NSさん69際糖尿病+認知症(徘徊)

のケースカンファレンスが昨日ポーラのクリニックの待合室にて、

ケアマネさん サービス管理責任者(サビカン)、外来のチーフナース、ポ-ラの訪問看護の責任者ナースともう一名のナース

が集まって行われた。

 

この種のカンファレンスは、

その患者さんを支援するチームが、寿町で独居者である患者さんの支援方法に困り果てた時に開催される。

 

開催の言い出しっぺは支援チームの誰でもOK。

時には役所の生活支援課担当のケースワーカーであったり、簡易宿泊所の帳場さんでもあり得る。

関与する人が「どうしていいのか悩んだ」時に、その時点での取り巻きメンバーが集まる。

 

今回の主役はNSさん69歳。

言っておくが、NSさん自身は困っていない。

彼が困るのは日課である外出で帰り道がわからなくなったとき。

その時は不思議とポ-ラの訪問看護の事務所に、「帰り道が分からない」

と訪れたり、 迷い札をみた通行人が警察に連絡したり。

そうすると、簡易宿泊所の帳場さんや介護者に連絡が届き迎えに行く。

警察が送り届けてくれることも茶飯事。

だから本人は困っていない。

 

困ってるのは本人ではなく、ケアマネとサビカン。

 

ケアマネさんから5/23付けで提案書をFAXにていただいた。

「いつもお世話になっております。

〇〇様の件でご相談です。

最近外出して戻れなくなることがたびたびあり・・・・

妄想や意思疎通が困難に。

特養への申し込みを5施設ほどしていますが、お声はかからず・・・

グループホームの面談を行いましたが、

ショートステイも含めて本人が明確に拒否・・・

ヘルパー側からは、徘徊時の危険が指摘されていて、在宅の継続にギモンの声があります。」

「今後の方針につきまして、本人も交えて関係者が意見を出し合い、方向性を一致させたいと」

「ぜひ、先生のご意見を伺いたくよろしくお願いいたします。」

という、文面。

 

 

昨日、そのカンファレンスが行われた。

三年ほど前にもNSさんを交えて同内容のすりあわせが行われたが、

今回もその時と同じ結末。

ご本人が「施設やグループホームはいやだ」

と、認知症とは思えない程の決断力で明確に拒否。

 

ということで、このカンファレンスの目的は

私からケアマネさんサビカンさんへの問われた意見の発表会にかわった。

 

〇寿にいる人は、家族や他人からの干渉を嫌う自由人。

〇家族親族のしがらみから逃げて人生を創っている人。

〇「三食ついてる、お風呂もある、いつも人の目があるから安心でしょ」の論理は通じない。

 

ケアマネさんに逆質問。

「いま、あなたがいる居場所に不満がないのに、施設に入ってほうがいい、と言われて、それに従いますか?」

 

これらが私の意見。

述べているあいだ、ウチのスタッフ達はみんな無言で首を縦に振ってうなづいていたのが印象的。

 

 

介護の人達の、

このままではNSさんは不安なのではないか?

夜間徘徊時にクルマにはねられたり、危険ではないか?

の懸念は、その人達の自身の心の声。

 

本人は 今のままがいい。

タダそれだけ。

 

介護の人達を安心させるためにNSさんの首に縄をつけてグループホームに入れることは同意できない。

これが私の意見。

 

いつもここに記す、居場所、生きがい、自己肯定感、の人生3重要要素は

は「自由」という大前提の上にはじめて成り立つものだと思う。

 

介護会社はたくさんあるし、ヘルパーさん達は入れ替わり立ち替わるので、

これからも、このようなカンファレンスは幾度も開催されるであろう。

 

ウチのスタッフには、

これからも、その人がその人らしく生きられる ことを支援する。

この軸足を崩さないで欲しいと思う次第です。

 

NSさんの徘徊は

大好きな外出の結果 帰り道がわかんなくなっちゃう。

本人にとっては ただそれだけのこと。

 

だから、分からなくなったら連れて帰ってあげる。

そういう緩やかな支援がいいと思う。

 

認知症は経時的にその様相を変えてくる。

いずれ徘徊しなくなり、放尿しなくなり、オムツになり、寝たきりになる。

 

それまで、周りは可及的に危険を回避してあげるよう最大限の努力は続ける。

 

が、しかし力及ばず本人が不慮の事故に遭遇したらそれは誰の責任でもない。

そう腹をくくって支援していくのが、独居の認知症患者さんとの接し方である。