子に男谷家を継がせ
孫を勝家に婿入りさせ
そこで生まれたのが勝海舟
と あるよ


多くの検校は 財を成し 子孫に残したんだね



保己一は
名字帯刀を許され
76歳で亡くなった時は
大名の格式で盛大な葬儀が行われたのに


息子の次郎が 受け継いだものは
多くの貴重な書物と 刊行したためにできた 莫大な借金と 保存にも困るほどの版木の山だったそうだよ



こんな ことばかり 書いてると 悪いイメージに なっちゃうね

盲人一座は 物凄いなあと思うところが あるよ

自立した盲人が 責任をもって 目の見えない子を一人前に自立して生きていけるまで 教育するよ

だから 保己一は 落ちこぼれのまま 破門されずにすんだんだね

この伝統は今日まで引き継がれていて
教師として勤務している盲学校の卒業生が 大勢いるんだって

視覚障害者が視覚障害者を 教育する国は 日本以外 無いんだって



協力しあってるんだね
反対に 健常者が
もう少し 理解出来れば
盲導犬を 傷つけたり しないんだろうけど



続く