(50年間アメリカで仏教宣教をしていた方なので、やや日本語に手を加えてます)
クリーブランドにいた頃、ゼネラルホスピタルのチャプリンより頼まれて、死に直面したエイズ患者を見舞う事になった。 " 死ぬ前に、各宗教の代表者からの祈りを受けたい、、、”との本人の希望。仏教者は、私1人しか居ないという事で、「拒否できない」という立場であった。
当時、エイズは絶望的で、神の祟りとさえいわれたものであった。
手袋、ガウン、マスクなど、完全防備で, ICUの部屋を尋ねると、骨と皮に痩せた、目だけがギョロリと大きくなった白人の男性が待っていた。
言葉をなくした私に、” もうすぐ死ぬんだから、仏教のお祈りをしてくれ!” と、命令調で嘆願した。それに対して、”オレモ、死ぬぞ!”と言ってしまった。唖然としている彼に、” 車できたんだから、帰りに、事故を起こせば、お前より先に、オレがしぬ、 ゾ ”と。 今、考えても、不思議なやり取りだと思っている。
祈る言葉が見つからず、謝って、失礼して、部屋を出て、帰宅した。
ホットして、お寺にいると、翌日、チャプリンよりデンワがあって、エイズの患者、ジヨンが私にまた会いたいとの伝言を得た。
仕方なしに、ICUの病室を尋ねると、”お前の言った事を考えて、昨夜は眠れなかった。自分の命のことだけを考えて、相手の、他人の命なんか考えていなかった事に、気づかされた。”と、息せ切って、力をふり絞って、話してくれた。それ以来、周期的に、彼を尋ねることになってしまった。
ある時、訪ねたときに、一切れの肉を口に入れようとしていた、ムンズと、その手を掴んだ私は、”これは何だ!”と聞くと、ビックリして、ビーフですと応えた、”ビーフはなんなんだ!”と、聞くと、牛の肉ですと、応えた。 ” 死んでゆくお前の命を、牛の命が犠牲となって、支えているんだ!”と、間髪を入れずに強調すると、ビーフを持つ手が震えて、涙した。。
それ以来、全てに感謝するようになった。 看護師もドクターも、何をしたんですか、??と、私に尋ねた。彼の部屋を尋ねることが、億劫だった自分達だったが、今は、彼自身から感謝して、合掌してくれる、と喜んでくれた。
6ヶ月もたった頃であろうか、彼が亡くなった事を、チャプリンより、知らされ、一つの封筒が私に手渡された。中には、$158ドルと、手紙が添えてあった。
{エイズのお陰で、あなたに会えた。オレがオレがの命が全てに生かされて生きている命に、目覚めた。本当に有難う、短い命であったが、有難い事であった。少ししか残ってないが、一杯呑んで下さい ! gasshou..}と、書いてあった。 Gasshoという言葉も覚えてしまった。
お寺に帰って一人でお経を上げた。
何かに、めざめないと、感謝の気持ちはでてこないね!