「しゃべっちゃおーかな?」

と、コクりはじめたTOMMY

昭和30年代。

高度経済成長。

身体一つあれば一家が喰っていける時代。

田舎でいじめられてた〇り子と埼玉-東京の県境に居を構えた。

「借家だけど一軒家だ」(自慢そうに)

関越・東北道の造成。

高圧送電線塔の設置。

仕事はいくらでもあった。

稼げた。

籍は入れない。

が 約束。

〇り子と二人の子をもうけた。

「中学卒業までいっしょにいるから」

と家庭をもった。

どんな生活だったの?

と聞いても、

「ん~ま~」

と言葉を濁す。

案の定。

ほんとに約束どうりに、下の子が中学卒業したら、

「じゃあな」と家を出た。

以来、家族には会っていない。

上が女、下が男。

私くらいの年代である。

連鎖なのだろう。

「タダ飯喰うんじゃない」

と、母から高校に行かせてもらえなかったTOMMY.

内縁妻とのTOMMYの私生児達は高校に行ったのだろうか?

今度、こどもたちのこと聞いてみよう。

しゃべるかな???

都合悪いことしゃべんないから無理かな??

以下次号。

(先日 体調くずして全く食えなくなったTOMMY.

一回往診注射と簡易宿泊所の帳場のオッちゃんの献身的介助のおかげで、またあるいて通院を始めました。500mを30分以上かけて来院します。)

(まだまだ、生きられそうです。)