「感情 不安定
しぬまえに 子供にあいたい
アドレス帳 落として連絡できないからあえない
ひきこもって 落ち込んでる
DAYサービス 二カ所 1箇所きにいらなくて いかない。
食事のあとかたづけ とかおねがいすると おこっちゃって。
部屋はとてもきれいにしてる
訪問介護 も要らない
気持ち おちこむと インスリン注射や 薬 拒否。
かかりつけのDRから たんまり薬もらってる。 インスリンもあり。
シップだけポーラのクリニックへもらいに。
かんがえこと すると悲しくなる。
病院の泌尿器科は乱暴だから行きたくない」
等々が平成26年9月8日に初診で来られたOさん当時72歳の
当院カルテ。
糖尿病、高血圧として紹介されて来た。
文面から読み取れる様にNEGATIVE WORDSの連発。
以来9年間当院へ通い続けてくれた。
弱く、優柔不断、決定できない、細かいことを気にする潔癖症。
そのために居場所も自己肯定感もなく、周囲の頼れる人へ依存しまくる。
依存が拒否されたりすると、お酒をのんで 暴力的に変わる。
一般社会では生きづらかったろう。
医者が決まり、面倒見がよくて決定力のあるテキパキヘルパーのMさん(女性)のチームが介護に入り、
当院の訪問看護が入り、人に頼りながらの晩年をそれなりに安心して過ごした。
Mさんの言うことは嫁に牛耳られた男の様に、娘に諭されたオヤジの様に、柔順に聞いた。
その彼に進行肺癌が見つかったのは2月のこと。
一昨年の胸X線では所見がないので、育ちは速そう。
告知:Mさんに相談。「いまのところしないでください。 持たないと思います」
に従ってせずに2ヶ月持たせた。
「何かヘンだ」と思ったのか、急速に落ちていく食欲や体重・体力の不安からか、
ことあるごとに周りの人々に「入院したい」を訴えるようになった。
理由は「夜が誰もいなくなるから不安」
日中は介護や看護やデイサービスがちやほやしてくれるし、優しいから安心。
でも夜の寿ではひとりぼっち。
コレが耐えられないから入院希望。
「今はコロナだからなかなか入院出来ないのだよ」
のウソでごまかしていたが、だんだん通じなくなってきた。
入院ホスピスの条件は、告知されていて本人がそこで最期を迎えたい の条件が満たされていること。
なので、入院のためには告知が前提条件。
をMさんへインフォームドコンセント。
5/15に 本人へ告知した。
(告知)
ガンなんだ…。それなら仕方ない、覚悟している。
(入院して点滴するのは)それなら意味ないね。
(在宅の方が皆が来るよ)分かった。
(ホスピスは事務的に来るだけだよ)分かった…(涙)
という反応。
いっときは納得されたように見えたが、やはり夜が来ると、
次の日には
『入院したい』
昨日の訪問診療時、
頬はこけて血圧も低下気味。
「入院したい」に対して、
「入院したらMさんや他のヘルパーさん達には会えなくなるよ」
と答えると、
「それはイヤだ・・・」
寝る前の抗不安薬を増量した。
今日の午前。
11時の外来中に、MさんからTEL。
「入浴中に具合悪くなったようです」
「呼吸停止したようです。
「絶対に救急車を呼ばないで」
「ムリヤリ居室に戻してください」
外来終了直後に訪室し、死亡確認した。
「Oさん 無事に卒業だね。おめでとう、ご苦労さん」
一般家庭なら絶対に出ない言葉が思わず、Mさんともう一人のヘルパ-さん、
心肺停止人を車いすにてデイサービスお風呂場から居室ベッドまで運んだ方達をまえに、
口に出してしまった言葉。
失言ともとらえられかねないこの言葉を、みんなが、異口同音に「そうだよね よくがんばったよね 卒業だよね」
とフォローしてくれた。
Oさんの不安や苦痛や孤独感やウツをよーく理解してくれている人々だから、
「卒業おめでとう」
をよーく受け止めてくれたんだと思う。
最期にみんなに会ってお風呂に入って息絶えた。
疼痛もなく、夜間の不安だけ。
とてもよい看取りだったと思う。
関係者の皆様のご尽力にOさんに代わって御礼申しあげます。
ご冥福を。
この世の「業」を卒して、もう不安のない世界へ。