大雪の翌日の今朝、

寿の簡易宿泊所の6階の自室。

 

ベッド下の畳に横たわって

頭の左側には黒色の胃液が吐かれてあった。

 

発見者であるヘルパーの男性と私の二人で

まだ硬直もなく温もりさえ消えてないEMさん66歳を

ベッドに上げ戻した。

ヘルパーさんが上半身を、

私が下肢を、

ふたりで「いけるかな?」

と顔をみあわせて、

「軽いですね。」

オタメシ持ち上げのつもりが、

そのままベッドまで軽々と運べた。

 

外来通院の最終日は今年の1月6日。

その日の体重が45kg。

その後も嘔吐しつづけたので恐らくわれわれは

40kgのご遺体を持ち上げたのだろう。

2014年の初診時記録75kg(身長168cm)

だったから、半分に減ってしまった。

 

この10年の彼の病歴はすごい。

脂質異常症  過敏性腸症候群  高尿酸血症  白癬菌感染症

IgA腎症 ANCA関連性腎炎  慢性湿疹  盲腸ガン 十二指腸がん 

脊柱管狭窄症  腎結石  慢性上咽頭炎 

 

初診時の主訴は

「禁煙外来をお願いします」

禁煙は成功した。

健康のために禁煙したはずが、その後、次から次へと病気・病気。

 

これだけの病気をしながら、

元簡易宿泊所のとなり部屋の住人だったオヤジ(寝たきり要介護5でポーラのクリニックの訪問患者)

の部屋に通って面倒を毎日毎日みていた。

われわれがYさんの訪問をするときには必ず同室して、

近況を教えてくれた。

 

こんな几帳面なまじめな人が

なんで55歳から寿で生活保護を受けて生活するようになったのか?

はわからない。

事情を知りたかったが、

「いや。そこはまあ・・・」

と返事されそうなオーラを出していた。

だから訊くことはできなかった。

とにかくいい人だった。

 

それまでの病歴は

過敏性腸炎のみだったから

この几帳面さから推測すると

極度なHSPで一般社会からはじき飛ばされて寿町に流れ着いたのかもしれない。

 

ベッドに戻された目は両方とも澄みとおって、しっかりと開かれて遠くを見つめていた。

 

死因は

原発不明の腹膜播種のガン。

 

外来の最後日

今年の1月6日彼が言ってたことは

「夜眠れないのが辛い。

昨日から何も食べてない。嘔吐する。7回吐いた。

Yさんの所には夜間1日1回顔見せに、安否確認しに行っている。

きのう 三日ぶり 排便。

〇〇病院でのPETの検査結果は腹全部ひかってました。」

 

この10年間、紹介状を書いて

病院に通って通って検査に検査をして、手術も2回して、

最期には

上記診断。

 

この3ヶ月間制吐剤に反応しない頻回嘔吐で苦しんだ。

 

私がやってあげることができたことは

①    試験開腹手術(ガンの確定の目的)はしない方がいい。

②    〇〇病院のホスピスに入るより、居室で最期までいましょう。

そして

③    畳からベッドに戻す。

情けなくも、それだけであった。

 

役立たずで すまなかった。

ご冥福を祈ります。

おつかれさまでした。