HさんとはH22年からのつきあいだから11年目となる。

Hさんが53歳の時にケアマネさんから簡易宿泊所内への訪問診療の依頼をされた。

 

婚姻歴はない。

50歳時、営業の仕事中に左足の力が入らないことに気づき大学病院へ。

脳MRIでは左頭頂葉と右左前頭葉に多発性の腫瘤を認めた。

原因は不明であり、脳組織の生検まで行われた。

脳生検にて多発性硬化症という難病の確定診断。

関東地方会の症例発表までに至っためずらしい疾患であった。

 

治療としての大量のステロイド服用はまったく効果無く、アレヨアレヨというまに歩けなくなり、ベッド上生活となった。

稼ぎも身寄りもなく、生活保護へ。

年齢的にも・疾患的にも介護保険の適応がとれなかった。

エアポケットに入ってしまったかのような単身ドヤ内独居の状態で福祉・介護の適応に苦心した。

 

訪問診療は月2回で続けた。

はじめは暗かった。うつ、不機嫌。

急速に低下する自身の身体能力、脳内腫瘤の成長にともなう頭痛とてんかん発作。

一日中聞こえる幻聴は、「オマエは汚い。ここから出て行け。生きている価値はない。」の繰り返し。

 

訪問診療の患者さんの中で一番暗い、一番行きたくない人だった。

当時働いてくれていたKクン(男性看護師)と、「今日もどよ~んとするなあ」と、訪れる度にこちらの精気を吸われ尽くすような陰性のエネルギーだった。

 

その彼が、とある時から明るくなって行った。

きっかけは、訪問看護の導入である。

ポーラのクリニックで訪問看護を立ち上げ、定期的にナースの訪問が入るようになってから変わった。

よくしゃべるようになった。

私との関係も熟成されて改善した。

いろんな不平も不満も聞いた。

私なりに受け止めた。

 

てんかんの発作は増えている。

そのたび毎に救急車で入院する。

静脈麻酔鎮静剤をうたれて呼吸が止まる。

しばらくは人工呼吸管理となり、一週間で退院してくる。

そのたび毎に抗てんかん薬が増えて来る。

 

楽しみといえば、

週2回ヘルパーが好きなものを買ってきてくれる、食べものである。

我々からみれば他愛のない、できあいのギョーザやチャーハン。

それでも一日中天井を見あげて幻聴にさいなまれながら生活して居る彼には、大切な生きがいである。

 

介護ヘルパーさん達にはそれぞれの個性があるし、必ずしも我々ドクターやナースに見せる顔とは違うであろう。

であるが故にHさんと、とあるヘルパーさんの関係は良くない。

ケアマネやヘルパーさんを変更する権利は利用者と家族にある。

家族を持たない彼は彼自身のみが決定権を持つ。

 

これまで2回変えてきた。

だから、今は我慢強く関係づくりに専心している彼である。

 

介護用のベッドは通常リモコンを用いて自分で動かせるのであるが、彼にはリモコンを持たせていない。

ベッドアップした状態から一度転落したことがあるからだ。

リモコンを持たせてあげたいが、介護事故につながるから介護側から許可が出ない。

本人は「落ちて死んでもいいから持ちたい」。

私も「それで腹をくくっているから、持たせてあげたい。」

けど、介護は許可しない。

事業所としての責任性を重視しているから、主治医といえど覆せない。

 

そんな彼が先日てんかん発作から退院して直後、

明確に意志表示した。

{DNAR}

たとえ急変しても、呼吸が止まっても、蘇生行為をしないで欲しい。

いわゆる尊厳死希望。

 

てんかんの発見者となるヘルパーやナースは彼を見殺しにはできない。

したら一生のトラウマとなる。

だから救急車は呼ぶ。

でも、到着した病院では蘇生行為はやらないで欲しいという文書にサインをしてもらった。

不自由な手でむりやり。

なんとか読める。

それを救急隊に見えるように、壁に貼った。

 

毎回訪問時に「心変わりはないか?」

を確認している。

 

そんな彼が、

今週の訪問時に、

「センセイ、ありがとう、いろいろ」

と。

そして、訪問看護のHさんの名前を出して、

「Hさんにもありがとうとつたえてください。彼女が来ると部屋が明るくなります」

 

と。

あの人はいい。この人はいやだ。

あの人は入って欲しくない、馬鹿にされてる気がする。

 

心の中をいろいろ聞いてきた。

 

今は、週2回に増やしてもらった食べものリクエストと、私への愚痴、そしてHナースの明るさに救われている。