Tさん85歳

初診は10年前。

お住まいは横浜は横浜でも、

とても下町風情のある、

酉の市で有名な、

笑点の桂歌丸さんが住んでた街

からの患者さん。

 

それまでその地域の町医者に通院していたが、

「咳と痰が切れない」ため

近くの病院へ。

そこの受付から「呼吸器内科医が不在」

のため「ポーラのクリニックへいった方がいい」

と言われて初診となった。

 

診察と胸のレントゲンから、

両側陳旧性肺結核の再燃の可能性もあったので、

迅速検査判定が必要であり基幹病院へその日に紹介した。

 

そこでの検査の結果は

両側陳旧性肺結核 + 慢性気管支炎 + 部分的無気肺

で、結核の再燃は否定された。

以後、その病院へ通った。

7年間入院すること無く、

「病院の呼吸器内科の担当医が転勤のため」

を理由に、2022年4月当院へ戻って来られた。

 

以後2年、

いつも一人で自転車で通院してきた。

毎回、食欲と体力とを気にして診察。

毎回体重計に乗ってもらった。

 

以下 その推移

2022/4  51kg

    /6  48

    /7  47

    /8  46 

    /9  45

    /12 45

2023/3  45

    /6  44

    /9  44

    /12 44

2024/2  43

    /3  41

来る度にやせているが、特に不調を訴えることは無い。

しかしながら、

2024/5月には

「通院が大変」と。

そのため急いで

介護の申請、訪問看護導入、ケアマネ決定。

した直ぐに、「オシッコがでない」。

 

ため、臨時往診し、尿閉のため導尿カテを留置した。

これをキッカケに訪問診療へ切り替え。

 

ADLと認知能力は急速に悪化。

話が全くかみ合わなくなったので、

念のため脳CTを。

 

手術にて改善できるような認知症ではないことがわかり、

「老衰です」

ご家族へ説明。

 

70代後半と見受けられる奥様も杖歩行で、介護は大変。

3人いる息子達はそれぞれに別居、仕事と家庭を持っている。

急速に悪化する患者さんの状態に対応するには

介護しかない。

とりあえず要介護2の判定が出た頃には、

すでに要介護4の状態に。

 

介護新規申請や区分変更申請から判定までには1.5ヶ月ほどの

タイムラグがあるので、実態と認定介護度の乖離が発生する。

この患者さんの様に急速悪化する際には、

先を読んでの区分変更申請が必要となる。

 

再度申請さえすれば、制度的には再申請日までさかのぼって区分変更認定されるので、

ケアマネさんとの二人三脚で先読み区分変更することは、とても大切な作業となる。

 

幸いTサンのケアマネさんは、このあたりの経験が豊富な人で、よいチームワークが取れた。

 

この3週間ほどは、週2回の訪問看護点滴で生きながらえていたが、

いかんせん 食べられない。

嘔吐するわけでもない。

とにかく 特に病気も無く食べられない。

食べるエネルギーが枯渇してしまったようだ。

こうなると、点滴を受け付けない身体に変化していく。

点滴すると負担になって体幹が浮腫む。

通常の浮腫は立ってるときの下肢むくみだが、

老衰患者に点滴をすると、ねたきりなので沈下性に浮腫は側胸部に出現する。

 

こうなると、もう手の施し様が無い老衰状態となる。

点滴は肺水腫を誘発し、呼吸困難を招く。

だから、何もしない。

 

点滴やめて、昨日、Tサンは三日目の早朝に息をひきとった。

奥さん

「昨夜はめずらしく少し2口おそば食べたんです。」

それが、最後の食事となった。

 

人間は 食えなくなったら 終わる。

動物が獲物をとれなくなったら終わるのと同じ。

 

老衰は、

数年前からゆっくりと始まり、

ゆっくりと体重が減り、

ゆっくりと筋肉が落ちて、

一線を越えると

つるべ落としのように着陸していく。

 

そのゆっくりとした陰性の経過を、

ご家族に納得がいくように

説明していくことが、

看取りには大切な作業となる。

 

老いと衰えを受け入れていてもらえれば、

つるべ落とし状態でも

うろたえない。

救急車も入院も、もちろん胃瘻や経管栄養も要らない。

 

ガンのみならず

「受容」

が穏やかな終末の必要条件である。